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  1. 2019年2月28日 · 善導大師には、「観経疏(かんぎょうそ、観無量寿経に関する論書)」という、それこそ読めば心が洗われるような名著があって、頭脳が極めて明晰な人だったことが分りますが、また豊かな詩才を持つことでも知られておりまして、残されたいくつかの書物からでも、その一端を垣間見ることができます。

  2. 菩薩觀眾生為若此. 智者の水中の月を見るが如く、鏡中にその面像を見るが如く、熱時の焔(ほのお、カゲロウ)の如く、呼ぶ声の響きの如く、空中の雲の如く、水の聚沫の如く、水上の泡の如く、芭蕉の堅き(こと無き)が如く、電(でん、イナヅマ)の ...

  3. tubamedou.egoism.jp › Joudo › Muryouju02a無量寿経巻下之一

    三毒、その一、貪りの毒. 三毒、その二、怒りの毒. 三毒、その三、愚癡の毒. 生死を厭うて、安楽国を願え. 著者に無断で複製を禁ず。

  4. 2019年2月28日 · 勿体ない』を漢語風に書きますと「無勿体」となります。 「体が勿(な)いことが無い」と読みますが、これでは何のことか分かりませんので、ひとつ『体』について辞書を引いて調べてみますと、 名詞:からだ、身体。 名詞:からだの各部分。 例:四体(四本の手と足)。 名詞:各部分の一定の組み立て方、スタイル。 例:字体、文体。 名詞:働きのもととなる実体。 対:用。 例:中体西用(実体は中国式で働きは西洋式)。 名詞:表面の姿。 例:体裁。 動詞:身に着ける。 例:意を体す。 副詞:身に着けて。 みずから。 例:体得。 と、このように書いてあります。

  5. 2019年2月28日 · 曼珠沙華. ************************. どんなに優れた学説も、それを無批判に受け入れることを教条主義dogmatismといい、またそんな態度を教条主義的dogmaticといっているようですが、学問という立場から見れば、どれほど優れていようと無批判に受け入れてよい学説というものは存在しないわけで、必ず自らの力で評価した後に受け入れるようにしなければ、とても学問的態度とはいえないわけです。 さて、そのような学問的態度はさておき、この老人は、もともと妥協的精神が皆無なところへもってきて、さらにその上に老齢と、このところの暑さにまけて、冷房で頭をひやしすぎたりしていますので、すでに頑固をとおりこして、すっかり頑迷の域にたっしております。

  6. 維摩詰所説経(ゆいまきつしょせつきょう)巻の中. 姚秦三蔵(ようしんのさんぞう)鳩摩羅什(くまらじゅう)訳す. 文殊師利菩薩は、維摩詰の疾を問い、共に問答をする。. 維摩詰は数々の不思議を現して見せる。. 文殊師利、維摩詰の疾を問う. 文殊師利 ...

  7. tubamedou.egoism.jp › SonotaButten › BonmouKyou国訳・解説 梵網経

    2019年1月31日 · 自 序. 大智度論巻13に云わく、『われは彼に於いて無害なるを以っての故に、彼もまたわれに於いて無害なり。 ここを以っての故に怖れ無く畏れ無し。 殺を好む人はまた位、人王を極むといえども、また自ら安からず。 持戒の人の如きは単(ひと)り行き独り遊ぶも畏るる所の難無し。 』と。 これが何故そうなるのかは非常に難しい問題であるが、そもそもこのように『自ら厭い嫌う所を他人に施せば、決して心が安らかではいられない』、と説くのは、『物理でいう所の作用反作用の法則の如く、大自然の法則は、常に一方にのみ向かうような作用の存在を嫌い、自ずから心の中にもそれが働かずにはおられない』、と考えるからなのであろう。