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  1. ja.wikipedia.org › wiki › 第一尚氏第一尚氏 - Wikipedia

    第一尚氏 (だいいちしょうし)は 尚思紹王 を始祖とし、7代63年間( 1406年 ( 永楽 4年)- 1469年 ( 成化 5年))続いた 琉球 最初の統一王朝をつくりあげた王家およびその姓の通称。. 正式には尚氏だが、 第二尚氏 と区別するために、一般には第一 ...

  2. ja.wikipedia.org › wiki › 尚徳王尚徳王 - Wikipedia

    徳王 (しょう とくおう、 1441年 ( 正統 6年) - 1469年 6月1日 ( 成化 5年 4月22日 ))は、 琉球王国 の 第一尚氏王統 の第7代国王(在位 1461年 - 1469年)。 第6代 琉球国王 。 第一尚氏王統最後の国王。 神号は八幡按司、または世高王。 尚泰久王 の子。 生涯. 尚徳は、尚泰久王の第三王子として1441年に生まれた。 父王の 薨去 後、庶子でありながら長兄の 金橋王子 を退けて即位した。 金橋王子の母は王妃であったが、謀反の嫌疑をかけられた 護佐丸 の娘であったことから、即位できなかったと見られている。 翌年には、 明 から 冊封 を受けた。 マラッカ に使者を派遣し交易を始め、市場を拡大させた。

  3. ja.wikipedia.org › wiki › 尚氏尚氏 - Wikipedia

    尚氏 (しょうし)は、 琉球国 の王家およびその姓 [1] 。 解説. 佐敷 按司 巴志が挙兵して 中山 察度王統 二代目武寧王を滅ぼして後、北山、南山を滅ぼして琉球を統一し 尚巴志王 (しょうはしおう)として尚氏を名乗った。 しかしその後、有力豪族や王族内部の王位継承問題での内乱や外征が続き、国民は疲弊し、群臣に推挙されて 伊是名島 出身の金丸(後の 尚円王 )が即位して王家が交替しており、 第一尚氏 ・ 第二尚氏 として区別している。 第一尚氏 - 尚思紹王 ・ 尚巴志王 を始祖とし、7代63年間続いた( 1406年 ( 永楽 4年) - 1469年 ( 成化 5年)) [2] 。

  4. ja.wikipedia.org › wiki › 尚思紹王尚思紹王 - Wikipedia

    思紹王 (しょう ししょうおう、 1354年 - 1421年 )は、 琉球王国 の 第一尚氏王統 ・初代国王(在位: 1406年 - 1421年)。 本名は思紹で、尚姓は後に送られたものである。 もと山南(南山)国の佐敷 按司 。 神号は 君志真物 (きみしまもの)。 父は 鮫川大主 、母は大城按司の娘。 概要. 1406年 、嫡男の 尚巴志 は中山王 武寧 を滅ぼし、 明 の 永楽帝 に使いを遣わして、思紹を奉じて中山王とした。 在位16年の間に明に30回の進貢をしている。 また思紹の時代、 永楽 年間は動乱の時代でもあり、南山に勢力を伸ばし、 1416年 には 北山侵攻 で北山を滅ぼし、琉球統一の動きをみた。 思紹夫妻らの墓所の佐敷ようどれは、航空自衛隊 知念分屯基地 内にある。

  5. ja.wikipedia.org › wiki › 尚巴志王尚巴志王 - Wikipedia

    巴志王(しょう はしおう、1372年(洪武5年) - 1439年 6月1日(正統4年4月20日))は、琉球王国の第一尚氏王統・第2代国王(在位:1422年 - 1439年)。

  6. ja.wikipedia.org › wiki › 第二尚氏第二尚氏 - Wikipedia

    第二尚氏 (だいにしょうし)は、 尚円王 を始祖とし、尚円王即位の 1469年 ( 成化 6年)から 1879年 ( 光緒 5年)までの410年間、 沖縄 の 琉球王国 を統治した王家およびその姓の通称。. 琉球最後の王朝。. 正式には 尚氏 だが、 第一尚氏 と区別 ...

  7. ja.wikipedia.org › wiki › 琉球国王琉球国王 - Wikipedia

    第一尚氏6代王尚泰久王に仕えていた金丸(のちの尚 円)が、尚徳王の没後立てた王統。 先の王統と同名のためこちらを第二尚氏王統と称する。また、尚円王統とも呼ばれる。琉球処分まで19代409年続いた。 第二尚氏王系図(尚泰の子は尚典のみ記載)