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  1. 誕生 平岡 公威(ひらおか きみたけ) 1925年 1月14日 日本・東京府 東京市 四谷区永住町2番地(現・東京都 新宿区 四谷四丁目22番) 死没 1970年 11月25日(45歳没)日本・東京都新宿区市谷本村町1番地(現・市谷本村町5-1) 陸上自衛隊 市ヶ谷駐屯地 墓地 多磨

  2. ja.wikipedia.org › wiki › 三島事件三島事件 - Wikipedia

    三島事件 (みしまじけん)とは、 1970年 ( 昭和 45年) 11月25日 に作家の 三島由紀夫 (本名・平岡公威)が、 憲法改正 のため 自衛隊 に決起( クーデター )を呼びかけた後に 割腹 自殺をした事件である。 三島が隊長を務める「 楯の会 」のメンバーも事件に参加したことから、その団体の名前をとって 楯の会事件 (たてのかいじけん)とも呼ばれる [1] [2] 。 この事件は日本社会に大きな衝撃をもたらしただけではなく、日本国外でも速報ニュースとなり、国際的な名声を持つ作家が起こした異例の行動に一様に驚きを示した [3] [4] 。

    • 執筆背景・動機
    • あらすじ
    • 文壇での反響
    • 作品評価・研究
    • エピソード
    • おもな刊行本
    • 関連小説・関連本
    • 映画化
    • ラジオドラマ化

    題材・モデル

    『金閣寺』の題材は、1950年(昭和25年)7月2日未明に実際に起きた「金閣寺放火事件」から取られたが、三島独自の人物造型、観念を加え構築し、文学作品として構成している。三島の没後30年の2000年(平成12年)に全公開された「『金閣寺』創作ノート」には、より詳細な構想の過程が見て取れる[注釈 2]。構想には、「金閣寺放火事件」について小林秀雄が述べたエッセイ「金閣焼亡」(1950年9月)からの刺激もあったとされる。また奥野健男が『太宰治論』を書く際に参考にしたミンコフスキー著の『精神分裂病』(La schizophrénie) を勧められ、『金閣寺』の執筆以前に読んでいたとされる[注釈 3]。 1955年(昭和30年)9月から、肉体改造(ボディビル)に乗り出した三島(当時30歳)は、「行為」の意味を模索し始め、その5年前に起った「金閣寺放火事件」の犯人・林養賢の犯罪事件(美に対する反感)を、「美への行為」と見なすことで、そこに三島自身の問題性、文学的モチーフを盛り込み、自らの人生の主題を賭ける新たな素材とした。また「創作ノート」には、〈林養賢は書かざる芸術家、犯罪の天才〉という...

    実際の事件との違い

    「金閣寺放火事件」の犯人・林養賢も作中の〈私〉同様、吃音であるなど共通点があり、実際の事件に仮託してはいるが、事実はあくまで創作の契機と素材をあたえたにとどまり、小説『金閣寺』は一個の文学作品であるから当然ではあるが、作中の人物はもとより、〈私〉の行動などは事実とはかなり異なる。一例として、終結部分で、〈私〉は生きようとして小刀とカルモチン(催眠剤)を投げ捨てているが、林養賢は、山中でカルモチンを飲んだ上、小刀で切腹した(未遂に終わる)。 なお、この終結部に関して三島は、小林秀雄から「どうして殺さなかったのかね、あの人を」と質問され、〈小説で人を殺した経験は大分ありますが、どうも人を殺すのはむつかしい〉、〈生かすべき所で殺しちゃったり、殺すべき所で生かしちゃって、計画が齟齬したということがありますね。あれは殺しちゃったほうがよかったんですね〉、〈でも、ぼく、人間がこれから生きようとするとき牢屋しかない、というのが、ちょっと狙いだったんです〉と語っている。

    文体・自己改造

    文体は硬質で理知的なものとなっており、三島は『金閣寺』連載中、自身の文体の変遷について、森鷗外の〈清澄な知的文体〉、〈感受性の一トかけらもなく、あるひはそれが完全に抑圧されて〉いる文体を模写することで、〈自分を改造しようと試みた〉とし、〈感性的なものから知的なものへ、女性的なものから男性的なものへ〉、〈個性的であるよりも普遍的〉なものを目指したと語り、〈作家にとつての文体は、作家のザイン[注釈 4]を現はすものではなく、常にゾルレン[注釈 5]を現はすものだ〉とし、自らが在るべきだと思う在り方(ゾルレン)を示すのが文体であり、その〈知的努力〉が主題と関わりを持てるとしている。 『金閣寺』の基本構造は、主人公が自身の過去を振り返って告白するという設定で、これは『仮面の告白』の構造に似ていることがよく指摘されている。三島は『金閣寺』刊行から約2年半後、〈やつと私は、自分の気質を完全に利用して、それを思想に晶化させようとする試みに安心して立戻っており、それは曲がりなりにも成功して〉と述べており、『仮面の告白』同様、『金閣寺』でも、自らのこれまでの気質や、実人生と相反する美学を克服し、次...

    日本海へ突き出た成生岬の辺鄙な貧しい寺に生まれた溝口(「私」)は、僧侶である父から、金閣ほど美しいものはこの世にないと聞かされて育った。父から繰り返し聞く金閣寺の話は、常に完璧な美としての金閣であり、溝口は金閣を夢想しながら地上最高の美として思い描いていた。 体も弱く、生来の吃音のため自己の意思や感情の表現がうまくできない溝口は、皆にからかわれ、極度の引っ込み思案となり、人に親しまれず、内攻したコンプレックスのために、海軍機関学校に行った先輩が持っていた美しい短剣の鞘に醜い傷をつけたこともあった。また、官能的で美しい娘・有為子に嘲られ、軽蔑されたこともあり、女と自分とのあいだに精神的な高い壁を感じ、青春期らしい明るさも恋愛もなく生きていた[注釈 6]。 やがて溝口は、病弱であった父の勧めで、...

    『金閣寺』は刊行同年の12月25日付の読売新聞の「1956年読売ベスト・スリー」に、選考員10名中全員(荒正人、伊藤整、臼井吉見、亀井勝一郎、河盛好蔵、高橋義孝、平野謙、本多顕彰、山本健吉、吉田健一)の推薦を受けて選ばれ、この票をまとめた中村光夫も「古典の風格」と高評価した。 当時の他の作家や文芸評論家たちの反響も総じて良好で、連載中から「傑作」と称され、評価が高かった。戦後派文学に対し懐疑的で黙殺していた旧『文學界』同人や鎌倉文士を中心とした主流派の文学者も、三島を自分たちの正統な後継者と認め出し、それまで珍奇な異常児扱いであった三島が一目置かれるようになった。また三島を日本浪漫派の「狂い咲きの徒花」、ブルジョア芸術派と敵視していた左翼文学者たちも、三島の才能や実力をそれなりに認めるように...

    三島文学の金字塔、近代日本文学の傑作として評価が定着している『金閣寺』には、数多くの評論や研究分析が尽きることなく、文芸的なもの、三島の気質や人生との関係から捉えたもの、実際の放火事件と比較したもの、精神分析的な見地のもの、語りの性質、小説の構造や論理を解明したもの、など多岐にわたっている。まとまった論文で最初のものは、三島と同時代の作家・中村光夫の評論があり、三島の破滅願望やそれが不可能となった戦後社会に対する反感を看取しながら分析したものの先駆としては野口武彦や磯田光一の論がある。 『金閣寺』を三島の作品の中でも「出色の作」「傑作」と評する中村光夫は、三島が自身で、本職の小説を書くときより戯曲の方が〈はるかに大胆素直に告白できる〉とし、それが〈現在の私にとつて、詩作の代用をしてゐるからで...

    三島は『金閣寺』の取材のため、南禅寺ちかくの宿に泊まっていたが、同じ宿には伴淳三郎も偶然泊まっていたという。三島は、〈同宿の伴淳三郎氏と知り合ひになり、ときどき声をかけ合つて、愉快に暮した〉と述べている。
    10万部を突破した記念として担当編集者の発案で革装の特装本が作られた。新潮社ではこれ以降、10万部を突破した記念に革装本を作るのが恒例となった。

    単行本

    1. 『金閣寺』(新潮社、1956年10月30日) NCID BN0930869X 1.1. カバー装幀:今野忠一。紙装。薄青色帯。263頁 1.2. ※ 私家限定本(総革装。天金。検印紙なし。見返しマーブル紙使用。)4部あり。これは10万部を超したときの、新潮社から三島へのプレゼント。 2. 限定版『金閣寺』(新潮社、1956年10月30日) 限定200部(署名入) 2.1. 装幀:寺元美茂。総革装。三方金。貼函。巻紙。家紋金箔押し。奥付および函の巻紙に限定番号記番。見返しに署名。263頁 2.2. ※ 200部のうち、20部は無番号で著者家蔵本。 3. 文庫版 『金閣寺』(新潮文庫、1960年9月15日。改版1967年3月20日、1987年5月25日、2003年5月30日、2020年11月1日) 3.1. カバー装幀:今野忠一。白色帯。解説:中村光夫 3.2. ※ 改版1987年より、新たに佐伯彰一「人と文学」、注解(田中美代子)、年譜が記載。 3.3. ※ 改版2003年より、カバーを速水御舟『炎舞』に改装。 3.4. ※ 改版2020年より、新たに恩田陸解説を追加。 4....

    全集

    1. 『三島由紀夫全集10巻(小説X)』(新潮社、1973年4月25日) 1.1. 装幀:杉山寧。四六判。背革紙継ぎ装。貼函。 1.2. 月報:芥川比呂志「稽古場の三島由紀夫氏」。《評伝・三島由紀夫 1》佐伯彰一「二つの遺書(その1)」。《同時代評から 1》虫明亜呂無「主として『金閣寺』をめぐって」 1.3. 収録作品:「金閣寺」「十九歳」「施餓鬼舟」「橋づくし」「女方」「美徳のよろめき」「貴顕」「百万円煎餅」「スタア」 1.4. ※ 同一内容で豪華限定版(装幀:杉山寧。総革装。天金。緑革貼函。段ボール夫婦外函。A5変型版。本文2色刷。)が1,000部あり。 2. 『決定版 三島由紀夫全集6巻 長編6』(新潮社、2001年5月10日) 2.1. 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。四六判。貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。 2.2. 月報: 徳岡孝夫「唯識、法相……心々ですさかい」。高橋睦郎「三島由紀夫のエラボレーション」。[小説の創り方6]田中美代子「奈落の階梯」 2.3. 収録作品:「金閣寺」「永すぎた春」「美徳のよろめき」「『金閣寺』創作ノート」

    三島の『金閣寺』に触発された水上勉は、この6年後に同じ事件を題材とした長編小説『五番町夕霧楼』(1962年)、ノンフィクション的作品『金閣炎上』(1979年)を発表した。なお、酒井順子は、この生まれも育ちも対照的な三島と水上勉の両者の作品を『金閣寺の燃やし方』(2010年)で比較している。また、放火の日本文学の系譜を描いた評論に多田道太郎の『変身 放火論』(1998年)や、金閣寺の放火僧・林養賢と三島を比較した内海健の『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』(2020年)などがある。 なお、中村光夫、三好行雄らをはじめとする数多い『金閣寺』の文学作品論17篇を収録したものに、佐藤秀明の『三島由紀夫『金閣寺』作品論集』(2002年)がある。

    『炎上』(大映京都) 1958年(昭和33年)8月封切。モノクロ 1時間39分。
    『金閣寺』(映像京都 = ATG) 1976年(昭和51年)7月封切。カラー 1時間49分。
    『Mishima: A Life In Four Chapters』 1985年(昭和60年) カラー/モノクロ 2時間1分。日本未公開
    シネマ劇場『炎上』(ニッポン放送)
    現代日本文学特集 第5夜『金閣寺』(NHKラジオ第二)
  3. 内容. 補足. 関連肉声資料. 全集収録. 脚注. 注釈. 出典. 参考文献. 関連事項. 外部リンク. 檄 (三島由紀夫) 『 檄 』(げき三島由紀夫 の最後の 声明文 。 1970年 (昭和45年) 11月25日 、 陸上自衛隊 市ヶ谷駐屯地 内の 東部方面総監 室を占拠後( 三島事件 )、 バルコニー から演説する際に撒布されたもの [注釈 1] 。 原稿用紙にして9枚ほどの長さの10段落の文章で、B4の紙2枚に三島の 肉筆 でびっしり書かれている [2] 。 三島の死後、様々な誌面や三島論で引用されることの多い声明文である。 同書は、当日に市ヶ谷会館にて、 ジャーナリスト の 徳岡孝夫 と 伊達宗克 にも封書に同封されて託された [2] [3] 。

  4. ja.wikipedia.org › wiki › 憂国憂国 - Wikipedia

    『 憂国 』(ゆうこく三島由紀夫 の 短編小説 。 原題は旧漢字の『 憂國 』である。 仲間から 蹶起 に誘われなかった新婚の 中尉 が、 叛乱 軍とされた仲間を逆に討伐せねばならなくなった立場に懊悩し、妻とともに 心中 する物語。 三島の代表作の一つで、 二・二六事件 の外伝的作品である [1] 。 1961年 (昭和36年)1月の小説発表の4年後には、三島自身が監督・主演などを務めた映画も制作され、 ツール 国際短編 映画祭 劇映画部門第2位を受賞した [2] [3] 。 大義に殉ずる者の至福と美を主題に、 皇軍 への忠義の下、死と エロティシズム 、夥しい流血と痛苦をともなう 割腹 自殺が克明に描かれている [4] [5] 。

  5. 登場人物. 作品評価・研究. テレビドラマ化. ラジオドラマ化. おもな刊行本. 全集収録. 脚注. 参考文献. 関連項目. 女神 (三島由紀夫) 『 女神 』(めがみ三島由紀夫 の11作目の 長編小説 ( 中編小説 とみなされることもある [1] [2] )。 理想 の女性美を追い求め、自分の娘を 美 の化身にしようと 教育 する父親と、生身の女の ジレンマ を超えて 女神 へと化身する娘の物語。 自然 から絶対美を創造しようとする男の偏執と、その娘が日常的な愛欲に蝕まれそうになりながらも、 大理石 のような純粋な被造物へと転化する過程を通し、 芸術家 の反自然的情熱と芸術作品との関係性、 芸術 と 人生 との対比が 暗喩 的に描かれている [2] 。

  6. ja.wikipedia.org › wiki › 豊饒の海豊饒の海 - Wikipedia

    『 豊饒の海 』(ほうじょうのうみ三島由紀夫 の最後の 長編小説 。 『 浜松中納言物語 』を典拠とした 夢 と 転生 の物語で [1] 、『 春の雪 』『 奔馬 』『 暁の寺 』『 天人五衰 』の全4巻から成る。 最後に三島が目指した「 世界 解釈の小説」「究極の小説」である [1] [2] 。 予定より早い最終回で了となる最終巻の入稿日に三島は、 陸上自衛隊 市ヶ谷駐屯地 で 割腹 自殺した( 三島事件 )。 第一巻は 貴族 の世界を舞台にした恋愛、第二巻は 右翼 的青年の 行動 、第三巻は 唯識論 を突き詰めようとする初老の男性と タイ 王室の官能的美女との係わり、第四巻は 認識 に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。