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概説. 吊橋と斜張橋。 両者の差異については、 斜張橋#吊橋との相違 を参照。 一般的な用法としては、小さな谷や川に縄ばしごを渡しただけのような簡易なものから、 海峡 などに架けられる大規模なものまで吊橋と称する。 斜張橋 もケーブルの張力を利用した吊り構造という点では同じであるため、広義には吊橋の一種とも言える [1]。 現代の 土木工学 分野における分類において吊橋は、主塔とそれに渡されるメインケーブル [注釈 1] を持ち、そのケーブルから鉛直に垂らされた ハンガーロープ で 桁 を支持する橋を指す。 桁はその上に床板を置き、 道路 や 鉄道 、人などが通る部分である。 これに対し、ハンガーロープがなく、複数のケーブルを斜めに張って直接桁を支えるものは斜張橋と呼ばれ、区別される。
照葉大吊橋(てるはおおつりばし、綾の照葉大吊橋)は、宮崎県 東諸県郡 綾町の本庄川(綾南川、大淀川の支流)に架かる吊橋。 土木学会デザイン賞 2004 優秀賞 受賞。
概要. 定山渓温泉 中心部にあり、市道定山渓中央線の橋となっている。 橋の中央部が両側に張り出しており、それぞれに定山渓温泉のマスコットになっている 河童 の像(「ミスジョウザンケイカッパ」、「ボクと記念写真」)が設置されている [2]。 歴史. 1871年 (明治4年)に 定山渓 最初の橋として架けられ、定山坊(美泉定山)によって「回春橋」と名づけられた [3]。 絵図『北海道石狩州札幌府南定山渓温泉真景之図』によると、当時の回春橋は欄干のない簡素な木橋であった。 1873年 (明治6年)には洪水で橋が流されてしまい、 1886年 (明治19年)に 北海道庁 が虻田道路を改修した際に再び橋が架けられ、「月見橋」と改称した。
桃介橋 (ももすけばし)は、 長野県 木曽郡 南木曽町 読書(よみかき)にある 木曽川 に架けられた 橋。 橋の名は橋の建築主である 大同電力 社長 福澤桃介 に因む。 桃の橋 とも称される。 1922年 (大正 11年)に完成した 木橋 である。 1978年 (昭和 53年)には破損・老朽化のため使用取りやめとなり、廃橋の町議会決議を受けるに至った。 しかし撤去のための費用がなかったために実際に廃橋とはならず、 1993年 (平成 5年)に南木曽町の ふるさと創生事業 「大正ロマンを偲ぶ桃介記念公園整備事業」の一環として復元され、再び渡河の用に供されるようになった [1][2]。
チェーン吊橋とは、メインケーブルにチェーンを使用する吊橋である。 19世紀初頭には、ネックレスチェーンのような鉄輪をつなぎ合わせたリンクチェーンを使った吊橋も複数建設されたが、強度の問題などからあまり建設されなくなっていった [ 15
塔羅湾溪を越える吊り橋(廬山吊橋)が温泉街の入り口となり、塔羅湾溪沿いに温泉街が広がる。 水害の影響や政府の廃止告知などの影響で営業を停止しているホテルや商店も多い。
麻生大橋 (あそうおおはし)は、 福島県 河沼郡 柳津町 大字飯谷の 只見川 に架かる柳津町道持寄麻生線の橋長201.7 m(メートル)の 鋼 単径間連続 吊橋。 概要. 麻生大橋は景観を考慮して 吊橋 が採用された [1]。 上部工は中央径間が鋼吊橋、両側径間がPCT桁となっており、中央径間は吊橋の死荷重を積極的に利用し剛性を高めようとした重橋床式吊橋を採用した。 重橋床式吊橋では一般に耐風索を要しないこと、塗装面積を削減できるという利点を有する一方、一般に死荷重としてはコンクリート 床版 によるものが大きいが、耐風安定性のために床版として必要な厚さ以上を要求されることがある。 維持費低減のため、 耐候性鋼 材・亜鉛メッキ・ ステンレス鋼 を使用し維持費低減を図った [2][1]。