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  1. 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京帝国大学文学部

    東京大学大学院人文社会系研究科(とうきょうだいがくだいがくいんじんぶんしゃかいけいけんきゅうか、英称:Graduate School of Humanities and Sociology, The University of Tokyo)は、東京大学に設置される大学院 研究科の一つである。 また、東京大学文学部 ...

  2. 東京大学大学院数物系研究科 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京大学大学院数物系研究科

    東京大学大学院数物系研究科(とうきょうだいがくだいがくいんすうぶつけいけんきゅうか)は、東京大学に設置されていた大学院 研究科の一つである。 化学と生物学以外の理学系と工学系の専攻がおかれていた。 1953年(昭和28年)、新制の東京大学大学院研究科の一 ...

  3. 東京大学社会科学研究所 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京大学社会科学研究所
    • 概要
    • 沿革
    • 構成
    • 主な研究スタッフ
    • 刊行物
    • 大学院教育
    • 外部リンク

    1946年、南原繁東大総長のイニシアチブで、「平和民主国家及び文化日本建設のための、真に科学的な調査研究を目指す機関」として同大学に付置された。 1996年に国内で初めての本格的なデータアーカイブ (SSJDA) を開始した。

    1946年8月 - 東京帝国大学の附置研究所として社会科学研究所設置。初代の研究所長は矢内原忠雄。
    1947年2月1日- 開所記念講演会開催(以後、2月1日を開所記念日としている)。
    1996年 - 附属日本社会研究情報センターを10年間の時限組織として設置(国立大学法人化後に恒久的な組織となった)。

    研究部門

    1. 比較現代法部門 2. 比較現代政治部門 3. 比較現代経済部門 4. 比較現代社会部門 5. 国際日本社会部門

    附属施設

    1. 社会調査・データアーカイブ研究センター(共同利用・共同研究拠点) 1.1. 社会調査データアーカイブ (SSJDA) を公開。収集した一次データの二次分析も行われている。

    教授

    1. 宇野重規 2. 大沢真理 3. 玄田有史 4. 渋谷博史 5. 中村尚史 6. 平島健司 7. 末廣昭 8. 水町勇一郎 9. 田中亘

    准教授

    1. 加藤晋 2. 前田幸男

    『社会科学』(1948年創刊)
    『Social Science Japan Journal (SSJJ)』(国際英文学術雑誌)- オックスフォード大学出版局より刊行。社会科学学術文献引用索引 (SSCI) に公式登録されている。
    『SSJ Newsletter』- 日本社会のタイムリーなトピックを特集。

    社会科学研究所は他の東大附置研究所と同様に大学院教育の一部を担当している。具体的には以下の研究科の講義・演習の一部を受け持っている。 1. 法学政治学研究科 2. 経済学研究科 3. 人文社会系研究科 4. 教育学研究科 5. 総合文化研究科 6. 新領域創成科学研究科 7. 公共政策学教育部 8. 学際情報学府

  4. 東京大学大学院情報理工学系研究科 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京大学大学院情報理工

    東京大学大学院情報理工学系研究科(とうきょうだいがくだいがくいんじょうほうりこうがくけいけんきゅうか、英称:Graduate School of Information Science and Technology)は、東京大学に設置される大学院 研究科の一つである。 情報理工学系研究科という名称の ...

  5. 東京大学大学院理学系研究科・理学部 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京大学大学院理学系研究
    • 基礎データ
    • 沿革
    • 教育と研究
    • 同窓会
    • 施設
    • 関連項目
    • 外部リンク

    所在地

    理学部の施設は学部事務室の置かれている東京都文京区本郷の本郷キャンパスの他、同弥生の浅野キャンパス(生物化学科、生物情報科学科)、目黒区駒場の駒場Iキャンパス(数学科)にも分散している。また理学系研究科の一部研究室は千葉県柏市柏の葉地区の柏キャンパスにも置かれている。

    象徴

    理学部のスクールカラーは樺色である。また、理学系研究科・理学部のロゴマークも存在し、「り」と「S」の文字を図案化したものとなっている。ロゴマークは2007年に制定された。

    理学部

    理学部は1877年の東京大学((旧)東京大学)設立時からある学部の一つであり、特に化学科は1877年に卒業生(3名)を出した唯一の学科である。当初は数学科、物理学科、化学科(純正化学、応用化学)、生物学科(動物学、植物学)、星学科、工学科(機械工学、土木工学)、地質学科、採鉱冶金学科の8学科で構成されていた。また、学部設置とともに小石川植物園が東京大学理学部附属施設となった。 1885年には、工学科および採鉱冶金学科学科が新設の工芸学部に移り、その翌年の1886年には数学科、星学科、物理学科、化学科、動物学科、植物学科、地質学科(1907年地質学科と鉱物学科に分割)からなる帝国大学理科大学(1897年より東京帝国大学理科大学)となった。同時に臨海実験所も設置された。 1919年に東京帝国大学理学部となった後は、地理学科(1919年設置)、天文学科(1919年星学科から改称)、地震学科(1923年の関東大震災後に設置、1941年地球物理学科に改称)、人類学科(1939年設置)と学科新設・改称が行われたが、1949年に新制東京大学理学部となる際に学科の統合が行われ、数学科、物理学科(...

    理学系研究科

    大学院に関しては、1953年に新制大学院が設置された当初は数物系研究科、化学系研究科、生物系研究科といった部局横断的な研究科が設置され、理学部の各学科に対応した大学院課程は3研究科に分散して置かれていたが、1965年には理学系研究科など各学部に対応した研究科に再編された。 理学系研究科は1992年から1993年にかけて大学院重点化された(情報科学専攻、物理学専攻、天文学専攻、地球惑星物理学専攻、化学専攻、生物化学専攻、動物学専攻、植物学専攻、人類学専攻、地質学専攻、鉱物学専攻、地理学専攻の12専攻)。大学院重点化については当初は、学部を大学院に統合する大学院重点化(「理学院計画」と呼ばれる)を計画していたが、制度面で困難が生じたため、最終的には(現在のように)大学院部局化による大学院重点化を行うこととなった。また、この大学院重点化と同時に、従来理学系研究科に属していた数学専攻は数理科学研究科数理科学専攻へ移行した。 1995年には動物学専攻、植物学専攻、人類学専攻の3専攻が統合されて生物科学専攻となり、2000年には地球惑星物理学専攻、地質学専攻、鉱物学専攻、地理学専攻の4専攻が...

    教育

    理学部では、すべての学科で演習または実験・実習が必修となっている。また、学部教育特別プログラムとして2005年より「生物情報科学学部教育プログラム」(前身の「生物情報科学学部教育特別プログラム」も含めれば2001年より)および「アクチュアリー・統計プログラム」が行われている。

    東京大学理学部では学部全体の同窓会は存在せず、各学科ごとの同窓会のみとなっている。 1. 東京大学理学部数学教室・大学院数理科学研究科同窓会(東大数学同窓会)(数学科) 2. 東京大学心青会(情報科学科)

    キャンパスについて → 東京大学本郷地区キャンパス#本郷キャンパス、東京大学駒場地区キャンパス#駒場Iキャンパス、東京大学柏地区キャンパス#柏キャンパスを参照
    代表的な建造物について → 東京大学の建造物#理学部を参照
    東京大学 - 理学部 - 理学研究科
    理学 - 自然科学 - 基礎科学
  6. 東京大学大学院工学系研究科・工学部 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京大学工学部
    • 沿革
    • 教育と研究
    • 同窓会
    • 外部リンク

    略歴

    旧東京大学理学部より分割された工芸学部と、工部省所轄の工部大学校を統合して、1886年に帝国大学工科大学(1897年より東京帝国大学工科大学)が設置された。当時は土木工学科、造家学科、機械工学科、造船学科、電気工学科、採鉱及冶金学科、応用化学科の7学科で構成されていた。その後、1919年に分科大学制が廃止され東京帝国大学工学部となった。1942年に、本郷地区(東京市本郷区)を第一工学部に改称し、千葉県千葉市に第二工学部が設置された。 1949年に新制東京大学工学部となった時には、土木工学科(現:社会基盤学科)、建築学科、機械工学科、精密工学科、船舶工学科(現:システム創成学科)、電気工学科(現:電気電子工学科)、計測工学科(現:物理工学科・計数工学科)、石油工学科(1951年に廃止)、鉱山学科(現:システム創成学科)、冶金学科(現:マテリアル工学科)、応用化学科(現:応用化学科・化学システム工学科・化学生命工学科)の11学科で構成されていた。同時に、第二工学部を母体として生産技術研究所が設置された。 その後、さらなる学科統合・新設・改称を経て、現在は16学科となっている。工学部は...

    年表

    1. 1886年(明治19年)3月 帝国大学設置。東京大学工芸学部と工部大学校の合併により、工科大学を設置、7学科。 2. 1897年(明治30年)6月 帝国大学を東京帝国大学に改称した。 3. 1919年(大正08年)2月 工科大学は、工学部となる。 4. 1939年(昭和14年)10月 附属総合試験所を設置した。 5. 1942年(昭和17年)4月 本郷地区を第一工学部に改称、千葉市に第二工学部を設置した。 6. 1947年(昭和22年)10月 東京帝国大学が東京大学に改称された。 7. 1949年(昭和24年)5月 新制の東京大学となる。11学科、第二工学部を母体として生産技術研究所を設置した。 8. 1951年(昭和26年) 8.1. 2月 工学部分校を設置した。 8.2. 3月 第二工学部が閉学した。 9. 1953年(昭和28年)4月 新制の大学院が発足した。 10. 1954年(昭和29年)3月 工学部分校を廃止した。 11. 1965年(昭和40年)4月 大学院工学系研究科を設置した。 12. 1967年(昭和42年)6月 附属原子力工学研究施設を設置した。 13...

    附属施設

    工学系研究科附属 1. 水環境工学研究センター 2. 量子相エレクトロニクス研究センター 3. 総合研究機構 4. エネルギー・資源フロンティアセンター 5. 光量子科学研究センター 6. 国際工学教育推進機構 1. 1.1. 国際化教育センター 1.2. 工学教育基盤強化推進センター 1.3. 国際事業推進センター 1.4. 学際共同教育研究センター 1.5. プロジェクト型工学教育センター 1. 医療福祉工学開発評価研究センター 2. レジリエンス工学研究センター 3. スピントロニクス学術連携研究教育センター 4. 人工物工学研究センター

    東京大学工学部丁友会(ていゆうかい)

    工学部の同窓会組織である。鉄門倶楽部と同様に、工科大学のボート部の応援団として発足した。"丁"は工科大学のマークであった"T"に由来する。現在、工学部には丁友会関連のサークルが9つ存在し、丁友会の支援を受けているが、東京大学工学部生でなくても加入できる。

    傘下団体

    1. アビオニクス研究会(飛行ロボット) 2. RoboTech(大学ロボコン) 3. モーター同好会(軽レーシングカー製作) 4. F-tec(東京大学飛行理論実践委員会)(人力飛行機製作) 5. iGEM UT-Tokyo(合成生物学) 6. 丁友会剣道部 7. 丁友会硬式野球部 8. TEIYU(丁友会テニス部 9. ラブオール(丁友会バドミントン部)

  7. 東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京大学大学院農学系研究科
    • 沿革
    • 施設
    • 参考文献
    • 関連項目
    • 外部リンク

    東京帝国大学農学部

    1886年(明治19年)設立の農商務省東京農林学校が1890年(明治23年)に文部省(現:文部科学省)へ移管されて、帝国大学に農学の分科大学として設置された帝国大学農科大学は、1897年(明治30年)に東京帝国大学農科大学となり、さらに1919年(大正8年)には東京帝国大学農学部となった。 農学部は駒場農学校以来、駒場の地に所在していたが、関東大震災後の1931年(昭和6年)に第一高等学校と東京帝国大学との敷地交換が決定し、1935年(昭和10年)に農学部は本郷(現在の弥生キャンパス)に移転した。 文部省と大学側で協議し、帝国大学農学部では農学科から農芸化学科を分離させ、学部全体で20講座体制でスタートさせた。1925年(大正14年)には農業経済学科、1935年(昭和10年)には農業土木学科がそれぞれ講座から分離独立して学科に昇格し、以後、農業工学科、畜産学科など農学部内の学科は4学科にまで分化した。農学部共通講座として動物学と植物学講座を設置していたが、両方とも後に林学科に抱合されている。

    東京大学農学部

    第二次世界大戦後、1949年(昭和24年)の学制改革による学制改組後の新制大学として発足した新制東京大学では農学部組織は従来存在した農学科、農芸化学科、林学科、水産学科、農業工学科、農業経済学科、農業土木学科の各学科は維持されたが、獣医学科は廃止され、農学科の畜産学専修と合わせて畜産学科となった。なお、1950年(昭和25年)に畜産学科から獣医学科が分離されるが、1964年(昭和39年)に再統合されて獣医畜産学科となった。その後も学科の改称・改組は行われたが、1994年(平成6年)に学科制が廃止されて現在の課程制に移行した。

    キャンパスについて → 東京大学本郷地区キャンパス#弥生キャンパスを参照
    代表的な建造物について → 東京大学の建造物#弥生キャンパスを参照
  8. 東京大学大学院医学系研究科・医学部 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京大学大学院医学系研究科
    • 沿革
    • 理科三類の創設
    • 教育と研究
    • 施設
    • 関連項目
    • 外部リンク

    医学部には1877年の東京大学((旧)東京大学)設立と同時に医学科、製薬学科(1887年に薬学科に改称された後、1958年に薬学部として独立)が設置され、1953年に衛生看護学科が設置された。衛生看護学科は看護婦養成を目的としており、入学者を女子に限定していた(衛生看護学科は前期課程とは別枠で入学者を募集していた)が、1965年に保健学科と改称し、健康科学の教育・研究を主体とする学科になった。さらに1992年には、健康科学・看護学科と、2010年には、健康総合科学科と改称された。 1962年に前期課程に理科三類がおかれるまでは、医学科は理科二類または理科一類の学生の中から選抜試験を行って学生を受け入れており、上で述べたように衛生看護学科も別枠募集であったため、通常の進学振分けを行う学科は薬学科のみという、東大内では少し変わった学部であった。なお、現在はすべての学科で通常の進学振分けを行っている。 大学院に関しては、1953年に新制大学院として生物系研究科医学専門課程が設置されたが、1965年に医学系研究科に改組され、保健学専門課程が新設された。1987年には専門課程が専攻に改称された。 医学系研究科には4年制の医学博士課程として、第一基礎医学専攻、第二基礎医学専攻、第三基礎医学専攻、第一臨床医学専攻、第二臨床医学専攻、第三臨床医学専攻、第四臨床医学専攻、社会医学専攻の8専攻が設置されていたが、大学院重点化に伴い、1995年から1997年にかけて現在の9専攻に改組された。また、1992年に国際保健学専攻が設置され(1996年重点化)、1996年には保健学専攻が大学院重点化によって健康科学・看護学専攻に改組された。1999年には医学科・歯学科・獣医学科以外の学部卒業者を対象とする医科学専攻修士課程が設置され、医学博士課程と合わせて6年間の一貫教育を行うようになった(ただし、博士課程への入学試験は存在する)。さらに2007年には、専門職大学院(公衆衛生大学院)として公共健康医学専攻が設置された。

    新制大学としての東京大学医学部の設置は1951年度からなったが、これはいわゆる医学進学課程をもたない専門学部のみの医科大学(医学部)であった。そして、1951年度より新制東京大学の入学試験は教養学部各科類の他に医学部の入学試験も併せて行われた(1951年度の入学者104名の内訳は、東大教養学部64名、他大学教養部8名、旧制高校32名。なお、志願者は688名であり、内訳は、東大教養学部183名、他大学教養部176名、旧制高校306名、他大学旧制予科23名。)。これはあくまで入学試験であり、医学部進学希望者を含む理科二類からの入学希望者も平等に入学選抜試験を受けなければならない所謂医学部のみの公募であった。そのため、理科二類から医学部入学を希望して果たせなかった者は、他の学部へ進路を転換するか、次年度に望みを託して浪人することになり、新たな進学問題を内に孕んでいたといえる。この医学部の公募制は1962年度に理科三類が教養学部に設けられるまで続いた。 1958年5月に東京大学に設置された大学制度審議会の第三回会合において、教養学部のあり方に関し、専門諸学部から見解が開陳された。そこで掲示された問題点の多くは進学振分けに際して不利益を被っている学部から出されている。医学部に関する指摘を抜粋すると、「理科二類では医学部入学のための腰かけ在籍者が多く、学科によっては定員われを生じている。」(農学部)、「公募制に二重手間など若干支障あり」(医学部)という指摘がなされた。その後、検討が加えられ、最終的に1961年4月28日の専門委員会において「東京大学教養学部の科類別および募集人員について」が採択された。これは5月2日の学部長会議で一部修正されて、5月9日正式発表となった。ここにおいて、「(一)東京大学教養学部の科類別については、東京大学制度審議会を設けて四年にわたり慎重に審議した結果、従来の文科一類、文科二類、理科一類、理科二類の分類を変更し、昭和三十七年度より新しい科類別に従って、入学試験を実施することとする。(中略)(三)医学部医学科に進学を希望する者に対しては、従来入学の二年後に改めて選抜試験を実施したが、三十七年度教養学部入学者よりはこれを実施せず、他学部に準じる進学振分けの方法による。」とされ、現行の科類区分が成立した。この進学制度の改革により、医学部医学科へはほ...

    教育

    医学科では、3-6年生のことをそれぞれM1-M4と呼び(他学科ではM1-M3は博士課程学生を表す)、医学科に内定した2年生をM0と呼ぶ。また、鉄門系サークル(鉄門倶楽部参照)では理科三類1年生、2年生をそれぞれC1、C2と呼んでいる。 医学科は基本的にすべての授業科目が必修であり、単位制を採用していない(健康科学・看護学科および東京大学の他の学部はすべて単位制である)。 また医学科生を対象として、2003年度より「Ph.D.-M.D.コース」が、2008年度より「MD研究者育成プログラム」が行われている。どちらも基礎医学研究者を早期養成するための制度であるが、前者ではM2あるいはM3から大学院医学系研究科博士課程に飛び入学する(大学院修了後に学部に再入学することも可能である)のに対し、後者ではM1から通常の医学科カリキュラムと平行して基礎系の各研究室で研究を行い、卒業と同時に医学系研究科博士課程に入学する(医師国家試験が受験可能)。

    キャンパスについて → 東京大学本郷地区キャンパス#本郷キャンパスを参照
    代表的な建造物について → 東京大学の建造物#医学部を参照
    東京大学 - 医学部 - 医学系研究科
    大学東校 - 東京医学校
  9. 慶應義塾大学大学院文学研究科・文学部 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 慶應義塾大学文学部
    • 概要
    • 沿革
    • キャンパス
    • 大学院
    • 研究所

    蘭学塾として出発した当初から語学校としての性格を持っており、英学塾にも持ち越され、ドイツ語・フランス語の専門学を始めた。旧制大学時代に設置されていた文学科を新制大学時に改組して設置した学部。理財・法律と並んで慶應義塾で最も古い伝統を持つ。1910年(明治43年)に哲学、史学、文学の3専攻を興す。特徴として、入学時は全員が人文社会学科に所属し、2年進級時に17専攻を選択できるという点が挙げられる。また、三田文学会の機関誌として『三田文学』を発行し、三田文学新人賞を主催している。1921年(大正10年)創刊の『史学』をはじめ、『哲学』1926年(大正15年)、『藝文研究』1951年(昭和26年)、『Library and information science』1963年(昭和38年)などの紙媒体を持ち、教員の研究成果を発表している。

    1858年 - 福澤諭吉が江戸中津藩中屋敷内に蘭学塾を設置。
    1871年 - 三田の島原藩中屋敷跡地へ移転。屋敷の一室「月波楼」を図書室とする。
    1890年 - 大学部が発足し、文学・理財・法律の三科を設置。ウィリアム・リスカムが主任教師に就任。
    日吉キャンパス
    三田キャンパス
    哲学・倫理学専攻
    美学美術史学専攻
    史学専攻
    国文学専攻
  10. 東京大学医科学研究所 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 東京大学医科学研究所
    • 概要
    • 沿革
    • 歴代所長
    • 組織
    • 研究
    • 大学院教育
    • 所在地・アクセス
    • 関連項目
    • 外部リンク

    1892年(明治25年)、芝公園に設立された、伝染病研究所を起源とする。ドイツ留学から帰国した北里柴三郎に当時日本で受け入れる機関がなく、国家有為の才能を発揮できない状態にあった。これを受けて、福澤諭吉が私財を投じて設立した研究所という歴史がある。国内で最初の伝染病研究所である。福澤の他に森村市左衛門、長與專齋もこれを助けた。1894年(明治27年)、大日本私立衛生会附属となった伝染病研究所は芝区愛宕町の内務省用地を借り受け、新築移転。1899年(明治32年)、伝染病研究所を国に寄付し、内務省管轄の国立伝染病研究所となる。1906年(明治39年)、現在の港区白金台に新築移転した。 1914年(大正3年)10月4日に所長にもはかられずに閣議決定し、10月14日、内務省から文部省に移管(勅令)。11月5日所長以下所員の抗議のための総辞職となり、北里は新たに私立「北里研究所」を設立して研究を続けた。1916年(大正5年)4月1日、東京帝国大学附置伝染病研究所となる。 1947年(昭和22年)、厚生省所管の国立予防衛生研究所(現:国立感染症研究所)が設置され、本研究所職員の約半数が移籍した。 国内社会の衛生状態が改善されるのに伴い、1967年(昭和42年)、「感染症・がんその他の特定疾患に関する学理及びその応用の研究」を目的とする医科学研究所に改組した。 1892年の当初から病院を有している。 時計台のある3階建てのゴシック様式風の本館は、関東大震災(1923年(大正12年))のすぐあとに、内田祥三(のちの総長)が耐震・耐火建築研究の実績に立って設計したものである。本館の奥には、8階建ての真新しい病院棟と研究棟が並び、その左右には基礎研究と臨床研究のための建物が密集している。敷地面積約7万平方メートルに、緑に囲まれた公園を有し、2001年、近代医科学記念館を開設した。

    初代 北里柴三郎 1892年11月30日〜1914年11月5日(1899.4.5より国立)
    第2代 (兼)青山胤通 1915年1月15日〜1916年3月31日
    第3代 林春雄 1916年4月1日〜1919年6月4日
    第4代 長與又郎 1919年6月4日〜1934年2月1日

    研究部門

    1. 感染・免疫部門 2. 癌・細胞増殖部門 3. 基礎医科学部門

    附属施設

    1. 病院 2. 実験動物研究施設 3. 奄美病害動物研究施設 4. 遺伝子解析施設 5. ヒトゲノム解析センター (HGC) 6. ヒト疾患モデル研究センター 7. 先端医療研究センター 8. 感染症国際研究センター

    以下の拠点が2003年度に文部科学省の21世紀COEプログラムに採択された。 1. ゲノム医科学の展開による先端医療開発拠点 ヒトゲノム解析センターを中核とした以下の拠点が2008年度にグローバルCOEプログラムに採択された。 1. ゲノム情報に基づく先端医療の教育研究拠点

    医科学研究所は東京大学の大学院教育も担当している。以下の研究科・専攻から大学院生を受け入れている。 1. 東京大学 1.1. 大学院理学系研究科 1.1.1. 生物化学専攻 1.2. 大学院農学生命科学研究科 1.2.1. 獣医学専攻 1.3. 大学院医学系研究科 1.3.1. 分子細胞生物学専攻 1.3.2. 病因・病理学専攻 1.3.3. 脳神経医学専攻 1.3.4. 生体物理医学専攻 1.3.5. 内科学専攻 1.3.6. 生殖・発達・加齢医学専攻 1.3.7. 外科学専攻 1.4. 大学院薬学系研究科 1.4.1. 機能薬学専攻 1.5. 大学院新領域創成科学研究科 1.5.1. メディカルゲノム専攻(医科学研究所の協力で設立された。講義の一部も白金台で開講されている。) 1.5.2. 情報生命科学専攻 1.6. 大学院情報理工学系研究科 1.6.1. コンピュータ科学専攻

    〒108-8639 東京都港区白金台4-6-1
    東京メトロ南北線・都営地下鉄三田線白金台駅より徒歩0分、JR山手線目黒駅より徒歩15分
    青山胤通 - 帝国大学医科大学長、伝染病研究所第2代所長、癌研究会設立者
    秦佐八郎 - 細菌学者、帝国学士院(現:日本学士院)勅選終身勅任官
    • 東京大学医科学研究所
    • The Institute of Medical Science, The University of Tokyo