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  1. 1985年 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/1985年

    1985年 (1985 ねん)は、 西暦 ( グレゴリオ暦 )による、 火曜日から始まる平年 。 昭和 60年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1985年について記載する。

  2. Category:1985年 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/Category:1985年

    1985年. 「 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Category:1985年&oldid=67950763 」から取得. カテゴリ: 1980年代. 20世紀の各年.

  3. 1985年の日本 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/1985年の日本

    1985年の日本(1985ねんのにほん)では、1985年(昭和60年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。

  4. 1985年の映画 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/1985年の映画
    • 出来事
    • 日本の映画興行
    • 各国ランキング
    • 受賞
    • 誕生

    世界

    1. 1月27日 - 第42回ゴールデングローブ賞授賞式が行われ、ドラマ部門で『アマデウス』が、ミュージカル・コメディ部門で『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』が作品賞を受賞した。 2. 2月15日 - 2月26日 - 第35回ベルリン国際映画祭が開催され、東ドイツの『Die Frau und der Fremde』とイギリスの『ウェザビー』が金熊賞を受賞した。 3. 3月25日 - 第57回アカデミー賞の結果が発表され、『アマデウス』が作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、美術賞、衣裳デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞の8部門を受賞した。

    日本

    1. 4月 - 入場税の免税点が入場料金2,000円までに引き上げられた。 2. 6月15日 - スタジオジブリが発足。最初の拠点地は東京都武蔵野市吉祥寺南町にある第2井野ビル。社長は徳間康快(徳間書店代表取締役社長)、運営者は原徹(元・トップクラフト代表取締役社長)。 3. 10月17日 - 赤坂プリンスホテルで東映配給、スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画・「天空の城ラピュタ」の製作発表会が開かれ、宮崎駿(原作、脚本、監督)、高畑勲(プロデューサー)、徳間康快(徳間書店代表取締役社長)が出席。 4. 10月25日 - 「ゴジラストーリー募集」の結果発表が行われ、佳作に小林晋一郎作・『ゴジラVSビオランテ』、三原尚樹作・『見えざる悪魔』、太田俊明作・『ゴジラⅡ』、佐藤義信作・『八千万年前の墓標』。準佳作に小林辰夫作・『ゴジラ鯛巨大ロボット軍団』、あすかあきお作・『NEWゴジラ2』、亜川竜介作・『ゴジラの血』がそれぞれ選ばれた。

    入場料金(大人)
    入場者数1億5513万人
    興行収入1734億3800万円

    日本配給収入ランキング

    1. 出典:1985年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟 1. #1 - #8の出典:1985年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟 2. 上記以外の出典:『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月、440頁。ISBN 978-4873767550。

    北米興行収入ランキング

    1. 出典:“1985 Domestic Yearly Box Office Results”. Box Office Mojo. 2015年12月23日閲覧。

    1月

    1. 1月24日 - 伊藤友樹、日本の俳優

    3月

    1. 3月22日 - キーラ・ナイトレイ、イギリスの女優 2. 3月24日 - 綾瀬はるか、日本の女優

    4月

    1. 4月30日 - ガル・ガドット、イスラエルのモデル・女優

  5. 1985年の音楽 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/1985年の音楽
    • できごと
    • 洋楽
    • 主な音楽賞
    • 再結成
    • 死去
    • 関連項目
    ワム!、レディ・フォー・ザ・ワールド、エディー・マーフィーがビルボード年間チャートでトップ40に入った。
    1月 -LOUDNESSがアメリカ進出を果たした。また、アルバム分野で第27回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞した。
    2月 -甲本ヒロトと真島昌利を中心にTHE BLUE HEARTSが結成され、87年にメジャー・デビューした。
    4月 -USA for Africa「ウィ・アー・ザ・ワールド」発売。

    アルバム

    アルバムについてさらに深く研究したい方は

    第27回日本レコード大賞

    1. 大賞 1.1. ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕/中森明菜 2. アルバム大賞 2.1. 9.5カラット/井上陽水 3. 最優秀歌唱賞 3.1. 波止場しぐれ/石川さゆり 4. 最優秀スター賞 4.1. ジュリアに傷心/チェッカーズ 5. 最優秀新人賞 5.1. 「C」/中山美穂 6. 金賞 6.1. 男船/神野美伽 6.2. そして…めぐり逢い/五木ひろし 6.3. タッチ/岩崎良美 6.4. デビュー/河合奈保子 6.5. PASSION/早見優 6.6. 望郷じょんから/細川たかし 6.7. 悲しみにさよなら/安全地帯 6.8. Romanticが止まらない/C-C-B 7. 新人賞 7.1. Temptation(誘惑)/本田美奈子 7.2. 恋におちて -Fall in love-/小林明子 7.3. 雨のハイスクール/芳本美代子 7.4. さよならと言われて/松本典子

    第16回日本歌謡大賞

    1. 大賞 1.1. 大将/近藤真彦 2. 優秀放送音楽新人賞 2.1. Temptation(誘惑)/本田美奈子 2.2. 雨のハイスクール/芳本美代子 3. 最優秀放送音楽賞 3.1. そして…めぐり逢い/五木ひろし 4. 放送音楽プロデューサー連盟賞 4.1. SOLITUDE/中森明菜 4.2. 望郷じょんから/細川たかし

    1月4日 - ロヴロ・フォン・マタチッチ( ユーゴスラビア、指揮者、*1899年)
    1月10日 - アントーン・カラス(オーストリア、ツィター奏者・作曲家、*1906年)
    2月22日 - エフレム・ジンバリスト( ロシア→、ヴァイオリニスト、*1889年)
    2月22日 - 米山正夫(東京都、作曲家、*1912年)
  6. 1985年の政治 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/1985年の政治

    1985年の政治(1985ねんのせいじ)では、1985年(昭和60年)の政治分野に関する出来事について記述する。

  7. 1985年の日本公開映画 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/1985年の日本公開映画

    1985年の日本公開映画 (1985ねんのにほんこうかいえいが)では、 1985年 ( 昭和 60年) 1月1日 から同年 12月31日 までに 日本 で商業公開された 映画 の一覧を記載。. 作品名の右の丸括弧内は製作国を示す。. 記載の凡例については 年度別日本公開映画#凡例 を ...

  8. 1985年の日本シリーズ - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/1985年の日本シリーズ
    • 概要
    • 試合結果
    • 表彰選手
    • テレビ・ラジオ中継
    • 関連項目

    1983年以来2年ぶり3度目(西鉄時代を除く)の出場となる広岡達朗監督率いる西武ライオンズと1964年以来実に21年ぶり3度目の出場となった吉田義男監督率いる阪神タイガースの対決となり、阪神が4勝2敗で球団創設以来初(かつ2020年時点でも唯一)の日本一を達成した。 打撃三冠王のランディ・バースを先頭に真弓明信、掛布雅之、岡田彰布らの猛打でペナントを勝ち取った阪神と、「管理野球」を標榜し、この年防御率1位の工藤公康を始め東尾修、松沼博久、高橋直樹、渡辺久信投手陣を要する西武との対決でもあった。 この年から日本シリーズにも指名打者制を採用することになり、阪神は弘田澄男を6試合とも打順を2番で起用した。なお、このときは指名打者制を隔年で採用することとなっていたが、全試合不採用だった翌1986年の日本シリーズを経て、1987年以降はパ・リーグ主催試合のみ毎年採用する方式に変更された。このため、初めて指名打者が全試合で採用された日本シリーズであり、2020年の日本シリーズまで唯一の事例であった。 吉田は「西武は2位ロッテに15ゲーム差をつけて、優勝したがこのシーズンに限っては雑な野球だった。第3戦目の前に広岡監督がフロントの不満を言いだして、『俺はもう、終わりだ』と言ってました」と回顧している。西武関係者も、当時の一軍総合コーチだった黒江透修が、広岡は「シーズン中から『俺は辞めるぞ』というオーラを出していた」「チームの実力からいけば負けようがなかったんだけど、やっぱりシリーズを戦うような感じではなかった」と語り、また投手として出場した森繁和も「リーグ優勝決めた時も(痛風で休養していた広岡の)代行の黒江さんが胴上げされていたし、もうやる気がなかった」、日本シリーズで自身が登板し抑えてベンチに戻った際も「ベンチは広岡さんに勝つ気がないのがわかっちゃって、明らかにやる気をなくしていました」と述懐している。 なお、当該シリーズは、西武鉄道と阪神電気鉄道のイメージから「鉄道シリーズ」ともてはやされたが、当時の西武ライオンズの親会社は国土計画(デベロッパー。事実上西武グループの持株会社)であり、西武鉄道は国土計画の子会社だったことから、球団とは「兄弟会社」の関係で、「出場する両チームの親会社が鉄道事業者同士」という表現は事実と異なる。そのため、親会社が鉄道会社同士での対戦は、19...

    第1戦

    10月26日 西武有料入場者数 32463人 西武の先発は松沼博久。シリーズ第1戦の先発は1982年、1983年に続き3度目。一方の阪神は2年目の池田親興。両軍無得点のままで迎えた8回表の阪神は、先頭の真弓が二塁打で出塁し、続く弘田がバントを警戒した西武内野陣の前進守備を突いて一、二塁間を破る安打を放ち無死一、三塁。ここで西武は先発の松沼博に代わり工藤を登板させるが、続くバースが左翼スタンドに入る本塁打を放ち3点を先制。一方の西武は、池田に試合後「今日に限って言えば(この年セ・リーグ最下位の)ヤクルトの方が恐かったですね」と言われてしまうほどで、池田に史上6人目となるシリーズ初登板初完封を許した。 公式記録関係(日本野球機構ページ)

    第2戦

    10月27日 西武 有料入場者数32593人 西武の先発は高橋直樹。一方の阪神はリチャード・ゲイル。ゲイルは1980年のワールドシリーズでも2度先発の経験を持つ。 西武は3回裏に石毛宏典のソロ本塁打で先制するが、その後の一死満塁の好機で片平晋作が併殺打に倒れ追加点ならず。一方の阪神は、4回表、三塁手秋山幸二の失策を足がかりに、バースの2試合連続となる本塁打で逆転した。1点を追う西武は7回裏、一死一、三塁の好機に、辻発彦が一塁方向へスクイズを試みたものの、一塁手のバースが素早いダッシュとスローイングで三塁走者秋山を本塁で刺した。阪神はゲイルが7回を投げ、8回に福間納、9回は中西清起の継投で1点差を守り切った。 公式記録関係(日本野球機構ページ)

    第3戦

    10月29日 甲子園有料入場者数51355人 舞台を甲子園に移して行われた第3戦の先発は阪神が中田良弘、西武は第1戦の雪辱を期す工藤。有料入場者数51,355人はシリーズ新記録。西武は2回表、一死二塁から岡村隆則の三塁打で先制、続く辻の中前打、石毛の2ラン本塁打でこの回4点。阪神は3回裏、バースの3ラン本塁打で1点差に追い上げるが、4回表に西武は岡村のソロ本塁打で突き放し、さらに8回にも辻の2塁打で3点差とした。しかし、6回裏の守備の際に、石毛が金森永時と激しく接触し、右ひざを痛めるアクシデントが発生。阪神は9回裏、途中出場の嶋田宗彦が箕島高校の先輩である東尾から史上初の新人初打席ソロ本塁打を放つが、東尾は後続を抑え逃げ切った。 1958年の中西太以来となるシリーズ3試合連続本塁打を放ったバースの活躍に、広岡監督もインタビューにてバースに対する驚愕と敬意を含めた複雑な心境を語るしかなかった。 公式記録関係(日本野球機構ページ)

    最高殊勲選手賞:ランディ・バース(阪神)
    敢闘賞:石毛宏典(西武)
    優秀選手賞:真弓明信(阪神)
    優秀選手賞:長崎啓二(阪神)

    テレビ中継

    1. 第1戦:10月26日(土) 1.1. TBSテレビ≪JNN系列≫ 1.1.1. 実況:石川顯 解説:田淵幸一、小林繁 ゲスト解説:稲尾和久(ロッテ監督) 1.1.2. リポーター:宮澤隆(TBS・西武サイド)、伊東正治(MBS・阪神サイド) 共同インタビュアー:山口慎弥(TBS) 1.1.3. スタンドリポーター:浦口直樹(TBS) 副音声(英語放送)ゲスト:テリー・ウィットフィールド(1981年 - 1983年に西武在籍) 実況:W.S.クラシック 2. 第2戦:10月27日(日) 2.1. フジテレビ≪FNN系列≫ 2.1.1. 制作:フジテレビ、協力:関西テレビ 2.1.2. 実況:松倉悦郎 解説:西本幸雄(関西テレビ) ゲスト解説:江夏豊 2.1.3. ゲスト:森末慎二、三屋裕子 2.1.4. リポーター:野崎昌一(フジテレビ・西武サイド)、塩田利幸(関西テレビ・阪神サイド、共同インタビュアー) 3. 第3戦:10月29日(火) 3.1. 朝日放送(ABC)≪ANN系列≫ 3.1.1. 実況:黒田昭夫 解説:小山正明 ゲスト解説:江夏豊、谷沢健一(中日)、村田兆治(...

    ラジオ中継

    1. 第1戦:10月26日(土) 1.1. NHKラジオ第1 解説:川上哲治 ゲスト解説:梨田昌孝(近鉄) 1.2. TBSラジオ(JRN) 1.1. 実況:渡辺謙太郎 解説:杉下茂、張本勲 ゲスト解説:落合博満 リポーター:松下賢次(TBS)、武周雄(ABC) 1.1. 文化放送(関東広域ローカル) 実況:戸谷真人 解説:豊田泰光 ゲスト:川野太郎 1.2. NRN系列への裏送り 実況:中田秀作 1.3. ニッポン放送(…ラジオ大阪) 実況:深澤弘 解説:関根潤三 ゲスト解説:村田兆治 リポーター:宮田統樹 1.4. 毎日放送ほか(NRN・文化放送制作裏送り) 解説:別所毅彦 1.5. ラジオ関西ほか(ラジオ日本制作裏送り) 解説:中村稔 2. 第2戦:10月27日(日) 2.1. NHKラジオ第1 解説:加藤進 ゲスト解説:大矢明彦(ヤクルト、この年限りで引退) 2.2. TBSラジオ(JRN) 2.1. 実況:松下賢次 解説:田淵幸一、張本勲 ゲスト解説:稲尾和久 リポーター:林正浩(TBS)、武周雄(ABC) 2.1. 文化放送 実況:戸谷真人 解説:森昌彦(翌年から西武...

    • 勝数(引分数)
    • 4
  9. プラザ合意 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/プラザ合意
    • 概要
    • 協調介入の効果
    • 議論・評価
    • 関連項目
    • 関連人物
    • 外部リンク

    1980年代前半、レーガン政権下(レーガノミクス)のアメリカ合衆国では、前政権から引き継いだ高インフレ抑制政策として、厳しい金融引締めを実施していた。米ドル金利は20%にまで達し、世界中の投機マネーがアメリカに集中した。ドル相場が高めに推移したことで、アメリカには輸出減少と輸入拡大による大幅な貿易赤字がもたらされた。一方で、高金利により民間投資は抑制され、需給バランスは改善された。結果として、インフレからの脱出には成功した反面、国際収支が大幅な赤字となり、財政赤字も累積していった(→「双子の赤字」項を参照)。 インフレーションが沈静した後は金融緩和が進行し、アメリカ合衆国は復活したと言われるほどの景気回復で、貿易赤字増大に拍車がかかった。金利低下により、貿易赤字国の通貨である米ドルの魅力が薄れ、ドル相場は次第に不安定になった。 こうした状況の下、1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、自由貿易を守るため、協調的なドル安路線を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著だったため、実質的に円高ドル安に誘導する内容だった。これがプラザ合意である。 発表翌日の9月23日の1日24時間だけで、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。 日本においては急速な円高によって円高不況が起きると懸念されたが日本銀行は公定歩合を引き下げずに5%のまま据え置き、逆に無担保コールレートを6%弱から一挙に8%台へと上昇させるという短期市場金利の「高目放置」に踏み切った。その後、公定歩合の引き下げに動いたのは翌1986年になってからだった。このため、1985年には非常に金融引き締め的な経済環境になっていたと推測され、その結果その後数年間のインフレ率は低迷した。このインフレ率の低迷と公定歩合の引き下げ長期化予想を反映して名目金利が低下したことが、貨幣錯覚を伴って不動産や株式に対する投機を促し、バブル景気をもたらしたと考えられる。 また円高により、「半額セール」とまでいわれた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業が増えた。とりわけ東南アジアに直接投資する日本企業が急増したため、「奇跡」ともいわれる東南アジアの経済発展をうながすことになった。 その後...

    本来、為替レートなどを誘導する場合はソフトランディングへ誘導するのが一般的である。すなわち、実体経済への急激なインパクトを避け、投機的な資金の流出、流入を防止することで市場の安定性を確保し、同時に市場需給に基づく自由かつ柔軟な取引によって自律的に国際収支調整されることが期待される。 しかしある特別な場合において、複数の国間で為替レートを一定の水準まで誘導するよう、市場介入を協力して行う場合がある。協調介入といわれるこの手法は、自国の通貨の安定性を保つために行われる自国通貨への介入、すなわち単独介入とはその目的において大きく異なる。単独介入とは、急激な為替レートの変動があったとき、これによって実体経済への悪影響が懸念されるため、これを安定させる目的で行われるものであり、為替レートを一定の方向へ誘導する目的で行われるものではない。これに対し、協調介入はある種の経済的なゆがみ・不均衡があり、それによって複数の国の利害が総合的に悪いと判断されるときに当該国間で協議し行うものであり、為替レートを人為的に一方向へ操作するほどの強い影響力がある。ただし協調介入を行ってもマーケットがこれを予測してすでに織り込んでいる場合があり、サプライズ感がとぼしく大きな影響を与えない場合もありえる。 協調介入が特殊なものだとみなされる理由として、為替レートの誘導目標をあらかじめ公開する点があげられる。これは一般に単独介入が誘導目標を公開しないのと対照的であり、このため市場参加者の思惑売買を誘導することが可能となる。プラザ合意後、竹下が「円-ドルレートは1ドル=190円でもかまわない」と声明したことを受けて一気に円高が進んだことなどからも、市場参加者の思惑を誘う協調介入は大きな影響力があることがわかる。また協調介入が実施されるケースはごくまれであり、プラザ合意が行われた当時は大きな経済的ゆがみが認識されていたことが窺える。 こうした性格上、協調介入に関してはソフトランディングが非常に難しいという意見と、一方で経済のねじれを一気に解消する手法として積極的に活用するべきとの意見が拮抗する。ただし変動相場制における国際収支調整機能は、金融政策が経済調整を担う現代においてはほとんど失われている。これは金融政策で物価変動を抑制する限りマクロバランスの対外不均衡が調整されないためである。

    プラザ合意についてはバブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、バブル景気とその後の失われた20年と呼ばれる長期経済低迷の起点ではないかとの見解がある。 輸出が需要創出の大きな柱である日本が為替レートを意図的に調節することは大きなリスクを伴う。協調介入によって人為的に円高に導いた結果、農林水産物も、鉱工業製品も、日本人労働も、全ての日本産品は競争力を相対的に失い、自然な経済成長リズムの破綻に繋がった。日本にとって不利になるこの合意がなされた背景には、以前からの日米貿易摩擦に加え、ハイテク分野でも日本の成長が目立ってきたことなどによる危険視の加熱があった。 1980年代前半にはアメリカの莫大な経常赤字により日本では輸出が急伸し、経常黒字は著しく増大、これにより輸出産業を中心に好業績の企業が相次いだ(ハイテク景気)。当時アメリカは、財政赤字と貿易赤字という、いわゆる双子の赤字を抱えており、日欧諸国はアメリカによりもたらされる経常黒字が物価上昇圧力になっているという指摘があった。これらの世界経済不均衡を是正するための効果的な手段としてドル安への誘導がなされたという指摘がある。ドル安にすれば米国の貿易赤字、とりわけ対日貿易赤字が目減りすることが期待された。 当時の中曽根康弘首相・竹下蔵相・澄田智日銀総裁らによって決断されたこの政策は、日本がアメリカの赤字解消のための為替操作を容認した対米妥協策との解釈が一般的である。 2018年から米中貿易戦争が起きた中国では日本のプラザ合意が再び注目されており、日本の福田康夫元首相やプラザ合意当時に官僚だった元日本銀行副総裁の岩田一政などが人民元切り上げを求めるアメリカの圧力に応じないよう助言したことが反響を呼び、国営メディアの新華社も「プラザ合意で米国に屈した日本の経済低迷を忘れるべきではない」と主張した。アメリカも中国が通貨安誘導を行っているとして相殺関税の導入や25年ぶりの為替操作国の認定でこれに対抗している。

    ジャパンバッシング - 日米貿易摩擦
    人民元改革 - 米中貿易戦争
    フレッド・バーグステン(英語版) - 経済学者、政策アドバイザー、作家。主にフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿。1971年のニクソン・ショックと1985年のプラザ合意のシナリオライターの一人とされ、1990年前後までバブル景気だった日本に対してはジャパン・バッシングの急先鋒だった。しかし、米中貿易摩擦と日本とやや似た状況にある中国のことは(2010年時点では)持ち上げていた。
    大場智満 - 行天豊雄
    木地孝之「プラザ合意後のわが国経済構造の変化」『産業連関』第2巻第2号、環太平洋産業連関分析学会、1991年、 36-43頁、 doi:10.11107/papaios.2.36、 ISSN 1341-9803、 NAID 130005095445。
  10. 1984年 (小説) - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/1984年_(小説)
    • 作品背景
    • あらすじ
    • 登場人物
    • 設定
    • 出版
    • 題材作品
    • 影響
    • 関連項目
    • 外部リンク

    オーウェルは1944年には本作のテーマ部分を固めており、結核に苦しみながら1947年から1948年にかけて転地療養先の父祖の地スコットランドのジュラ島でほとんどを執筆した。病状の悪化により1947年暮れから9か月間治療に専念することになり、執筆は中断された。1948年12月4日、オーウェルはようやく『1984年』の最終稿をセッカー・アンド・ウォーバーグ社(Secker and Warburg)へ送り、同社から1949年6月8日に『1984年』が出版された。 1989年の時点で、『1984年』は65以上の言語に翻訳される成功を収めた。『1984年』という題名、作中の用語や「ニュースピーク」の数々、そして著者オーウェルの名前自体が、今日では政府によるプライバシーの喪失を語る際に非常に強く結びつくようになった。「オーウェリアン(Orwellian、オーウェル的)」という形容詞は、『1984年』などでオーウェルが描いた全体主義的・管理主義的な思想や傾向や社会を指すのに使われるようになった。 当初、本作は『ヨーロッパ最後の人間(The Last Man in Europe)』と題されていた。しかし1948年10月22日付の出版者フレデリック・ウォーバーグに対する書簡で、オーウェルは題名を『ヨーロッパ最後の人間』にするか、『1984年』にするかで悩んでいると書いているが、ウォーバーグは『ヨーロッパ最後の人間』という題名をもっと商業的に受ける題名に変えるよう示唆している。オーウェルの題名変更の背景には、1884年に設立されたフェビアン協会の100周年の年であることを意識したという説、舞台を1984年に設定しているジャック・ロンドンのディストピア小説『鉄の踵(The Iron Heel、1908年刊行)』やG.K.チェスタトンの『新ナポレオン奇譚(The Napoleon of Notting Hill、1904年刊行)』を意識したという説、最初の妻アイリーン・オショーネシーの詩、『世紀の終わり、1984年(End of the Century, 1984)』からの影響があったとする説などがある。アンソニー・バージェスは著書『1985年(1978年刊行)』で、冷戦の進行する時代に幻滅したオーウェルが題名を執筆年の『1948年』にしようとしたという仮説を上げている。ペンギン・ブ...

    1950年代に勃発した第三次世界大戦の核戦争を経て、1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三つの超大国によって分割統治されている。さらに、間にある紛争地域をめぐって絶えず戦争が繰り返されている。本作の舞台となるオセアニアでは、思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョン、さらには町なかに仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が当局によって監視されている。 オセアニアの構成地域の一つ「エアストリップ・ワン(旧英国)」の最大都市ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミスは、真理省の下級役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。ウィンストンは、古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで、体制への疑いは確信へと変わる。 「憎悪週間」の時間に遭遇した同僚の若い女性、ジュリアから手紙による告白を受け、出会いを重ねて愛し合うようになる。古い物の残るチャリントンという老人の店(ノートを買った古道具屋)を見つけ、隠れ家としてジュリアと共に過ごした。さらに、ウィンストンが話をしたがっていた党内局の高級官僚の1人、オブライエンと出会い、現体制に疑問を持っていることを告白した。エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をオブライエンより渡されて読み、体制の裏側を知るようになる。 ところが、こうした行為が思想警察であったチャリントンの密告から明るみに出て、ジュリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、「愛情省」で尋問と拷問を受けることになる。最終的に彼は、愛情省の「101号室」で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、処刑される日を想って心から党を愛すようになるのであった。 なお、本編の後に『ニュースピークの諸原理』と題された作者不詳の解説文が附されており、これが標準的英語の過去形で記されていることが、主人公ウィンストン・スミスの時代より遠い未来においてこの支配体制が破られることを暗示してい...

    ウィンストン・スミス(Winston Smith)

    1. 本作の主人公。39歳の男性。真理省記録局に勤務。キャサリンという妻がいるが、別居中。しばしば空想の世界に耽り、現体制の在り方に疑問を持つ。テレスクリーンから見えない物陰で密かに日記を付けており、これはイングソック下において極刑相当の「思考犯罪」行為に値する。見捨てられた存在であるプロレ達に「国を変える力がある」という考えの持ち主。ネズミが苦手。

    ジュリア(Julia)

    1. 本作のヒロイン。26歳の女性。真理省創作局に勤務。青年反セックス連盟の活動員。表面的には熱心な党員を装っているが、胸中ではウィンストンと同じく党の方針に疑問を抱いている。他方、党の情報の改竄など、自分自身にあまり関係のないことには興味がない。ウィンストンに手紙を使って告白し、監視をかいくぐって逢瀬を重ねる。

    オブライエン(O'Brien)

    1. 真理省党内局に所属する高級官僚。他の党員と違い、やや異色の雰囲気を持つ。ウィンストンの夢にたびたび現れる。秘密結社『兄弟同盟』の一員を名乗り、エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書をウィンストンに渡すが、実際はウィンストンとジュリアを捕らえるために接近する。人心掌握の術に長け、二重思考を巧みに使いこなす。

    地理

    物語の舞台となる1984年は第三次世界大戦後の世界であり、オセアニア、ユーラシア、イースタシアのの3つの超大国に分割統治されている。どの大国も一党独裁体制であり、イデオロギーの実情もそれほど違いは無い。 オセアニア(Oceania) 1. 1950年代の核戦争を経て誕生した国家であり、旧アメリカ合衆国をもとに、南北アメリカおよび旧イギリス、アフリカ南部、オーストラリア南部(かつての英語圏を中心とする地域)を領有する。イデオロギーは「イングソック(下記参照)」。 ユーラシア(Eurasia) 1. 旧ソ連をもとに欧州大陸からロシア極東にかけてを領有する。イデオロギーは「ネオ=ボリシェビキズム」。 イースタシア(Eastasia) 1. 旧中国や旧日本を中心に東アジアを領有する。イデオロギーは中国語であり、通常は「死の崇拝(Death-Worship)」と訳されるが、より正確には「滅私(Obliteration of the Self、自己滅却)」と呼ぶべきものとされる。 これら三大国は絶えず同盟を結んだり敵対しながら戦争を続けている。表向きは、各国とも世界支配のため他の大国を滅ぼす...

    政府

    党は、ビッグ・ブラザーによって率いられる唯一の政党である。ビッグ・ブラザーは国民が敬愛すべき対象であり、町中の到る所に「ビッグ・ブラザーがあなたを見守っている(BIG BROTHER IS WATCHING YOU)」という言葉とともに彼の写真が張られている。しかし、その正体は謎に包まれており、実在するかどうかすらも定かではない。党の最大の敵は「人民の敵」エマニュエル・ゴールドスタインで、オセアニアと党を崩壊させるためのあらゆる陰謀の背後に彼がいるとされる。国民は毎日、テレスクリーンを通して彼に対する「二分間憎悪」を行い、彼に対する憎しみを駆り立てる。テレスクリーンの登場により、ほぼ全国民は党の監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている[注 3]。 党のイデオロギーは、「イングソック(IngSoc、English Socialism、イングランド社会主義)」と呼ばれる一種の社会主義である。核戦争後の混乱の中、社会主義革命を通じて成立したようだが、誰がどのような経緯で革命を起こしたのかは、忘却や歴史の改竄により明らかではない。ゴールドスタインの禁書によれば、そのイデオロギーの正...

    国民

    党には中枢の党内局(inner party、2009年新訳では党中枢)と一般党員の党外局(outer party、2009年新訳では党外郭)がある。党内局員はかつての労働者階級の作業着だったとされる黒いオーバーオールを着用し、貴族制的な支配階級(上層階級)で、世襲でなく能力によって選ばれ、テレスクリーンを消すことができる特権すらある。党外局員は青いオーバーオールを着る中間層(中層階級)で、党や政府の実務の大半をこなす官僚たちである。党の主要な監視対象は大衆ではなく上層階級に対して立ち上がる可能性のある中層階級(党局員)であり、党内局員も党外局員も反抗の意思を少しでも見せたら密告などに遭い、後述愛情省の思想警察(思考警察)に連行され「蒸発(強制失踪)」してゆく。「蒸発」した人間は存在の痕跡を全て削除され(例外あり)、その者は初めからこの世に存在していなかった、ニュースピークで言う「非存在」として扱われる。 党に関わりを持たない人々はプロレ(the proles、2009年新訳ではプロール、プロレタリアの略)と呼ばれ、人口の大半を占める被支配階級(下層階級)の労働者たちである。党が課...

    原書

    原文は全て公開されているが、詳細な解説などが追加されたものやオーディオブックなど、英語版だけでも複数のエディションが刊行されている。またタイトルは刊行当時の「Nineteen Eighty-Four」とアラビア数字の「1984」の二種類がある。 1. George Orwell. Nineteen Eighty-Four. Penguin Modern Classics. ISBN 0-14-118776-X 1.1. トマス・ピンチョンの序論が追加されたペーパーバック。 2. George Orwell. 1984: 60th-Anniversary Edition. Plume. ISBN 0-452-26293-3 2.1. 刊行60周年記念版のペーパーバック。

    日本語訳

    1. 『一九八四年』吉田健一・龍口直太郎訳、文藝春秋新社、1950年。絶版。 1.1. 書名は奥付等によるもの、表紙での表記は「1984」。 1.1. 『1984年』吉田健一・龍口直太郎訳、出版共同社〈世界の名著〉、1958年。絶版。 2. 『世界SF全集 10 ハックスリイ オーウェル』新庄哲夫訳、早川書房〈世界SF全集〉、1968年。ISBN 978-4-15-200010-1。絶版。 2.1. 『1984年』新庄哲夫訳、早川書房〈ハヤカワNV文庫〉、1972年2月。ISBN 4-15-040008-3。絶版。 2.2. 『1984年』新庄哲夫訳、早川書房〈Hayakawa novels〉、1975年3月。ISBN 978-4-15-207249-8。絶版。 3. 『一九八四年』高橋和久訳、早川書房〈ハヤカワepi文庫〉、2009年7月。ISBN 978-4-15-120053-3。新訳。 3.1. タイトルも「一九八四年」に改名、解説はトマス・ピンチョン。 3.2. 早川書房版の発行部数は1972年から2008年までに58万部、2009年から2016年までに22万部。 4....

    映画

    1. 『1984』マイケル・アンダーソン監督 1956年(日本では劇場未公開) 1.1. ストーリーは原作に準拠したものであるが、アメリカ公開版ではウィンストンとジュリアが拷問に最後まで屈せず、共に打倒ビッグ・ブラザーを叫んで死ぬという結末に変更された。オーウェルの遺族はこれに不満を持ち、公開差し止めを求めたという。 2. 『1984』 マイケル・ラドフォード監督・脚本 1984年 2.1. 日本の映画館で公然と上映された映画としては初めて、陰毛をぼかしていないヌードを含んでいた。また、同年に死去したリチャード・バートンの遺作ともなった。

    テレビドラマ

    1. 『1984』 CBS制作 1953年(日本未放映) 1.1. CBSの単発テレビドラマ『ウェスティングハウス・スタジオ・ワン』のプログラム。エディ・アルバート、ローン・グリーンらが出演。 2. 『Nineteen Eighty-Four』 BBC制作 1954年(日本未放映) 2.1. ピーター・カッシング主演。

    舞台

    1. 『1984年』- ロリン・マゼール作曲のオペラ。2005年 2. 『1984』 - ダンカン・マクミラン、ロバート・アイク脚本の演劇、2014年にアルメイダ劇場で初演。2018年に日本語版が新国立劇場で上演された。

    『1984年』が、英語の語彙に対して与えた影響は甚大であり、ビッグ・ブラザー、テレスクリーン・01号室・、想警察、アンパーソン(英語版)、メモリーホール(英語版)、ダブルシンク、ニュースピークといった、オーウェルによる造語は、権威ある英語辞書に掲載されるほど、全体主義を表現する一般的な語彙として浸透した。また、本作のテーマやコンセプト、プロットは特にポピュラー音楽や映像などで繰り返し言及されている。