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武蔵国 (むさしのくに、 旧字体 : 武藏國 )は、かつて 日本 の地方行政区分であった 令制国 の一つ。 東山道 のち 東海道 に属し、現在の 東京都 と 埼玉県 及び 神奈川県 の 川崎市 、 横浜市 にあたる。 「武蔵」の国名. 「武蔵」の名の起源は諸説唱えられているものの、いずれの説も根拠となる資料に欠き定説となるには至っていない。 武蔵国造 ( 无邪志国造 )の祖先には身狭耳命(むさみみのみこと)がおり、武蔵国東部を支配したと考えられている。
- 武州(ぶしゅう)
武蔵国府跡(むさしこくふあと)・国史跡 武蔵国府跡 国衙跡地区(国司館地区)は、東京都府中市に存在する武蔵国の国府に関する遺跡である [1]。国の史跡として徳川家康の府中御殿跡、国司館地区も含む。
武蔵国分寺跡 (むさしこくぶんじあと)は、 東京都 国分寺市 西元町 ・ 東元町 にある古代寺院跡。 武蔵国分尼寺跡 を含んで国の 史跡 に指定されている。 奈良時代 に 聖武天皇 の詔により日本各地に建立された 国分寺 のうち、 武蔵国 国分寺・国分尼寺の寺院跡にあたる。 現寺院については 武蔵国分寺 を参照。 概要. 本史跡は、かつて武蔵国に置かれた国分寺および国分尼寺の跡地である。 尼寺区域は調査が終わっており歴史 公園 として整備されている。 一方僧寺区域は整備事業の一環で発掘調査中である。 史跡指定範囲は時代が下るごとに広がり、現在は11 ha におよんでいる(東山道武蔵路を含まず)。
武蔵国司(むさしこくし)は、武蔵国の国司。 武蔵は 延喜式 の定める大国(たいごく)であるため、守(1名)・介(1名)・掾(大・少、各1名)・目(大・少、各1名)の他に司生(3名)など9名前後を置いた。
武蔵国の式内社一覧 (むさしのくにのしきないしゃいちらん)は、『 延喜式 』第9巻・第10巻「神名帳上下」( 延喜式神名帳 )に記載のある 神社 、いわゆる「 式内社 」およびその 論社 のうち、 武蔵国 に分類されている神社の一覧。 また『延喜式』神名帳の編纂当時に存在したが同帳に記載の無い神社、いわゆる「 式外社 」についても付記する。 式内社[編集] 『延喜式』神名帳では、大社2座2社(いずれも名神大社)・小社42座41社の計44座43社を記載。 (凡例) 1)「神名帳」列は、 『延喜式 上巻』 (大岡山書店、昭和4年、国立国会図書館デジタルコレクション)等における『 延喜式 』 神名帳 の記載を基に作成。
大鳥居と社号標. 大國魂神社 (おおくにたまじんじゃ、 新字体 : 大国魂神社)は、 東京都 府中市 に所在する 神社 。 武蔵国 の 総社 であり、東京五社の一社 [注 1] 。 また、武蔵国の 一之宮 から六之宮までを合わせ祀るため、「 六所宮 」とも呼ばれる。 概要. 史跡 武蔵国府跡 (国衙) ふるさと府中歴史館. 古代 、 国司 は任国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。 この長い巡礼を簡単に行えるよう、各国の 国府 近くに国内の神を合祀した 総社 を設け、まとめて祭祀を行うようになった。 当社は武蔵国の総社にあたる。 当社は府中市中心部に鎮座し、「府中」の市名はかつて武蔵国の 国府 があったことに由来する。
松山城(まつやまじょう)は、埼玉県 比企郡 吉見町大字南吉見字城山(武蔵国 横見郡松山)にあった日本の城。別名武州松山城・武蔵松山城。 2008年(平成20年)、「比企城館跡群」の一つとして国の史跡に指定された。