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民衆を救うに際してはおふだを水に入れて飲ませることで、 明道 2年(1033年)の疫病から人々を救っただの、 金丹 を用いて多くの人々を救っただの [9] 、飢饉の際に 媽祖 の伝説さながら食料を運ぶ船を道術により引き寄せて振舞ったなどという奇蹟譚がある。 さらに治療する対象は人だけでなく竜や虎にも及び、感謝した竜はのちに保生大帝の乗り物に、虎は守護者となったという。
伏見稲荷大社 (ふしみいなりたいしゃ)は、 京都府 京都市 伏見区 深草 薮之内町にある 神社。 式内社 (名神大社)、 二十二社 (上七社)の一社。 旧社格 は 官幣大社 で、現在は 単立神社 となっている。 旧称は「稲荷神社」。 1946年 に現社名に改称した(後述)。 稲荷山 の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。 全国に約3万社あるといわれる [1] 稲荷神社 の総本社である。 初詣 では 近畿地方 の社寺で最多の参拝者を集める(日本国内第4位〔2010年〕) [2]。 現存する旧社家は大西家。
道観 (どうかん、 拼音: dàoguàn ダオグアン)とは、 道教 教団において、 出家 した 道士 が集住し、その教義を実践し、なおかつ祭醮を執行する施設である。 道教 寺院。 道教宮観の略。 宮観 (きゅうかん、 拼音: gōngguàn ゴォングアン)とも呼ばれる。 道観の「道」は道教のという意味であるが、「観」は中国語でguānと読む「みる」の意味ではなく、「館」(guǎn)の言い換えで作られた語で、guànという特殊な読みをする。 道観も、 仏教 の場合の 仏寺 と同様に、その別称が多い。 道館・治館・玄壇・観舎・道院・叢林・精舎・道場・靖治・治・廬など、或いは、観・庵・廟・宮・殿・閣・堂・洞・祠・院などの名称も用いられる。
宇佐神宮の元宮は、福岡県 築上郡 築上町 にある矢幡八幡宮(現 金富神社)であるとする説や、大分県 中津市 の 薦神社 (こもじんじゃ)も元宮として有力視されている。 また、社伝等によれば、 欽明天皇 32年(571年?)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、 大神比義 が祈ると三才童児となり、「我は、譽田天皇廣幡八幡麻呂(註: 応神天皇 のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があったとある [2]。 宇佐神宮をはじめとする八幡宮の大部分が 応神天皇 (誉田天皇)を祭神とするのはそのためと考えられる。 当社南に立つ御許山山頂には 奥宮 として3つの巨石を祀る大元神社があり、豪族 宇佐氏 の 磐座 信仰が当初の形態であろうともいわれている。
平安時代 後期にあたる11世紀以来保持されてきた数々の建造物を中心とする寺宝と文化財は、往時の思想・文化を今に伝える。 平等院と周辺地域は 琵琶湖国定公園 指定区域の一つである「宇治川沿岸地区」の中核をなす。 1994年 (平成 6年)に登録された ユネスコ 世界遺産 「古都京都の文化財」の構成物件の一つでもある。 京都 南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。
日本全国の崇敬者から寄付金1億円を集めて、復興事業が行われた。 高松宮宣仁親王 を総裁として、設計を担当したのは神社建築学の福山敏男博士(前述の古代本殿の研究を参照)で、1959年(昭和34年)に完成した [ 37 ] 。
不動明王 (ふどうみょうおう、 梵: अचलनाथ acalanātha[2])は、仏教の信仰対象であり、 密教 特有の尊格である 明王 の一尊。 大日如来 の化身とも言われる。 また、 五大明王 の中心となる明王でもある。 真言宗 をはじめ、 天台宗 、 禅宗 、 日蓮宗 等の日本仏教の諸派および 修験道 で幅広く信仰されている。 大日如来 、 降三世明王 、 軍荼利明王 、 大威徳明王 、 金剛夜叉明王 、金剛 愛染明王 らと共に祀られる。 密教の根本尊である 大日如来 の化身であると見なされている。 「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれる。