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  1. 大和型戦艦 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/大和型戦艦

    続いて10月、列強新戦艦に対抗することを目的に 軍令部 より 艦政本部 に向けて「18インチ砲(46cm砲)8門以上、15.5cm三連装4基12門または20cm連装砲4基8門以上、速力30 ノット 、航続距離18ノット8000 マイル 」という大型戦艦建造要求が出される 。. 1935年 ( ...

    • 1937年 - 1944年
    • 戦艦
  2. 新進棋士奨励会 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/新進棋士奨励会
    • 概要
    • 沿革
    • 奨励会・研修会・女流棋士の相互関係
    • 奨励会規定
    • アマチュア復帰規定
    • 奨励会初等科
    • 研修会
    • 参考文献
    • 関連項目
    • 外部リンク

    奨励会で三段まで上がり、さらに所定の成績を収めると、四段に昇段( = プロ入り)をする(「フリークラス編入試験」という例外を除く)。 奨励会は、関東奨励会と関西奨励会の2つに分かれており、二段まではそれぞれの奨励会の中で対局する。研修会は、関東研修会、関西研修会、東海研修会、九州研修会、北海道研修会の5つに分かれている。2021年4月より仙台市に東北研修会が設置される。 対局は、関東奨励会・関東研修会が将棋会館(東京都渋谷区千駄ヶ谷)、関西奨励会・関西研修会が関西将棋会館(大阪市福島区)で行われる。東海研修会の対局は、名古屋市中区の万松寺ビルで、九州研修会の対局は福岡市中央区の電気ビル・共創館で、北海道研修会の対局は札幌市中央区の北海道神宮で行われる。 研修会は、女流棋士を目指す者の養成機関としての機能も持つ。

    1928年(昭和3年)9月23日に、中島富治[注釈 1]らの愛棋家が資金を用意して、東京市・市谷の安田与四郎(愛棋家、経済誌「ダイヤモンド」主筆)邸で、東京で活動する専門棋士の弟子(6級から三段)23名を集めて「手合会」を開いたのが、奨励会の始まりである。この第1回「手合会」に参加した23名の中には、塚田正夫二段(後に名誉十段、日本将棋連盟会長)、坂口允彦二段(後に九段、日本将棋連盟会長)がいた。この会は愛棋家の尽力により毎月1回開かれていたが、1931年(昭和6年)2月に日本将棋連盟[注釈 2]の附属機関となった(2017年現在の関東奨励会)。 関西奨励会は、1935年(昭和10年)11月に、やはり愛棋家が資金を用意して、大山康晴6級(後に十五世名人、日本将棋連盟会長)、升田幸三・三段(後に実力制第四代名人)、南口繁一・二段(後に九段)ら十数名で発足した。当時三段だった升田については、「本来は奨励会員となるはずであったが、特別の強さを認められ三段でありながら引き続き新聞棋戦に登場していた」としている書籍もある。東公平著『升田幸三物語』では「升田は「強過ぎるから」(奨励会に)入れてもらえず、数少ない新聞棋戦の成績だけで昇段した。」と記述がある。 第二次世界大戦後は、1947年(昭和22年)9月に大阪市内の愛棋家宅で関西奨励会が復活し、1949年(昭和24年)6月に東京都内の原田泰夫八段(後に九段、日本将棋連盟会長)宅で関東奨励会が復活した。奨励会の諸規定は、この時に原田によって整備された。

    奨励会と研修会

    奨励会への入会は、棋士の推薦を受けて入会試験を受けるのが通常のコースであるが、研修会の研修生が15歳以下の時点でB1からA2に昇級、または18歳以下の時点でA1からSに昇級すると、入会試験を経ずに即時に奨励会6級に編入できる。その他、成績によっては、入会試験の一次試験免除や、推薦(師匠)無しでの奨励会受験などの優遇措置がある。

    奨励会と女流棋士

    1. 女流棋士は、奨励会試験受験・入会の権利も持つ。 2. 女性の奨励会員は、奨励会員としての出場が認められた女流棋戦(マイナビ女子オープンと女流王座戦、女流タイトル獲得で女流王将戦と女流順位戦・白玲戦も)に出場することができる。 3. 奨励会と重籍の女流棋士は、女流枠のある棋士棋戦(竜王戦[注釈 3]、王位戦、王座戦、棋王戦、棋聖戦、朝日杯、銀河戦、NHK杯、新人王戦[注釈 3]、青流戦[注釈 3])について、女流枠からの出場はできない。 4. 女流棋士でない女性の奨励会員は、女流棋戦でタイトルを獲得し将棋連盟の推薦を得るか女流予選を突破することで、女流枠のある棋士棋戦のうち、竜王戦、叡王戦[注釈 4]、王座戦、棋王戦、棋聖戦、朝日杯、銀河戦、NHK杯、新人王戦への出場が可能である[注釈 5]。 5. 女性の奨励会員は、6級以上で奨励会を退会すると日本将棋連盟所属の女流棋士になる権利がある。このとき、6級以上2級以下で退会した奨励会員は女流2級となり、1級以上三段以下で退会した奨励会員は奨励会退会時の段級位がそのまま女流棋士の段級位として引き継がれる。ただし、奨励会員時に女流棋...

    研修会と女流棋士

    女流棋士を目指すものにとって、かつて「女流育成会」が養成機関として存在していたが、2009年3月に発展的解消がされ、研修会がその機能を併せ持つこととなった。 女性の研修会員がB2に昇級すると女流2級の資格を得ることができ、将棋連盟またはLPSAへの申請を経て女流棋士となる。 なお、研修会から奨励会入会を目指すことも当然ながら可能である。

    奨励会は7級から三段までで構成されている(以前は「奨励会初等科」として、下は10級まであった)。二段までは、関東・関西にそれぞれ分かれて奨励会員同士で対局を行い、段級位に差がある場合は駒落ちで対局する。規定の成績を収めたときに昇段・昇級することができる。三段は関東・関西合同のリーグ戦で三段同士のみの対戦となり、成績優秀者が四段昇段(プロ入り)となる。 なお入会金は102,800円、会費は段級位に関係なく月10,250円(いずれも2016年現在)。

    1992年4月からの退会者より、奨励会員及び指導棋士だった者がアマチュア棋戦に参加(アマチュア復帰)することに関して、規定が設けられている。 2006年3月31日までの規定では、初段以上で奨励会を退会した者は、2年間日本将棋連盟主催・共催等のアマチュア棋戦に参加できない。級位のものは1年間参加できない。 2006年4月1日改定の規定では、初段以上で奨励会を退会した者は、1年間日本将棋連盟主催・共催等のアマチュア棋戦に参加できない。 復帰の規定はあるが、まだ退会していない現役の奨励会員によるアマ大会への参加の可否については公表されていない。

    かつて存在した組織で、「名人の卵の会」とも呼ばれた。現在の研修会に近い存在だったが、研修会とは違い、級位は奨励会と連続していた。従って、7~10級は奨励会初等科の級位と位置付けられていた。初等科の経験者で棋士(あるいは女流棋士)となった者として、米長邦雄、蛸島彰子、野本虎次、安恵照剛がいる。 実業家の角川歴彦は、高柳敏夫名誉九段門下で奨励会初等科に在籍した経験を持つ。

    研修会は日本将棋連盟が将棋を通じて健全な少年少女の育成を目指すことを目的として運営している組織である。1983年発足。関東、関西、東海、九州(2016年より)、北海道(2020年10月より)の5地区にあり、それぞれ毎月2回の例会(対局。原則として毎月第2、第4日曜日)が行われる。2021年4月より、仙台市に東北研修会を開設予定。 奨励会の下部組織と言われることがあるが、奨励会入会が基本的に19歳未満を年齢制限とし最低でアマ三・四段以上の実力が要求されているのに比べるとゆるく(アマ二段程度)、20歳までの在籍を認めるなど、必ずしもプロ棋士の養成を目的としない点で大きく異なる。一方で、奨励会入会試験に不合格であったプロ志望者の救済組織としても位置付けられている。研修会で実力を付けて奨励会入りを果たし、プロ棋士となった者も少なくない。 研修会のクラスはS、A1、A2、B1、B2、C1、C2、D1、D2、E1、E2、F1、F2という構成である。B1在籍者がA2に昇級した時点で15歳以下、またはA1からSに昇格した時点で18歳以下であれば奨励会6級に編入できる。 昇級規定は下記の通り。 1. A、Bクラスへ - 8連勝・12勝4敗・14勝5敗・16勝6敗・18勝7敗 2. C、D、Eクラスへ - 6連勝・9勝3敗・11勝4敗・13勝5敗・15勝6敗 3. Fクラスへ - 3勝3敗

    加藤治郎、原田泰夫『[証言]将棋昭和史』(執筆)田辺忠幸、毎日コミュニケーションズ、1999年。
  3. 瑞鳳 (空母) - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/瑞鳳_(空母)
    • 歴史・艦歴
    • 年表
    • 同型艦
    • 脚注
    • 参考文献
    • 関連項目

    日本海軍はロンドン海軍軍縮条約による航空母艦の保有制限から逃れるために、戦時に航空母艦に迅速に改造できる艦船の保有計画を持っていた。その計画により建造されることになったのが、高速給油艦高崎(たかさき)および同型艦の剣埼(後の祥鳳)である。1936年(昭和11年)6月19日、特務艦(給油艦)高崎として進水し、完成予想図を描いた艦名入り絵葉書が発行された。その後、建造途中で軍縮条約から脱退したために、より航空母艦に改造しやすい潜水母艦に計画変更され、さらに潜水母艦から航空母艦へと計画を再変更、艦名も高崎から瑞鳳へと改名された。1940年(昭和15年)12月27日、航空母艦瑞鳳として竣工。空母としては姉妹艦祥鳳(剣埼)より先に完成した。佐世保鎮守府所属。1941年(昭和16年)初頭より乗組員慣熟訓練と航空機発着艦訓練を実施、4月上旬に第一艦隊第三航空戦隊に編入、空母鳳翔の僚艦となった。10月、航海実習と軍需物資輸送を兼ねて台湾の高雄市へ航海を行う。 1941年(昭和16年)12月8日、南雲機動部隊による真珠湾攻撃が実施されると、日本本土で待機していた第三航空戦隊(鳳翔、瑞鳳、駆逐艦三日月・夕風)は連合艦隊旗艦長門以下戦艦8隻、巡洋艦7隻、護衛駆逐艦多数と出撃、小笠原諸島近海まで航海を行い、13日に桂島泊地へ戻った。瑞鳳は搭載機による対潜警戒・哨戒任務に従事したが、開戦当日に九七式艦上攻撃機1機を着艦失敗により喪失した。

    1934年(昭和9年)11月5日- 特務艦「高崎 (タカサキ)」と命名
    1935年(昭和10年)6月20日 - 横須賀海軍工廠にて起工
    1936年(昭和11年)6月19日- 進水
    1938年(昭和13年)9月15日- 建造中に潜水母艦へ計画変更

    注釈

    1. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.2によると転輪安定儀を搭載しない場合の計画値は基準排水量11,163英トン、公試排水量13,000トン、満載排水量14,054トン、公試平均吃水6.61m、満載平均吃水6.98m。転輪安定儀を搭載した場合の計画値は基準排水量11,262英トン、公試排水量13,100トン、満載排水量14,154トン、公試平均吃水6.64m、満載平均吃水7.01m。

    『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、海軍省/編、原書房、1971年10月(原著1941年)。
    海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
    桂理平『空母瑞鳳の生涯 われ等かく戦えり』霞出版社、1999年10月。ISBN 4-87602-213-5。著者は海兵72期。昭和18年12月~沈没まで瑞鳳勤務。
  4. 三冠 (柔道) - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/三冠_(柔道)
    • 柔道三冠
    • 柔道体重別三冠
    • 高校柔道三冠
    • 関連項目

    三冠を構成する大会の概要はそれぞれ以下の通りである。 全日本柔道選手権大会は、嘉納治五郎の創案により1930年から開催された前身の全日本柔道選士権大会が太平洋戦争の影響で中断したのち、その流れを継承して1948年より全日本柔道連盟主催で開催されている国内大会である。現在では毎年4月29日に日本武道館にて開催されるのが恒例となっている。体重無差別の男子個人戦で日本一の柔道選手の座を争う大会であり、重量級におけるオリンピック・世界柔道の代表選考会としても機能している。女子の皇后盃全日本女子柔道選手権大会は1986年に創設され、毎年4月に開催されている。他の2つの大会と異なり、全日本選手権の出場資格は日本国籍を有する者とされているため、必然的に柔道三冠の概念は日本国内に限ったものとなる。 世界柔道選手権大会は、男子は1956年、女子は1980年から国際柔道連盟主催で開催されている、体重別で柔道世界一を決する大会である。2007年までは基本的に2年に一度の開催であったが、その後は夏季オリンピックの開催年を除き毎年開催されている[注釈 2]。 オリンピック柔道競技は、三冠に数えられる大会の中では男女ともに最も設置が遅かった。男子では1964年の東京オリンピックで初採用され、次のメキシコオリンピックでは実施されなかったものの、1972年ミュンヘンオリンピックから再び採用されている。女子では1988年ソウルオリンピックで公開競技として初めて実施され、1992年のバルセロナオリンピックから正式種目として採用された。4年に一度の開催かつ、各階級の代表は国別1名とされているため、必然的に三冠の中では最も獲得機会が限られる大会である。 従って、柔道三冠を達成し得るのは、男子は1964年、女子は1988年以降に現役であった選手に限られる。最初にこの3つの大会を制覇したのは猪熊功である。猪熊は、東京教育大学の学生であった1959年に全日本選手権を21歳・初出場で制覇すると、柔道初のオリンピックとなった1964年の東京オリンピックでも80kg超級で金メダルを獲得。1965年にリオデジャネイロで開催された世界選手権では、前年の東京五輪で日本の全階級制覇を阻んだオランダのアントン・ヘーシンクとの決着を期して無差別級にエントリーするものの、ヘーシンクの大会途中での引退表明により果たせず、同級を...

    三冠のうち、全日本選手権だけは無差別級のみの大会であり、体重80kgで同大会を2度制し三冠を達成した岡野功のような事例もあるものの、基本的には重量級の選手向けのタイトルと言える。そこで、軽量級・中量級で目覚ましい成績を残した選手をも評価する尺度として存在するのが、全日本選手権の代わりに全日本選抜柔道体重別選手権大会を加えた、柔道体重別三冠の概念である。 全日本選抜柔道体重別選手権大会(選抜体重別)は、男子は1966年、女子は1978年に始まり、現在は毎年開催されている。元々は男女別会場での開催であったが、2007年より男女を統合し、福岡国際センターが会場とされている。オリンピック・世界柔道の開催年には、代表選考会のひとつとなる。 男子は1966年以降、女子は1988年以降、現在までに男子14名、女子5名の選手が体重別三冠を達成している。なお、柔道三冠を達成した選手は、選抜体重別選手権の設置時期には既に引退ないし現役晩年だった猪熊功と岡野功を除く全員が体重別三冠も達成している。

    日本の高等学校世代における柔道三冠とは、全国高等学校柔道選手権大会(高校選手権、春の武道館)・金鷲旗高校柔道大会(金鷲旗、夏の福岡)・全国高等学校総合体育大会柔道競技大会(インターハイ)の3つの大会を指し、また同一年でそれら3つの大会全ての団体戦を制覇した高校を指す称号である。 全国高等学校柔道選手権大会は、毎年3月に日本武道館で開催され、各都道府県予選を勝ち上がった代表により男女団体戦及び個人戦男女各5階級が実施される。男子団体戦は5人制の勝ち抜き戦、女子団体戦は先鋒・中堅・大将の各員に体重制限が課せられた3人制の点取り戦である。男子団体戦は1979年、女子団体戦は2006年から開催。 金鷲旗高校柔道大会は、毎年7月に福岡県福岡市で開催される団体戦のみの大会である。現在の会場は照葉積水ハウスアリーナ。1916年に九州学生武道大会の名称で福岡県内の学校のみを参加対象として創設されたが、次第に九州地方全域、さらに中国地方・四国地方へと参加制限を広げ、1973年から全国大会となった。女子大会は1990年に追加された。男女ともに5人制の勝ち抜き戦で行われる。都道府県や地方予選が存在しないオープン参加の大会であるため、全国から多数かつさまざまな実力の柔道部が集結し、大量の試合が行われていく。また、負傷等による交代を除き試合ごとのポジションチェンジが認められないため、先鋒を務める選手の負担が特に大きいという特徴がある。 全国高等学校総合体育大会柔道競技大会は、毎年8月に全国高等学校総合体育大会の一競技として、都道府県持ち回りで開催されている。元々は1952年に全国高等学校柔道大会の名称で創設され、1966年より高校総体に組み込まれた。女子は1990年から開催。男子5人制・女子3人制の点取り制団体戦と、男女各7階級の個人戦が開催される。 従って、高校柔道三冠の中では春の高校選手権が男女ともに最も創設が遅く、三冠が出そろったのは男子1979年、女子2006年である。以降、男子では1986年の世田谷学園を皮切りにこれまでに5校が三冠制覇を達成している。女子では2009年の埼玉栄が初例であり、以降現在までに2校が三冠を達成している。 なお、個人高校三冠と言う場合は、高校選手権・インターハイ・全日本ジュニア柔道体重別選手権大会の三大会を指す。

  5. 御嶽山 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/御嶽山

    気象庁は2008年(平成20年)3月31日に噴火警戒レベル1(平常)と噴火予報を発表した [22]。 2014年(平成26年)9月27日に噴火、南側斜面を火砕流が流れ下り、噴火警戒レベルが3(入山規制)に引き上げられた [23]。

  6. レーダー - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/レーダー
    • 名称
    • 基本原理
    • レーダー方程式
    • レーダー信号処理
    • 特殊なレーダー技術
    • 外部環境の影響
    • 文化・サブカルチャー
    • 参考文献
    • 関連項目
    • 外部リンク

    Radarという単語は定着したアクロニムであり、英語のRadio Detecting and Ranging(電波探知測距) からきている。これはアメリカ人による命名であり、当初イギリスではRadio Locator(電波標定機)と呼称されていた。

    その名の通り、電波を発射して遠方にある物体を探知、そこまでの距離と方位を測る装置である。人間の目がみている可視光線よりもはるかに波長が長い電波を使用することから、雲や霧を通して、はるかに遠くの目標を探知することができる。 最も基本的なレーダーはパルスレーダーである。原理的には送・受の各アンテナと送信機・受信機および指示器から構成されるが、実用機では、右図のように、送・受アンテナは共用されるのが一般的である[注 2]。

    レーダーと目標との関係は、レーダー方程式(radar range equation)によって表される。これはレーダーの受信電力(受信機に到達する信号エネルギー)を、レーダーの送信出力とアンテナ利得、レーダー反射断面積、送信波長(周波数)、および目標までの距離の関数として計算するものである。 1. S E = P G 2 T λ 2 σ ( 4 π ) 3 R 4 {\\displaystyle SE={\\frac {PG^{2}T\\lambda ^{2}\\sigma }{(4\\pi )^{3}R^{4}}}} 1.1. S E {\\displaystyle SE} :レーダーの受信信号エネルギー [Wsec] 1.2. P {\\displaystyle P} :平均送信電力(尖頭電力×デューティサイクル)[W] 1.3. G {\\displaystyle G} :アンテナ利得(非dB形式) 1.4. λ {\\displaystyle \\lambda } :送信信号の波長 [m] 1.5. σ {\\displaystyle \\sigma } :レーダー反射断面積 [m²] 1.6. T {\\displaystyle T} :パルスが目標を照射する時間 1.7. R {\\displaystyle R} :目標とレーダーとの距離 また、パルスレーダーのようにアンテナを共用している場合のレーダー方程式は次式によって与えられる。これはレーダー受信機内の受信電力を考えたものであり、レーダー受信電力方程式(radar received power equation)と称するべきものである。 1. P r = P t G 2 λ 2 σ ( 4 π ) 3 R 4 {\\displaystyle P_{r}={\\frac {P_{t}G^{2}\\lambda ^{2}\\sigma }{(4\\pi )^{3}R^{4}}}} 1.1. P r {\\displaystyle P_{r}} :レーダーの受信電力 1.2. P t {\\displaystyle P_{t}} :レーダーの尖頭電力 1.3. G {\\displaystyle G} :アンテナ利得 1.4. λ {\\displaystyle \\lambda } :波長 1.5. R {\\displaystyle R} :目標...

    パルスドップラー処理

    パルスレーダーのうち、ドップラー処理を行うものをパルスドップラーレーダーと称する。 これは処理装置と変調器のあいだにCW発生器を挟んで、各送信パルスをコヒーレントとしている。各送信パルスが同じ信号の継続であるために、位相に一貫性があり、受信機はエコーパルスをコヒーレントに検波できる。コヒーレント検波は感度において著しい利点を有するほか、ドップラ偏移の測定によって目標の相対速度も測定できる。これらの特性により、クラッタから移動目標を抽出する能力に優れている。しかし一方で、パルス繰り返し周波数(PRF)に相当する距離以上の目標距離は不確かであるため、連続波レーダーと同様に周波数変調を用いて測距を行うものや、複数の異なるPRFを用いて不確かさを排除する方式が用いられる。

    移動目標指示

    移動目標指示装置(moving-target indicator, MTI)は、地上の移動目標の探知を目的としたレーダーの一種である。 これは、低PRF方式のパルスドップラーレーダーの一種であり、ドップラー処理を用いてクラッタから移動目標を抽出するという点では同様であるが、高PRF方式を採用した狭義のパルスドップラーレーダーと比して、速度(ドップラー周波数)の精度が低い一方、距離の精度では優れている。

    イメージングレーダー

    目標物・地域を写真のような映像として写しだすレーダーをイメージングレーダーと総称する。高い位置分解能が求められることから、レンジ方向(レーダーと目標を結ぶ方向)の分解能向上はパルス圧縮によって、クロスレンジ方向(レンジ方向と直交する方向)の分解能向上は目標とレーダーとの相対的な運動によるドップラー周波数の解析によって行うことが多い。このうち、クロスレンジ方向の解析について、レーダー側が運動することによって行うものを合成開口レーダー(SAR)、目標側の運動を利用して行うものを逆合成開口レーダー(ISAR)と称する。

    バイスタティックレーダー

    軍事技術の一つに電波ステルスがあり、これはなるべく敵レーダーへの反射波を返さない技術である。近年では、計算機の発展に伴い、外面が曲面で構成されたステルス兵器もあるが、ステルス兵器が出現した当初は、平面で構成された外面を持っていた。これは、レーダーが送信されてきた方向へはなるべく反射波を返さずに、送信方向とは別の特定の方向にまとめて反射させる工夫である。ステルス技術には電波を吸収する工夫も含まれており、通常は形状によるステルスと共に電波吸収剤も併用される。電波を別方向に反射するステルス兵器を発見するためには、「バイスタティックレーダー(またはマルチスタティック・レーダー)」と呼ばれる送信アンテナと受信アンテナが遠く離れたレーダーシステムが有効だと考えられている。また、電波吸収体は吸収する周波数が固定されるため、広い周波数帯のレーダーが有効だと考えられている。

    パッシブレーダー

    送信機を持たず、他のレーダーや携帯電話の基地局、放送局などといった既存の発信源から発せられている電波を利用して目標を探知するレーダー。自ら電波を発しないため省電力であり、周波数帯域の節減にも益するほか、軍事的観点から電子防護能力やステルス性にも優れるというメリットがある。 上記のイメージングレーダーやバイスタティックレーダーからの技術応用もなされている。

    厳密に言えば電波は空気密度の変化に応じて屈折率が変化する。標準大気の屈折率は高度が高くなるにつれて直線的に減少する。それにより電波は下方に曲がりながら伝播する。またその他に、電波が地表付近を通過すると回折現象により下方に曲がりこむ。これらにより例えば水上捜索レーダーや航海レーダーの2次元レーダーの場合、レーダー水平線までの距離(最大探知距離)は見通し距離に比べ若干ではあるが拡大する。つまりより遠方の物体を探知することができる。

    レーダーのように探知する、市場などの状況を把握する行為や仕組みなどを比喩的に「レーダー」と呼ばれる事がある。全くレーダーの技術が応用されていない探知機にも「レーダー」の名前が使われる事もある。 1. 銘柄レーダー - 日経新聞社の株価情報。 2. レーダー (消しゴム)- 消しゴムのブランド。名前は市場のニーズをレーダーのように敏感に察知するという意味から。 3. レーダーチャート- レーダーの表示以外にも情報を全方位で一覧しやすいので使われている。

    吉田, 孝『改訂 レーダ技術』電子情報通信学会、1996年。ISBN 978-4885521393。
    アダミー, デビッド『電子戦の技術 拡充編』東京電機大学出版局、2014年。ISBN 978-4501330309。
    徳田, 八郎衛『間に合わなかった兵器』光人社〈光人社NF文庫〉、2007年。ISBN 978-4769823193。
  7. アルバトロス級コルベット - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/トリトン級コルベット
    • 設計
    • 同型艦
    • 参考文献
    • 関連項目

    本級は、輸出用にアンサルド社(Gio. Ansaldo & C.) が開発した設計を採用している。主機としてはフィアットM409ディーゼルエンジン2基を搭載し、スクリュープロペラ2軸を駆動する。電源の合計出力は1,200キロワットであった。 艦砲としては、当初は90mm砲を搭載する予定だったが、実際には62口径76mm単装砲(SMP3ソヴラポスト)が搭載された[注 1]。ただしこの砲はあまりに複雑であり動作不良が続発したことから、1963年に40mm連装機銃に換装された。 対潜兵器としては、イタリア国産のメノン 305mm対潜迫撃砲とヘッジホッグMk.11対潜迫撃砲、爆雷投射軌条1条を搭載した。その後、上記の艦砲の換装とあわせてメノンも撤去され、324mm3連装短魚雷発射管が搭載された。

    一覧表

    8隻がイタリアで建造され、3隻がイタリア海軍で就役した。また1隻(「リンクス」)はオランダ海軍、4隻(トリトン級)はデンマーク海軍に供与された。これらはNATOの相互防衛援助協定(Mutual Defense Assistance Act)に基づいてアメリカが資金援助を行なっており、アメリカ海軍の駆潜艇としての船体分類記号が付与されている。 その後、オランダ海軍に供与された「リンクス」は1961年に同国海軍を退役し、一旦書類上でアメリカに返還された上でイタリア海軍に売却された。

    運用史

    アルバトロス級コルベットは、イタリア海軍において対潜哨戒や警戒・監視を主な任務としていたほか、士官候補生の訓練艦としても利用された。イタリア海軍においては1986年に1番艦アルバトロスが退役し、他の3隻も1992年には全て退役した。デンマーク海軍においてはイタリア海軍よりも早く、1975年から1981年にかけて4隻全てが退役した。

    準同型艦

    イタリア海軍では、1960年代に入ると船楼を艦首側に延長して船首楼船型とし、装備も更新した発展型のピエトロ・ディ・クリストファロ級の建造に着手し、1964年・1965年に4隻を就役させた。 またアンサルド社では、インドネシア海軍向けの発展型としてパチムラ級(満載1,200トン・全長82.4メートル)2隻を建造し、1958年に竣工させた。 アメリカ海軍も本級の建造の権利を取得し、軍事援助の一環として、パチムラ級に準じた設計でPF-103級6隻を建造し、イラン海軍とタイ王国海軍に引き渡した。

    Friedman, Norman (1987). U.S. Small Combatants, Including PT Boats, Subchasers, and the Brown-Water Navy: An Illustrated Design History. Naval Institute Press. ISBN 978-0870217135
    Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325
    Prezelin, Bernard (1990). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 1990-1991. Naval Institute Press. ISBN 978-0870212505
    Sharpe, Richard (1989). Jane's Fighting Ships 1989-90. Janes Information Group. ISBN 978-0710608864
  8. 花月川 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/花月川
    • 地理
    • 水害
    • 主な支流
    • 並行する交通
    • 関連項目

    日田市北部の国見山(標高860m)と大将陣山(標高909.8m)の間に源を発し、最初南流し、日田市の市街地に入ると次第に西に向きを変えて、月隈山や豆田町の間を流れ、三隈川(筑後川本流の上流部)に注ぐ。

    2012年7月3日の平成24年梅雨前線豪雨では、堤防が5か所で決壊して氾濫し、日田市内の7,285世帯、20,172人に避難指示が出た。同年7月11日から7月14日にかけての平成24年7月九州北部豪雨でも氾濫し、約5千世帯、約1万4千人に避難指示が出た。2017年7月の豪雨災害では、花月川にかかるJR久大本線の橋梁が流出した。

    道路

    1. 国道212号 2. 大分県道・熊本県道9号日田鹿本線 3. 大分県道720号日田山国線

  9. 三遠南信自動車道 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/青崩峠道路
    • 概要
    • 当面の整備方針の概要
    • インターチェンジなど
    • 歴史
    • 路線状況
    • 関連項目
    • 外部リンク

    中央構造線や赤石山脈(南アルプス)を中心とした険しい山岳地帯を通る。特に静岡県浜松市天竜区水窪町と長野県飯田市南信濃の県境を結ぶ青崩峠は地盤が脆弱でありながら地下水位が高く出水しやすいため、青崩トンネルの掘削は三遠南信道全体の工事の中でも最難関とされている。

    飯喬道路

    1. 起点:長野県飯田市山本(飯田山本IC) 2. 終点:長野県下伊那郡喬木村氏乗(喬木IC) 3. 延長:22.1 km 4. 構造規格:第1種第3級(飯田山本IC - 飯田上久堅・喬木富田IC)、第1種第4級(飯田上久堅・喬木富田IC - 喬木IC) 5. 設計速度:80 km/h(飯田山本IC - 飯田上久堅・喬木富田IC)、60 km/h(飯田上久堅・喬木富田IC - 喬木IC) 6. 標準道路幅員 6.1. 飯田山本IC - 天龍峡IC:20.5 m(暫定10.5 m) 6.2. 天龍峡IC - 飯田上久堅・喬木富田IC:12.0 m 6.3. 飯田上久堅・喬木富田IC - 喬木IC:10.5 m 7. 車線幅員:3.5 m 8. 車線数 8.1. 飯田山本IC - 天龍峡IC:4車線(暫定2車線) 8.2. 天龍峡IC - 喬木IC:2車線(完成2車線) 長野県飯田市の中央自動車道から分岐し同市内を横断し長野県下伊那郡喬木村まで至る、現在建設中の自動車専用道路である。基本計画・整備計画では起点を長野県飯田市山本(飯田山本IC)、終点を長野県飯田市上久堅(飯田上久堅・喬...

    小川路峠道路

    1. 起点:長野県下伊那郡喬木村氏乗(喬木IC) 2. 終点:長野県飯田市上村程野(程野IC) 3. 延長:6.0 km 4. 構造規格:第1種第3級 5. 設計速度:80 km/h 6. 標準道路幅員:20.5 m(暫定トンネル部 9.5 m) 7. 車線幅員:3.5 m 8. 車線数:4車線(暫定2車線) 9. 事業費:約550億円 長野県飯田市から長野県下伊那郡喬木村を経て長野県飯田市上村に至る道路である。延長6.0 kmのうち起点寄り4.8 kmの区間が供用済みであるが、矢筈トンネル東側坑口付近で国道152号に接続する暫定出入口から程野ICへ至る1.2 kmは現道活用区間(後述)のため着工しない予定。基本計画・整備計画では起点を長野県飯田市上久堅(飯田上久堅・喬木富田IC)、終点を長野県飯田市上村程野(程野IC)とする延長13.5 kmの道路とされている。飯田上久堅・喬木富田IC - 喬木ICの7.5 km区間は2004年度(平成16年度)小川路峠道路から飯喬道路に編入された。

    現道活用区間(長野県)

    小川路峠道路終点から青崩峠道路起点へ至る区間は、約12 kmにわたる南信濃道路を調査中としつつ、概ね並行する国道152号を長野県が改良整備しており、現道活用区間として当面利用するとされた。三遠南信自動車道の全線整備に際して国土交通省は、現道を活用するなどなるべく短期間で整備及び開通効果を上げる方針のためとしている。

    IC番号欄の背景色が■である部分については施設の供用開始済みを示している。また、施設名欄の背景色が■である部分は施設が供用開始されていない、または完成していないことを示す。なお、未開通区間の各施設名称は仮称である。
    当路線の終点から接続している、浜松いなさJCT - 三ヶ日JCT間は新東名高速道路引佐連絡路であり、当道による事業区間ではない。

    トンネルと主な橋

    1. 天龍峡大橋(天龍峡IC - 千代IC):280 m 2. 矢筈トンネル(喬木IC - 程野IC):4,176 m 3. 川合トンネル(佐久間川合IC - 浦川IC):2,408m 4. 浦川奈根トンネル(浦川IC - 東栄IC):3,436m 5. 三遠名号トンネル(鳳来峡IC - 渋川寺野IC):1,056 m 6. 三遠大島トンネル(鳳来峡IC - 渋川寺野IC):172 m 7. 三遠トンネル(鳳来峡IC - 渋川寺野IC):4,525 m 8. 渋川トンネル(渋川寺野IC - 浜松いなさ北IC):1,598 m 9. 別所トンネル(渋川寺野IC - 浜松いなさ北IC):948 m

    道路情報ラジオ

    飯田山本ICと天竜峡ICの間で放送されている。

    交通量

    24時間交通量(台) 道路交通センサス (出典:『平成22年度道路交通センサス』『平成27年度全国道路・街路交通情勢調査』(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成) 1. 令和2年度に実施予定だった交通量調査は、新型コロナウイルスの影響で延期された。

  10. 芳田司 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/芳田司
    • 経歴
    • 柔道スタイル
    • 戦績
    • Ijfワールド柔道ツアーにおける獲得賞金一覧
    • 外部リンク

    小学生時代

    幼少時は力を持て余す「きかん坊」だったことから、京都市立新町小学校2年の時に両親に勧められて近所の円心道場で始めた。なお、父親は柔道経験を持たずも、娘の試合となれば国内外お構いなく必ず応援に駆けつけるほどフットワークの軽い「ザ・自由人」と呼ぶべき人物だという。5年生の時に初めての全国大会となる全国小学生学年別柔道大会に出場して40 kg級で3位になった。6年生の時は45 kg級で3位だった。一方、この当時は陸上部にも所属しており、姉とともに毎朝ジョギングを課せられていたこともあって、S&Bちびっ子健康マラソン大会京都大会では1年生の時に優勝、2年生の時に3位、3年生の時に2位、4年生の時から3年連続で優勝を果たした。

    中学時代

    中学は全国大会で活躍していた1学年上の田代未来に影響されて、田代が所属する神奈川県相模原市の相武館吉田道場に入門して寮生活を送ることになり、国際大会に出場することを目的に稽古に精進することとなった。相原中学1年の時に近代柔道杯で優勝すると、2年の時には全国中学校柔道大会とマルちゃん杯の団体戦でもエースである田代とともに活躍して優勝を勝ち取り、中学女子では史上初となる中学団体3冠(近代柔道杯、全国中学校柔道大会、マルちゃん杯)を達成した。さらに2010年3月の近代柔道杯でも同級生で後に48 kg級の世界チャンピオンとなった渡名喜風南や内尾真子とともに活躍して2連覇に貢献した。3年の時には全国中学校柔道大会の個人戦57 kg級決勝で東松山南中学1年の嶺井美穂を大外返の技ありで破って優勝を飾ったが、団体戦は5位にとどまった。マルちゃん杯では3位だった。

    高校時代

    高校はすでに小学生の時から誘われていた福岡県にある敬愛高校へ進んだ。1年の時には4月の全日本カデで優勝した。5月には中学の時から憧れていた初の国際大会であるドイツカデ国際大会に出場して優勝するも、8月の世界カデでは準決勝でオランダのドー・ベレマに足取りの反則負けを喫して3位に終わった。2012年3月の全国高校選手権では個人戦の決勝で桐蔭学園高校2年の山本杏に有効で敗れて2位だった。団体戦では5位にとどまった。 2年の時には金鷲旗の決勝で一本勝ちするなどチームの優勝に貢献した。8月のインターハイ個人戦では3回戦で東大阪大敬愛高校1年の米澤夏帆に上四方固で敗れた。なお、団体戦には出場しなかった。9月の全日本ジュニアでは決勝で夙川学院高校2年の原田千賀子を上四方固で破って優勝すると、アジアジュニアでもオール一本勝ちして優勝を飾った。初のシニアの全国大会となった講道館杯では初戦で帝京高校1年の西尾直子に反則負けを喫した。12月のワールドカップ・チェジュ では決勝でコマツの石川慈に横四方固で敗れて2位だった。2013年2月のベルギー国際ジュニアの部では決勝で西尾に判定で敗れて2位だった。シ...

    左組みからの内股を始めとした足技や、抑込技などの寝技を得意とする。身長が低いために相手を太ももではなく尻に乗せて投げる、「ケツ股」とも呼ばれる独特の形の内股をとりわけ得意技にしている。中学時代は帯取返の打ち込みを時には千本もこなすなどして、内股とともに完全に自分のものにしていった。内股とともに子供の頃からやり込んでいた寝技での一本勝ちも多い。また、幼少の頃から長距離走に積極的に取り組んでいたこともあって、持久力には十分な自信を有している。コマツに入社後は監督の松岡義之に打ち込みやトレーニングなど今までの方法を全て変えられるも、それが好結果に繋がることになった。2017年のグランドスラム・東京では今まで使ってこなかった一本背負投も繰り出せるようになった。2018年より施行の新ルールでは、従来なら効果相当の技でも技ありを取られる可能性があるため、それに対処するための受けの練習にも精力的に取り組むことになった。立って良し、寝て良しの総合力を売り物にしていたが、2017年の世界選手権以降は隙が生じる余地があったことからそれを克服するため、どんな状況でも対応できる強さを築くための土台作りに取り組み、2018年の世界選手権では女子代表監督の増地克之をして、完璧に近い内容と言わしめる勝利を飾った。

    2006年 - 全国小学生学年別柔道大会3位(40 kg級)
    2009年 - 近代柔道杯優勝
    2009年 - 全国中学校柔道大会団体戦 優勝

    日本選手の場合は、獲得賞金の半分は全柔連の取り分となっていたが、2013年3月からは競技者規定が改訂されて、賞金は全額選手が受け取れることになった。2014年7月からはIJF主催の各大会でコーチにも賞金が支給されるようになったために、選手の賞金が従来の2割減となった。