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  1. 旭川厚生病院 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/北農旭川保健病院

    11月22日 : 旭川市が入院患者や職員28人が感染し、クラスターに認定したと発表 [8]。 12月2日 : 旭川市が新たに15人の感染を発表し、累計の感染者数が171人と、北海道内最大のクラスターとなった [9] 。

    • 上川医聯保健病院→北聯保健病院→北農旭川保健病院→北農旭川厚生病院
    • Hokkaido P.W.F.A.C. Asahikawa-Kosei General Hospital
    • JA北海道厚生連 旭川厚生病院
    • 539床
  2. 地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/地方病_(日本住血吸虫症)

    本項で解説する 地方病 (ちほうびょう)とは、 日本住血吸虫症 (にほんじゅうけつきゅうちゅうしょう) の 山梨県 における 呼称 であり、長い間その原因が明らかにならず、住民らに多大な被害を与えた 感染症 である。. ここではその克服・撲滅に至る歴史につい ...

    • 5町村
    • 1村
    • 1村
    • 9村
  3. ウイルスの社会史 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/ウイルスの社会史

    感染はオオコウモリのウイルスによって引き起こされる。オオコウモリは生息地が森林伐採で破壊されてブタの農場の近くの樹木へ移動し、その糞からブタへウイルスが伝染した [266]。 ウイルス性出血熱

  4. 日本紅斑熱 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/日本紅斑熱
    • 病原体
    • 感染経路
    • 発見の歴史
    • 疫学
    • 症状
    • 治療
    • 予防
    • 脚注

    リケッチアの一種である、日本紅斑熱リケッチア(リケッチア・ジャポニカ)によって引き起こされる。 リケッチアは真正細菌の一グループであり、宿主となる他の生物の細胞の中でのみ増殖が可能な偏性細胞内寄生体である。このうちのいくつかの種はヒトに対して病原性を持つが、これらはワイル・フェリックス反応と呼ばれる、患者血清中に生じる抗体を利用した検査法を用いて鑑別することが可能であり、以下の3グループに大別される(括弧内はワイル・フェリックス反応のパターン)。日本紅斑熱リケッチアはこのうち、紅斑熱群リケッチアに分類される。 1. 発疹チフスまたは発疹熱を引き起こす発疹チフス群リケッチア(OX2:+, OX19:+++, OXK:–) 2. 紅斑熱を引き起こす紅斑熱群リケッチア(OX2:+++, OX19:+, OXK:–) 3. ツツガムシ病を引き起こすオリエンティア・ツツガムシ(Orientia tsutsugamushi、旧名ツツガムシ病リケッチア)(OX2:–, OX19:–, OXK:++)

    日本紅斑熱リケッチアは、他の紅斑熱群リケッチアと同様、森林に生息するマダニに感染しており、これらのマダニが「運び屋」(ベクター、媒介者)となって、ヒトに吸血した際にリケッチアを感染させると考えられている。 一般に森林性のマダニ類は、その一生を通じて1-3回(種によって異なる)のみ他の動物(鳥類や哺乳類などのいわゆる温血動物)から吸血を行い、その栄養を元にして、 1. 幼虫から若虫への脱皮 2. 若虫から成虫への脱皮 3. 交尾と産卵 を行う。この吸血の際に、保菌ダニから吸血された動物にリケッチアが伝達される。 その一方で、吸血された動物が本菌を保有している場合(リザーバーと呼ばれる)に保菌していないダニが吸血すると、リケッチアに感染する(ダニの有毒化)。複数回の吸血を行うマダニの場合は、リケッチアを持たない無毒の状態で生まれてきても、途中の吸血によって有毒化し、さらに別の動物(ヒトを含む)から吸血することで、リケッチアの伝染に関与することが知られている(ライム病も参照)。またこれに加えて、紅斑熱群リケッチアは親ダニから卵への垂直感染(経卵感染)も起こすことが知られており、生まれながらにして有毒なダニも存在している。 日本紅斑熱リケッチアでは、どの種類のマダニが媒介しているかについてはまだ不明な点もあるが、キチマダニ(Haemaphysalis flava)やフタトゲチマダニ('H. longicornis')、ヤマトマダニ('Ixodes ovatus')などがベクターとしての役割を担っている可能性が強く示唆されている。また、これらのマダニでの経卵感染によって保持されている(マダニがベクター兼リザーバー)だけでなく、小型のげっ歯類や野生のシカなどがリザーバーとして、自然環境中での本菌の保持に関与していることが示唆されている。

    1906年、ハワード・リケッツは、北アメリカから中南米にかけて多く見られる疾患であるロッキー山紅斑熱の病原体を発見した。リケッツはその後、発疹チフス病原体の研究中に命を落としたが、その功績を讃えて、1916年にこれらの病原体はリケッチア('Rickettsia')と命名された。 その後、ユーラシア大陸に見られるシベリアマダニチフス('R. sibirica' による)やボタン熱('R. conorii' による)、オーストラリアに見られるクイーンズランドマダニチフス('R. australis' による)などが、ロッキー山紅斑熱(ロッキー山紅斑熱リケッチア 'R. rickettii' による)と同様のリケッチア症であることが見いだされ、紅斑熱群リケッチアは世界中の広い地域に亘る山麓、森林に分布していることが明らかになっていった。一方、日本では古くからの風土病としてツツガムシ病の発生が知られていたが、紅斑熱の存在は知られておらず、日本には固有の紅斑熱は存在しないと考えられていた。 1984年、徳島県で高熱と紅斑を伴う疾患が3例続いて発生した。馬原文彦医師の報告によると、その症状とダニによる刺し口などから当初はツツガムシ病が疑われたが、ワイル・フェリックス反応の結果ツツガムシ病ではなく、これまでに知られていない紅斑熱群に分類されるリケッチアによる感染症であることが明らかになり、日本紅斑熱(Japanese spotted fever)と名付けられた。1986年に病原体が分離され、'R. japonica'と名付けられた。

    日本の風土病であると考えられており、それ以外の国家での発生は見られていない。ただし、韓国南部での最初の発生事例が2006年に報告されている。日本国内では関東以西の地域でのみ発生が見られる。当初は中部地方以南の太平洋側の温暖な地域に見られたが、発生地域が拡大しており、2006年現在までに23府県から発生が報告されている。ただし本菌を媒介すると考えられているチマダニ類は、日本全国に生息することが知られており、本疾患が関東以西でのみ発生する理由はまだ判っていない。 日本紅斑熱は、マダニの刺咬によってのみヒトに感染するため、その発生にはマダニの生態や生息域が大きく関与する。発生時期は4-11月であり、特にマダニが吸血を行う夏期に集中している。媒介するマダニは森林や山地に生息するため、竹林や田畑での作業中の感染が多い。類似の疾患であるツツガムシ病と比較すると、ツツガムシ病は全国的に発生が見られ、発生時期は地域によって春から初夏にかけての時期(東北・北陸地方)と、秋(それ以南の地域)に集中して発生する傾向があり、両者の発生動向には違いが見られる。 1984年の発見以降、日本では年間10-60件程度の発生が報告されている。1994年までは10-20名程度であったが、1995年以降は年間40-60名程度に増加しており、2007年には98件が報告されている。 マダニの分布域の拡大や検査体制の充実などから感染報告は増加傾向にあり、2017年には337件、2018年には305件、2019年には318件(2019年は13人が死亡)が報告されている。

    他のダニ媒介性紅斑熱やツツガムシ病と同様、発熱・発疹(特に紅斑、紅色の斑丘疹)・刺し口(マダニによる刺咬痕での痂皮形成)の三つが、主要三徴候と呼ばれる。特に発熱と発疹はほとんどの患者に見られる。マダニによる吸血によってのみ媒介されるため、刺し口も必ず存在し、通常は1-2週間ほどの期間見られる。しかし刺し口が小さい場合には、数日で消えてしまったり、頭部など体毛で覆われた部分を刺されたときなどには刺し口が見つけづらいこともある。刺されて2-8日ころから頭痛や発熱、倦怠感、関節痛、筋肉痛などが起こる。発熱と同時、またはその前に紅色の斑丘疹が発生する。リンパ節の腫脹はあまり見られないが、斑丘疹と同時に見られる時は注意が必要である。 同じ紅斑熱群リケッチア症であるロッキー山紅斑熱に比べると症状は概ね軽度であるが、死亡例も存在する。ツツガムシ病との鑑別は難しいが、一般にツツガムシ病ではリンパ節腫脹がしばしば見られることや、ツツガムシ病では発疹が四肢よりも体幹部に多く見られること、ツツガムシ病の方が刺痕の痂皮部が大きい(しばしば1センチメートル以上)傾向があること、などの点で違いが現れることがある。 風疹の症状にも似ているが、ハイキングやキャンプから帰ったときなどにこうした症状が発生した場合、特にダニによる刺し傷がある場合には日本紅斑熱を疑う必要がある。マダニの仲間には吸血時にはかゆみや痛みを抑える物質を産生するものがあり、刺されたことに気付きにくいことがある。また刺し口が発見できないこともある点にも注意が必要である。 一般検査ではCRP陽性、白血球および血小板の減少、肝酵素の上昇が見られる。

    化学療法による治療が行われる。β-ラクタム系抗生物質は無効であるが、ツツガムシ病をはじめとした他のリケッチアと同様、テトラサイクリン系抗生物質が著効であり、第一選択薬として用いられる。またツツガムシ病とは異なり、ニューキノロン系抗菌薬も有効だとされている。ロッキー山紅斑熱と同様、迅速に治療を開始することが重要視されており、高熱例ではテトラサイクリンとニューキノロンの併用療法を行うべきだと提唱されている。

    ワクチンは作られていないため、予防にはマダニによる刺咬を避けることが最も重要である。マダニの生息する森林や山地に入ることを極力避けること、もし入るときは刺咬を避けるため、肌をできるだけ露出しない衣服を着用し、高濃度ディートを露出した肌に塗布することが推奨される。 もしマダニに吸着された場合、ダニを潰して殺そうとすると、虫体内のリケッチアを注入することになるため、絶対避けること。また、ダニを無理に引きはがそうとすると、頭だけがちぎれて皮膚に残ることもあるため、取り除く際には注意が必要である(マダニを参照)。

    ^ [リンク切れ]
    ^ a b つつが虫病/日本紅斑熱 2005年12月現在国立感染症研究所 The Topic of This Month Vol.27 No.2(No.312)
    ^ バイエル製薬 (PDF) [リンク切れ]
    ^ a b c “アーカイブされたコピー”. 2008年6月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年8月22日閲覧。 CDC, (日本語版) Archived 2009年1月17日, at the Wayback Machine.
  5. 北海道小学校の廃校一覧 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/北海道小学校の廃校一覧

    北海道小学校の廃校一覧(ほっかいどうしょうがっこうのはいこういちらん)は、北海道内の廃校になった小学校の一覧。 対象となるのは、学制改革(1947年)以降に廃校となった小学校、および分校である。校名は廃校当時のもの。廃校時に小学校が所在した自治体がそ ...

  6. 岐阜県 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/岐阜県

    岐阜県の気候(出典:気象庁・気象統計情報) 飛騨北部 飛騨南部 白川村 飛騨市 高山市 下呂市 飯島 御母衣 河合 神岡 桐生町 清見 六厩 栃尾 丹生川 宮之前 萩原 宮地 金山 平均 気温 ( C) 最暖月 23.3 (8月) 23.1 (8月) 23.9 (8月) 23.7 (8月)

  7. 第44回世界遺産委員会 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/第44回世界遺産委員会

    コンゴ民主共和国のヴィルンガ国立公園(危機遺産)では、2000年代初頭にエボラ出血熱がゴリラに感染して個体数の⅓が失われた経緯があり、コロナの人獣共通感染症の可能性を考慮し、動物管理官や密猟者を含めた人間との接触感染を厳重監視することになった 。 ...

  8. 日本の世界遺産 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/日本の世界遺産
    • 地域別
    • 暫定リストへの過去の提案
    • 新たな暫定リスト追加の可能性
    • 今後の在り方について
    • 関連項目
    • 外部リンク

    現在、47都道府県中27都道府県(北海道、青森県、岩手県、秋田県、栃木県、群馬県、東京都、富山県、山梨県、岐阜県、静岡県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、島根県、広島県、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県、沖縄県)に世界遺産がある。

    文化遺産推薦に向けた公募

    文化庁は2006年と2007年に文化遺産候補を全国から公募した。その中には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」、「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のように、すでに世界遺産に登録されているものもあり、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」のように暫定リストに記載済みのものもある。また、「萩-日本の近世社会を切り拓いた城下町の顕著な都市遺産」は「萩城下町」として「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に組み込まれて世界遺産に登録されている。その一方で、暫定リスト入りを果たしていない提案も以下のように多く残っている(カッコ内の年は最初に提案された年)。以下の提案は文化審議会によって評価や課題が示されている。 なお、「飛騨高山の町並みと祭礼の場-伝統的な町並みと屋台祭礼の文化的景観-」の無形文化財の要素については、無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の構成資産となった。また、ユネスコの遺産事業とは異なるが、日本遺産に組み込まれた例に四国霊場や足利学校および「水戸藩の学問・教育遺産群」と「近世岡山の文化・土木遺産群」の構成資産候補から...

    自然遺産推薦に向けた選定

    自然遺産の候補については、2003年に環境省と林野庁が主催する「世界自然遺産候補地に関する検討会」でリストアップと検証が行われ、その中から、有力候補として知床、小笠原諸島、奄美・琉球が選定された[注 5]。その過程で漏れた候補は以下の通りである(「比較対象」は、審議の際に、候補地よりも優越するとして挙げられた他国の世界遺産などであり、選定された3件のみが他国の世界遺産よりも優越する可能性を指摘された)。

    ユネスコの諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)の国内組織「日本イコモス国内委員会」の岡田保良副委員長(国士舘大教授)は2018年2月8日に宮崎県庁で行われた講演の中で、「政府が選定する国内の推薦候補地について、2019年度までに追加など見直し作業を行う可能性がある」との見解を示した。日本イコモス国内委員会は2017年12月8日に、将来的に世界遺産になる可能性がある日本の20世紀遺産を選定している。 上掲文化遺産推薦に向けた公募の内、「松島の貝塚群」は2021年に登録審査予定の「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」に加えることを検討すべきとされており、松本城は暫定リスト掲載の彦根城や公募に名乗りを上げなかった犬山城と合わせて既登録の姫路城への「近世日本の木造天守閣式城郭」といったような枠組みでの拡張登録が模索されている。また、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の登録に尽力し内閣官房参与も務めた加藤康子は黒部ダム、そして日本イコモス国内委員会委員長・文化審議会世界遺産特別委員会委員長を務めた西村幸夫と元ユネスコ事務局長の松浦晃一郎らも黒部に加え立山の砂防システムの登録の可能性を公言しており、立山の自然環境を含めれば複合遺産の可能性もあると示唆している。特に西村は今後の日本の世界遺産について、ユネスコが認める保存活用事例(アダプティブユースや遺産と創造性)も勘案しつつ、近代化遺産・産業遺産や稼働遺産としての土木(土工)構築物、戦後建築に移行せざるをえないのではないかと言及する[注 6]。 さらに既存登録地の京都ではかねてから古都京都の文化財の拡張登録が取り沙汰されているほか、群馬で富岡製糸場と絹産業遺産群の拡張登録や、和歌山では紀伊山地の霊場と参詣道の再拡張登録を目指す動きもある。 自然遺産に関しては、日本の世界遺産条約締約作業に携わった筑波大学の吉田正人が、上記の「自然遺産推薦に向けた選定」は気候と地形に応じた植生を基にユネスコと自然遺産諮問機関の国際自然保護連合(IUCN)が重視する生物多様性や固有種生態系を中心としたものであると指摘した。その観点からすれば「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」をもって打ち止めの感はあるが、(1)ユネスコとIUCNが推奨する海洋域への展開として除外された奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島の海...

    新型コロナウイルス感染症の流行により、2020年に開催予定であった第44回世界遺産委員会が延期となったため、文化庁文化審議会世界文化遺産部会は2022年に審査を受ける国内候補選定を行わないことにした。 このような社会情勢に加え、ユネスコと世界遺産委員会が世界遺産に求める条件が多様化したこと(以下に列挙)などをうけ、2020年10~11月にかけて文化審議会世界文化遺産部会は今後の世界遺産の在り方について協議を始めた。 近年、ユネスコ・世界遺産委員会は、災害等を含めた管理体制と被災時における適正な復旧手法の事前構築、緩衝地帯を含めた景観保護や開発の監視・規制、世界遺産管理のエッセンシャルワーカーとしてのサイトマネージャーの育成、文化遺産維持に必要な文化資材の確保、遺産の価値や意義の周知徹底[注 9]、保存活動への地域コミュニティの関与、世界遺産が与える地域貢献の具体案、観光公害対策[注 10]を求めるようになり、こうした条件に対応できる物件・地域(自治体等の地方行政機関)でなければ世界遺産の候補とすることは難しいとした。 また物件そのものも、ユネスコや諮問機関がこれまで行ってきたテーマ研究に基づく「世界遺産リストにまだ充分に反映されていない分野」[注 11]から選定すべきとし、これは前述の西村の意見とも合致しているほか、イコモスによる「遺産としての農村景観に関する原則」に基づき地域多様性を反映する一般家屋や集落景観の可能性も示唆。 文化ナショナリズムが台頭していることをうけ、国際軋轢(あつれき)を生まない物件にする配慮も必要とする。 さらに、国連機関の一員であるユネスコは、国連が推進する持続可能な開発目標(SDGs)への取り組みから持続可能な開発のための文化を採択し、持続可能な開発を世界遺産にも反映させるべく求めるようになり、今後の世界遺産登録を目指す際には官民一体となった対応が不可欠とされる。SDGs目標11「包摂的で安全かつ強靱(レジリエント)で持続可能な都市及び人間居住を実現する」の第4項に「世界の文化遺産および自然遺産の保全・開発制限取り組みを強化する」と明記されており、特に世界遺産候補地周辺での開発は慎重かつ国際ルールに則った適切なもので実施しなければならない。 こうしたことを踏まえ、2021年1月21日に開催した文化審議会世界文化遺産部会は新たに推薦さ...

  9. 札幌農学校第2農場 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/札幌農学校第2農場
    • 概要
    • 沿革
    • 施設概要
    • 参考文献
    • 関連項目
    • 外部リンク

    ウィリアム・スミス・クラークの大農経営構想に基づき、明治時代に建てられた木造の畜舎などの建築物群が位置する。また、施設は「模範的畜舎」を意味する「Model Barn(モデルバーン)」という名称でも知られる。一部建造物は内部が一般公開され、北海道開拓時代の農具など展示されている数々の資料を無料で見学することが可能である。 1969年(昭和44年)に農場の建造物9棟が国の重要文化財に指定された。官報に告示された指定名称は「北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場」となっているが、北海道大学では由来を明確にする目的や、当時の文化庁によって現在地へ移転され建設当初の姿に復元されていることなどから札幌農学校第2農場の名称を用いている。さらに、2001年には北海道遺産にも選定された。 所在地は北海道札幌市北区北19条西8丁目であり、総合博物館の本館がある北10条西8丁目からおよそ1.3km北に所在する。

    札幌農学校第2農場の歴史は、北海道で農業が始まった19世紀末頃が始まりである。開拓がまだ十分になされていなかった北海道における殖産興業の方針を決めるため、北海道開拓使の次官を務めていた黒田清隆が1871年にアメリカ合衆国へ渡った。当時は江戸時代の終わり頃より開始されたロシアの南下政策が背景にあり、渡米し海外の技術者の援助を募る目的があった。 その後アメリカ農務局の局長を務めていたホーレス・ケプロンや、地質鉱山学者であったT・アンチセルをはじめとする一団が日本に訪れ、北海道を3年ほど調査したのち、開拓の方法には畜力・機械を用いた畑作や畜産がよいと提案した。黒田清隆はもっぱら稲作を中心に生活してきた入殖者達にこうした案を受け入れさせる目的でエドウィン・ダンらを現在の農業試験場に、札幌農学校にはマサチューセッツ州立農科大学の学長を務めていたウィリアム・スミス・クラークやW・M・ホイーラー、W・P・ブルックス、D・P・ペンハローを中心とするお雇い外国人を北海道に招いた。 1876年に札幌農学校の教頭に迎えられたクラークは、実践を中心とした農業教育を提唱し、当時は「札幌官園」という名で機能していた土地一帯を「農黌園(のうこうえん)」として移管、実践農場としての利用が開始された。この農黌園という名称は「College Farm」の日本語にしたものである。園内は2つの区域に分けられ、学生の農業教育の研究を対象とした「第1農場」が現在の北海道大学南門周辺に、そして畜産の経営を実践する農場としての役割を担った「第2農場」が現在の大型計算機センターと環境研が位置する場所一帯に建設された。 この第2農場では、それまで日本人になじみの無かった酪農・畜産経営を実践できる実習施設として機能し、外国種の家畜・牧草や畜力農機具、さらにはマサチューセッツ州立農科大学にならって産室・追込所・耕馬舎を建設した。この建造物はクラークにより「Model Barn」と記載され、日本語でも「札幌農学校模範家畜房」と名づけられた。この名称はクラークの北海道農業の模範となるようにとの願いが込められたもので、建物群が象徴的であることもあり、後になって第2農場の建物群そのものを指すようになった。 モデルバーンは1877年秋に完成。北海道大学内の記念建造物の中では最も古く、バルーンフレーム構造やツーバイフォー方式の...

    札幌農学校第2農場には9棟の歴史的建造物が保存されており、そのうち模範的家畜房(モデルバーン)と穀物庫(コーンバーン)のみ内部公開されている。公開期間は4月29日から11月3日で、公開時間は午前10時から午後4時の間である。内部には明治初期に使用されていた輸入の畜力農機具や北海道における畜産全体の歴史資料などが展示されており、誰でも無料で見学することが可能である。 入口にある農場事務所は第2農場の管理施設となっており、ガードマンが常駐している。この建物は1879年にあった派出所の建物を踏襲した設計となっており、30.5坪の広さを誇る。当時としては珍しく窓ガラスを使用した建築物であり、洋風の木造平屋建ての外観と畳部屋の宿直室を持ち合わせる折衷の建築物となっている。現在は文部科学省の許可の下、フローリングを和室に張り使用されている。 製乳所は1911年に新築、1972年に解体改修工事が施された建物で、3つの部分に分けられた内部は冷蔵庫やチーズなどの乳製品の加工室に利用された。建物は煉瓦造りであり、6.5間の長さがある。その北側に位置する建築物は釜場と呼ばれる建物で、1910年に新築、同じく1972年に解体改修が行われている。札幌軟石を用いて建てられたこの建物は5間の奥行きがあり、おもに設置されていた大釜で家畜飼料を煮込んで加工する作業を行う施設だった。石造りの建物は防火の目的があったとされる。 東側にあるサイロ付きの建物は牧牛舎で、明治時代の終わりに海外から伝来した最先端の技術を駆使し、1909年に建てられた建築物である。1977年に原型をとどめる形で解体・修復工事が施された。むろを煉瓦で、サイロを札幌軟石で建設したこの建物は建築当時、日本全体の産業が発展した時期でもあり、デンマーク農法と呼ばれる農業形態を北海道の農業へ導入する話が持ち上がっていた。牧牛舎のマンサード型畜舎やサイロなどは、こうした歴史背景を受けている。また、屋根裏には搬送用の木製レールがあったほか、柱を中央に建設しない構造で飼料置き場としての機能を果たした。 牧牛舎の北側に模範家畜房が位置する。この木造の建物はもともと1877年にW・M・ホイーラーにより建設されたもので、馬車道が地下室と2階を往来できる構造になっていた。その後1911年に地下室および馬車道を取り払って現在の位置へ移動、1979年に...

    『札幌の文化財』 札幌市市民局生活文化部文化財課発行・編集 2002年4月
    札幌農学校第2農場、施設内展示パネル