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  1. 紀伊半島南東沖地震 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/三重県南東沖地震
    • 2004年9月5日19時7分8秒発生の地震
    • 9月5日23時57分17秒発生の地震
    • 9月7日8時29分36秒発生の地震
    • 脚注
    • 関連項目
    • 外部リンク

    概要

    紀伊半島沖で地震が発生。津波注意報が震源地に近い沿岸部に発表された。 1. 北緯33度1.9分、東経136度47.8分、M7.1、震源の深さ38km 2. 奈良県下北山村、和歌山県新宮市で震度5弱。関東地方から九州地方までの広い範囲で揺れを観測。 3. 揺れはさほど激しい揺れではなく、ゆっくりとした揺れが感じられた。2分近く同間隔の揺れが続いた。 4. メカニズム解 4.1. 走向、傾斜、すべり角 (71, 56, 75) 4.2. 地震モーメントMo 9.8 * 1019Nm 4.3. Mw 7.3 4.4. 破壊継続時間(主破壊) 16秒 4.5. 破壊開始点の深さ 15 km 4.6. 食い違い Dmax 3.9 m

    津波

    観測値は験潮所による。 1. 19時15分、三重県南部と和歌山県に津波注意報が発表される。 2. 20時15分、上記の沿岸に加え、伊豆諸島、小笠原諸島、静岡県、愛知県外海、徳島県、高知県に津波注意報が発表される。 3. 19時26分、和歌山県那智勝浦町浦神に高さ19cmの押しの津波第一波が観測される。 4. 20時06分、神津島に63cmの最大波が到達する。 5. 21時15分、津波注意報は全面解除となった。

    概要

    19時7分の地震のやや東(東海道沖)で地震発生。この地震で0時03分頃に愛知県外海、三重県南部、和歌山県に津波警報が発表され緊急警報放送が出された。(NHKのみ) 1. 北緯33度8.2分、東経137度8.4分、M7.4、震源の深さ44km 2. 三重県松阪市、香良洲町(現:津市)、和歌山県新宮市、奈良県下北山村で震度5弱を観測。 3. 名古屋をはじめ広い範囲で震度4を観測。 4. 宮城県から熊本県までの広い範囲で揺れを観測し、震度1以上を観測した地点は当時の震度観測網の約半数に当たるおよそ1800に上った。 5. 19時7分の地震と揺れ方はほぼ同じ。 6. メカニズム解 6.1. 走向、傾斜、すべり角 (135, 40, 123) 6.2. 地震モーメントMo 1.7* 1020Nm 6.3. Mw 7.4 6.4. 破壊継続時間(主破壊) 30秒 6.5. 破壊開始点の深さ 10 km 6.6. 食い違い Dmax 6.5 m

    津波

    観測値は験潮所による。 1. 翌日9月6日0時01分、大阪管区気象台は和歌山県に津波警報、徳島県、高知県に津波注意報を発表する。 2. 翌日9月6日0時03分、気象庁は三重県南部、愛知県外海に津波警報、伊勢・三河湾、静岡県、伊豆諸島、小笠原諸島、千葉県九十九里・外房に津波注意報を発表する。 3. 0時17分、和歌山県那智勝浦町浦神に高さ61cmの押しの津波第一波が到達する。 4. 0時53分、神津島に93cmの最大波が到達する。 5. その他三宅島、父島、南伊豆町、御前崎市、沼津市、鳥羽市、尾鷲市、和歌山県白浜町、串本町、和歌山市、小松島市、室戸市、土佐清水市の各観測地点で津波が観測される。 6. 2時40分、津波予報は全面解除となった。

    報道への対応

    NHKでは、9月6日午前0時03分に緊急警報放送を出した。また、独立U局の三重テレビとテレビ和歌山は番組の途中に地震関連を放送した。

    9月5日23時57分の地震のやや東で地震発生。最大の余震である。 1. 北緯33度12.5分、東経137度17.5分、M6.5、震源の深さ41km 2. 静岡県河津町、三重県松阪市、香良洲町(現:津市)、兵庫県津名町(現:淡路市)、奈良県下北山村、和歌山県新宮市、那賀町(現:紀の川市)で最大震度4を記録した。 3. 各地でゆっくりとした揺れが感じられたが、揺れは1分ほどでおさまった。 4. メカニズム解 4.1. 走向、傾斜、すべり角 (266, 50, 99) 4.2. 地震モーメントMo 1.1 * 1019Nm 4.3. Mw 6.6 4.4. 破壊継続時間(主破壊) 13秒 4.5. 破壊開始点の深さ 25 km 4.6. 食い違い Dmax 1.3 m

    • 38 km
    • 19時7分8秒(JST
  2. ニューギニア島沖地震 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/ニューギニア島沖地震_(1996年)

    2009年1月4日の午前4時43分に南緯0度24.4分、東経132度52.1分のニューギニア島西部の北岸、深さ17 kmを震源とする地震が発生した。また、この地震の約3時間後の午前7時33分にやや東の南緯0度42.5分、東経133度20.2分の深さ23 kmを震源とする地震が発生した[4]。後 ...

    • 04:43:50(現地時間), 19:43:50 (UTC)注1
    • 17 km
    • モーメントマグニチュード (Mw)7.6
    • 2009年1月4日
  3. 東北地方太平洋沖地震 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/Tohoku_Region_Pacific_Coast_Earthquake

    東北地方太平洋沖地震(とうほくちほうたいへいようおきじしん、英: 2011 earthquake off the Pacific coast of Tōhoku )は、2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分18.1秒 [16] に、日本の三陸沖の太平洋を震源として発生した超巨大地震である [1]。 地震の規 ...

  4. 東日本大震災 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/東日本大震災

    東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい、英: Great East Japan earthquake )は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害及びこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である [1] [2]。大規模な地震災害であることから大震災と ...

  5. 明応地震 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/明応の大地震
    • 東海道沖地震の古文書による記録
    • 津波
    • 明応4年8月15日の地震
    • 明応7年6月11日の地震
    • 南海道沖地震との連動の可能性
    • 参考文献

    明応7年8月25日辰刻(ユリウス暦1498年9月11日8時頃)(以下西暦換算はユリウス暦)、東海道沖大地震が発生した。 『御湯殿の上の日記』、『実隆公記』、『後法興院記』、『言国卿記』および『大乗院寺社雑事記』等に京都や奈良など畿内付近の記録が見られる。『言国卿記』や『御湯殿の上の日記』には閏10月まで、『実隆公記』には11月7日まで余震と思われる地震の記録がある。畿内の被害と思われるものは『大乗院寺社雑事記』にある興福寺と見られる地蔵堂の庇が崩壊した記録である。『後法興院記』の東海道沿岸における記録は伝聞によるもので「大地震之日、伊勢、参河、駿河、伊豆大浪打寄、海辺二三十町之民屋悉溺水、人歿命、其外牛馬類不知其数云々、前代未聞事也」とある。1096年永長地震では駿河や伊勢の津波被害は伝聞として伝えられ、京都で書かれた日記に記事が見られた。しかし、明応の頃になると畿内付近のみならず、遠江や駿河で記された記録も確認されるようになる。 紀伊から房総にかけて太平洋側で震動が強い。山梨県山梨市の窪八幡神社別当・普賢寺の『王代記』明応7年(1498年)条には「(前略)同二十四〔ママ〕辰剋、天地振動シテ国所々損、金山クツレ(崩れ)カゝミ(加々美)クツレ中山損」と記されており、甲斐国でも強い揺れであったと考えられている。甲州では、黒川金山を初め、中山金山、保村金山など信玄時代[注 1]に採掘された金山があり、『王代記』にある「中山」は中山金山(西八代郡、現・身延町)と考えられる。あるいは、『王代記』に記される「金山」は地理的関係から甲州市塩山の黒川金山とも考えられている。 各地の揺れは江戸時代の安政東海地震や宝永地震に共通するが震害の記録は少ない。震害はそれほどでもないと記す文献もあるが、『円通松堂禅師語録』によれば遠江では山崩れや地割れがあり、同書に記された浅羽低地付近の揺れの激しさの描写は震度7に相当する可能性が高い。『熊野年代記』の記録によれば熊野本宮の社殿が倒壊、那智の坊舎の崩壊、紀伊湯の峯温泉の湧出が10月8日まで42日間停止した。 河角廣により規模MK = 7.5 が与えられ、マグニチュードはM 8.6 に換算されている。またM 8.3前後、あるいは東海沖から伊豆半島南方沖と推定される断層モデルから地震モーメントはM0 = 7 × 1021N・m (Mw 8....

    津波は紀伊から房総にかけての沿岸に襲来し、波高は駿河湾沿岸の江梨や小川で8m、伊勢、志摩で6 - 10mであった。津波規模は安政東海地震を上回り、伊豆半島西岸や志摩半島では局所的に大規模な津波が襲来していた。 南海トラフから東よりに津波の波源域が拡大している可能性があり、震源域を銭洲断層に仮定すると、志摩半島から御前崎、伊豆半島、房総半島に至る波高が説明できるとする説もある。 津波は鎌倉の鶴岡八幡宮参道にも襲来し、また高徳院の大仏殿はこの地震による津波で倒壊して、鎌倉の大仏が室町時代末に露坐となったとする説がある(後述、異説有)。 また、当時伊豆国では、同国に進出していた駿河今川氏の重臣・伊勢盛時(北条早雲)と堀越公方・足利茶々丸が争っており、盛時が茶々丸討伐のために伊豆出兵を計画していたが、津波によって伊豆・駿河の沿岸は大被害を受けた。だが、津波による混乱で戦いが不利になることを恐れた盛時は8月末までに動員可能な兵だけで伊豆の深根城にいた茶々丸を襲って皆殺しにし、これを攻め滅ぼしたとされる(異説有)。 仁科では海岸から十八九町(約2km)内陸まで津波が到達したという(『増訂豆州志稿』)。ただし、この『増訂豆州志稿』は江戸時代に書かれたものであり、この地に建つ東福禅寺について記した『小田原衆所領役帳』には永和3年(1377年)津波、文明9年(1477年)洪水と明応以前の災害を記しているにも拘らず明応地震を何ら記していないなど疑問であるとされる。 八木沢の妙蔵寺(現・伊豆市)には宝永津波が標高約20mの大門まで来たとする伝承があり、境内の杉に海草がかかったとも伝えられている。この伝承は伊豆半島西海岸で余り被害の出なかった宝永津波ではなく明応津波の可能性も考えられるとされる。沼津市戸田地区の平目平にはヒラメが打ち上げられた伝承が存在し、平目平の標高から津波の遡上高は36mに達した可能性が指摘されている。 『林叟院創記』には「加之大地震動海水大涌。而溺死者大凡二萬六千人也。林叟之旧地忽変巨海也」とあり、駿河湾岸の志太郡で流死2万6千と記述する文献があるが、明治時代の志太郡の人口も2万6千人には満たず、260人の誤写であろうかと疑問視されていた。これは昭和初期に発刊された『静岡縣志太郡誌』に引用された『林叟院創記』の記述を後の研究者が「志太郡で」と誤読した結果であり、...

    『鎌倉大日記』には明応4年8月15日(1495年9月3日)に大地震が発生し、由比ヶ浜から参詣道に津波が押寄せ、高徳院の大仏殿が破壊され、溺死者200人余出たとある。 『大日本地震史料 増訂』では、この記録は明応7年8月25日の地震の誤記の可能性有としている。宇佐美(2003)も、この記事は疑わしく明応7年8月25日の地震との混同の可能性有としている。 一方で同日、『御湯殿の上の日記』に「地しんゆる」、『後法興院記』にも「十五日乙丑晴、酉刻地震」との記録もあり、少なくとも京都においてこの日、有感地震があったとされ、また、古代・中世には未だ巨大地震が隠されている可能性があり、1495年の地震は相模トラフ巨大地震の検討候補とされている。『熊野年代記』にも同日に「鎌倉大地震」とあり、複数の史料からこの日の地震の存在が裏付けられている。ただし『熊野年代記』は近世成立であり『鎌倉大日記』をもとに書かれた可能性が高い。現在の所、鎌倉の地震津波を記述する確かな史料は『鎌倉大日記』のみである。 静岡県伊東市教育委員会の金子浩之主査を中心とした宇佐美遺跡の発掘調査で見出された砂層が15世紀末頃の津波堆積物であることが判明している。この堆積物は標高約7.8m付近に存在し、南海トラフの地震津波では説明できないことから、明応関東地震のものである可能性が高いとされた。また、878年の元慶地震[注 4]と887年の仁和地震、1703年の元禄地震と1707年の宝永地震を例に相模トラフと南海トラフが震源と推定される巨大地震が連続しており、1495年と1498年の地震も同様に連動した可能性が示唆される。 北条早雲が小田原城を奪取した時期には諸説あるが明応4年9月とする説が有力であり、明応4年8月に発生した地震津波によって小田原が壊滅的な被害を受け、その混乱に乗じて小田原城を奪取した可能性も考えられるとされる。さらに早雲は明応7年の東海地震後に伊豆半島西岸も占領した可能性があるという。

    『御湯殿の上の日記』、『後法興院記』、『続史愚抄』など幾つかの史料に明応7年6月11日未-申刻(1498年6月30日15時頃)、畿内付近における大地震の記録がある。ただし被害記録は見当たらず、史料数は明応7年8月25日の地震より遥かに少なく、『後法興院記』では8月25日の地震について「辰時大地震、去六月十一日地震一倍事也」と述べている事から、京都において8月25日の地震は6月11日の地震の2倍の強さであった事になる。一方、1854年の安政地震については京都付近は東海地震と南海地震は同程度の揺れであったと記録され、京都における震度は共に4 - 5程度と推定されている。 同日の巳刻(10時頃)に日向灘が震源とされる地震があり、宇佐美(2003)は別の地震と考えるとし、『九州軍記』には以下のように記されている。

    明応地震の歴史記録は、東海道沿いのみで、ほぼ同時期に連動する可能性の高いと考えられている南海道沖の地震の記録を欠いたものとなっている。この時期は応仁の乱以来戦乱が続いた時代であったため詳細な記録が残される様な状況に無かった可能性もあるとされる。 1988年、高知県中村市(現・四万十市)四万十川支流の中筋川岸辺にあるアゾノ遺跡から15世紀末頃の噴砂が上昇した痕跡が発見され、1993年にはアゾノ遺跡に近接する船戸遺跡で地割れに石を並べた痕跡が発見された。アゾノ遺跡では噴砂痕より後の年代に人間の生活の痕跡が見られない。徳島県板野町の吉野川沖積低地では14世紀後半から16世紀初頭までに存続した集落跡の調査で、液状化現象による噴砂の痕跡が発見された。加えて、愛媛県新居浜市の『黒島神社文書』に、「明応七年の震災に、大地大に潰崩し、島の六七歩は流失し、此度二三の遺島となれり、明応七年の震災に罹り、本殿拝殿共破壊し、住民四方に散乱し」という記述[注 5]が存在することが判明し、四国における15世紀末頃の大地震と思われる記録・痕跡も発見されている。 また、明応7年6月11日未-申刻(1498年6月30日15時頃)には九州において家屋倒壊被害の記録があり、伊予では陥没などの地変(上記の黒島の記録)を筆頭に日向灘地震と推定される地震の記録があったが、同日には畿内でも地震の記録が残っているため、これらが同一地震ならば震源域の変更が必要ともされている。紀ノ川河口付近の和田浦の津波は南海道沖の地震の可能性があり、さらに『中国地震歴史資料彙編』には6月11日、蘇州で「各邑河渠池及井泉震蕩、高涌数尺、良久乃定」の記録があり、中国の江蘇省、浙江省では揚子江を初めとする河の水面の震動、池や井戸の水面の変化が見られ、同様の現象は宝永地震や安政南海地震でも観測されていることから、上述の日向灘地震とされた地震は南海道沖の地震であった可能性も指摘されている。これが事実ならば、南海道沖の地震が東海道沖の地震に73日先行して発生したことになる。 一方で6月11日の地震を南海道沖の地震と断定するには津波伝播のシミュレーションなど更なる作業を必要とし、むしろ紀ノ川河口付近の津波を東海地震と同日の8月25日と考え、明応地震は宝永地震と同様に東海道沖の地震および南海道沖の地震が連動した可能性も検討すべきとされる。『...

    萩原尊禮・藤田和夫・山本武夫・松田時彦・大長昭雄『古地震 -歴史資料と活断層からさぐる』東京大学出版会、1982年11月。
    石橋克彦『南海トラフ巨大地震 -歴史・科学・社会-』岩波書店、2014年3月。ISBN 978-4-00-028531-5。
    北原糸子『日本震災史 -復旧から復興への歩み』ちくま新書、2016年9月。ISBN 978-4-480-06916-0。
    小葉田淳『貨幣と鉱山』思文閣出版、1999年。ISBN 978-4-7842-1004-6。
  6. 白鳳地震 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/天武地震

    白鳳地震(はくほうじしん)は、白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きた巨大地震。 南海トラフ沿いの巨大地震と推定されている。 南海トラフ巨大地震と推定される地震の確実な記録としては最古のものである。白鳳の大地震(はくほうのおおじしん ...

  7. 駿河湾地震 (2009年) - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/駿河湾沖地震
    • 概要
    • 震度
    • 被害
    • 国・地方自治体の対応
    • その後の地震活動
    • 関連項目
    • 外部リンク

    静岡県御前崎の北東35km沖の駿河湾の深さ23kmの地点を震源とし、気象庁マグニチュード(M)は6.5、モーメントマグニチュード(Mw)は6.3。圧縮軸は北北東-南南西(NNE - SSW)方向の横ずれ成分を持つ逆断層型で、フィリピン海プレート内部で発生した地震である。波形解析の結果、2つの断層が活動したと考えられ、パラメータは以下の通り。 1. 断層1(南東側セグメント) 1.1. 長さ:12km 1.2. 幅:16km 1.3. 走向:N76°E 1.4. 傾斜:南南東 1.5. 傾斜角:41° 1.6. 断層型:左横ずれ成分含む逆断層 1.7. 滑り角:38° 1.8. 最大滑り量:1m 2. 断層2(北西側セグメント) 2.1. 長さ:12km 2.2. 幅:16km 2.3. 傾斜:北東 2.4. 傾斜角:34° 2.5. 走向:N34°W 2.6. 断層型:右横ずれ成分含む逆断層 2.7. 滑り角:135° 2.8. 最大滑り量:1.4m 3. 破壊伝播速度:3.0km/s 4. Mo=6.42×1018Nm, Mw6.47 静岡県伊豆市、焼津市、牧之原市、御前崎市では震度6弱を記録した。焼津港、御前崎港では津波を観測した。国土地理院の観測結果によると、この地震によって、焼津市は西へ2センチメートル、藤枝市は西北西へ1センチメートル移動した。

    震度5弱以上の揺れを観測した地点は以下の通り。 北は宮城県栗原市、山形県酒田市、西は島根県大田市、広島県呉市で震度1-2を観測するなど、東北地方から中国地方、四国地方にかけて震度1以上の揺れを観測した。 また、駿河湾に面している市町村で唯一富士市だけが震度4と遠く離れた東京都並みに低い揺れであった。なお、富士市の内陸に位置する富士宮市は震度5強であった。

    人的被害

    駿河湾地震による人的被害は1都4県と比較的広範囲にわたって発生しており、死者1名、負傷者319名を記録した。静岡市駿河区では、地震により積まれた書籍が崩れ、それに埋もれて窒息死した女性が発見された。揺れが激しかった焼津市や牧之原市では、骨折などで被災者が重傷を負う被害が発生した。 今回の地震は揺れの激しさに加え発生時刻が早朝だったため、家具の倒壊により就寝中の住民が死傷すると懸念されたが、死傷者数は比較的少ないとされている。一例として、岩手・宮城内陸地震で震度6弱を記録した被災地と、今回震度6弱を記録した焼津市を比較すると、人口1万人あたりの負傷者数は4分の1程度にとどまっている。この理由について、静岡県では家具の固定化率が63%に達していたため死傷者が少なかったと指摘されている。一方、日本大学文理学部社会学科の中森広道は、地震直後に静岡市の住民に対するアンケート調査(有効回答数367)の結果から、家具の固定・転倒防止を実施している住民は多いものの、書籍、テレビ、パソコン、電子レンジ、オーディオ機器などの「物」の落下・移動防止を実施している人は少なく(「実施していない」と回答した...

    建物被害

    住宅 駿河湾地震により、住宅6棟が半壊、8,672棟が一部破損した。しかし、最大震度6弱を記録するなど比較的強い揺れが観測されたにもかかわらず、全壊した家屋はゼロだった。 家屋での被害が少なかった1つの理由として、耐震対策が徹底されていた点が指摘されている。東海地震の発生が予想されたことから、静岡県庁では1979年より地震対策を重点的に実施していた。この事業は静岡県知事山本敬三郎の在任中から始まり、以来、斉藤滋与史、石川嘉延ら歴代知事に受け継がれ、積極的な防災政策が打ち出されてきた。石川は減災政策を積極的に推進し、「東海地震における旧耐震基準の木造住宅の倒壊による死者をゼロにする」との数値目標を掲げ、2000年代より「TOUKAI-0」プロジェクトをスタートさせた。1981年以前に建てられた木造住宅の耐震診断をいっせいに開始するとともに耐震補強や建替を補助し、その進捗状況を数値で管理し公表する手法を採った。このような対策を背景に、静岡県庁では震度6弱の場合は全壊家屋はゼロだと予測しており、駿河湾地震による被害状況は予想通りの結果となった。 また、筑波大学准教授の境有紀は、家屋を倒...

    産業

    製造業 被災地一帯は東海工業地域に含まれており、製造業を中心とする産業がさかんである。駿河湾地震により、これらの産業も影響を受けた。震源に近い御前崎市では、東芝の子会社「浜岡東芝エレクトロニクス」が被災し、半導体の製造ラインが破損したため、生産再開の目途がすぐには立たないほどの被害を受けた。隣接する掛川市でもコーニングの掛川工場が被災し、操業停止した。焼津市のサッポロビール静岡工場では、ウーロン茶のガラス瓶5000本が破損し、業務に影響を与えた。 農業 被災地一帯では茶や石垣いちごの栽培がさかんである。御前崎市の茶畑では、土砂の流出、チャノキの倒壊、スプリンクラーの破損などの被害が発生した。静岡市農業協同組合管内では、石垣いちご農家の2、3割で被害が発生し、石垣の代替として使用されるコンクリート板がいたるところで崩壊した。 観光業 静岡県では富士山や伊豆半島などの観光資源が豊富であり、旅館やホテルなど観光・レジャー産業がさかんである。風評被害が懸念されたことから、8月14日に静岡県知事の川勝平太が伊豆半島を訪れ「復旧が進む中で一番心配していたのは伊豆にキャンセルが出ていること。交...

    地方公共団体

    静岡県庁では、地震発生から20分で災害対策本部を設置した。さらに発生から1時間以内に、各市町と県との間で地震に関する連絡体制を構築した。5時45分、静岡県知事の川勝平太から消防庁長官に対して緊急消防援助隊の出動要請がなされた。災害対策本部では、地震発生当日の11日には意思決定を行う本部員会議を3回、実務者による対策会議を4回開催し、被害状況や対策実施情報を共有した。12日には1回の本部員会議を開催、静岡県が設置した災害対策本部は13日17時をもって廃止した。 静岡県内の市町では、37の市町のうち27の市町において、災害対策本部が設置された。静岡市・牧之原市・掛川市・御前崎市・菊川市においては、8月14日15時現在も設置を続けていたが、牧之原市以外の対策本部については、17日15時までに廃止、残る牧之原市については、20日18時40分をもって廃止した。14日には川勝が、予約キャンセルなど風評被害が出ている観光地伊豆を視察した。土砂崩れがあった静岡県道111号の状況を視察したり、地元自治体や伊豆の観光協会の代表らと懇談を行ったりした。 被災した静岡市と姉妹都市提携を結ぶ新潟県上越市で...

    2011年8月1日23時58分頃に、駿河湾でM6.2の地震が発生した。2009年の地震と同様に沈み込むフィリピン海プレート内部で発生した地震とみられる。震源の深さは約20km、震央は北緯34.7度、東経138.6度で、2009年の地震より伊豆半島寄りの比較的近い場所に位置していた。この地震により静岡県東伊豆町奈良本、焼津市本町、静岡市駿河区曲金で震度5弱を観測した。 気象庁はこの地震と2009年の地震、あるいは2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震との関連について「はっきりとした関連は見られない」としている。また東海地震との関連については、気象庁は「地震の種類が異なり、東海地域における地殻変動を観測しているひずみ計にも異常がないことから、想定される東海地震と直接の関係はなく直ちに結びつくものではない」とし、東京大学名誉教授・東海地震判定会会長の阿部勝征は「想定される東海地震震源域より東側で起きており、地震の規模からも東海地震と直接の関係はないだろう」としている。 一方で2011年11月11日に駿河湾のフィリピン海プレート内部で発生したM3.0の地震については、同月21日に気象庁で開かれた東海地震判定会の会合において、「2009年の地震の余震」との見方が示されている。

    駿河湾を震源とする地震について - 総理大臣官邸。
    災害情報詳報 - 消防庁
    2009年8月11日駿河湾の地震に関する情報 - 文部科学省 地震調査研究推進本部
    2009年8月11日 駿河湾の地震 - 防災科学技術研究所
  8. チリ地震 (2010年) - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/2010年チリ地震
    • 地震の詳細
    • 被害状況
    • 日本の報道体制
    • 地震の影響
    • 関連項目

    USGSによれば、震央はサンティアゴの南西328km、コンセプシオンの北北東107km、震源の深さは35km、マグニチュードはMw8.8(8.3から上方修正)だった。太平洋津波警報センターは、27日6時46分(UTC)の第1報でM8.5、第2報でM8.6、第3報M8.8と報じた。 日本の気象庁は気象庁マグニチュードを当初Mj8.5と発表、その後Mj8.6に修正、その後Mw8.8と発表した。東京大学地震研究所は遠地実体波から、震源断層の長さは450〜500km、すべり量は最大8m、Mw8.6と算出した。史上最大の1960年のチリ地震は断層長600km - 1000km程度とされており、今回はその約半分だった。 この地域ではペルー・チリ海溝において太平洋側のナスカプレートが大陸側の南アメリカプレートの下に沈み込んでおり(両プレートの接近速度は80mm/年、USGS)、これまでもM8を超えるような海溝型地震が繰り返し発生してきた。今回の地震も同様の機構で起きた海溝型地震であると考えられている。また、震源メカニズムは津波の発生しやすい逆断層型である。 この地震により、チリ沿岸の地盤が隆起し、チリの領土の面積が1.2平方キロメートル増加した。 NASAによるとこの地震の影響によって地球が変形し、地軸が約8cmずれたせいで1日の長さが100万分の1.26秒短くなった可能性がある。 東京大学地震研究所によると、地震波が地球を5周したことが判明した。また、南極の昭和基地では2010年6月4日までの98日間に渡って、地震によって発生した振動が観測されていた。

    2010年3月4日時点で死者が800人を超えているとされている。身元が確認された死者は279人でありそれ以外は未確定である。 CNNによるとサンティアゴで大規模な停電が発生。チリ・ペルーなどでは津波警報が発表された。チリ・カトリック大学とユネスコの合同現地調査によれば、ビオビオ州南部のティルア沿岸では津波の高さが30メートル以上に達していた事が明らかになった。 アルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港は一部損壊し、一時閉鎖していた。

    各局、定時のニュースに加えて、報道特別番組を編成するなどして津波関連のニュースを報じた。以下は関東地方についての記述であり、地方によっては第一報を除き通常編成だったり、独自の報道特番を関東地方よりも長く伝えている。

    日本国内

    1. 日本国内で人的被害は無かったが、大津波警報が発表された東北地方の太平洋沿岸地域を中心に養殖施設の網が流されるなどの漁業被害や、道路などが浸水する被害が出た。また、大津波警報や津波警報が発表された地域を中心に沿岸部を通る鉄道の運休や道路の通行止などが行われた。 2. 被害総額は、宮城県では漁業被害などで26億2901万円、水産業関連では8県で58億6300万円の被害が生じた。 3. 2月28日が投票日だった青森県おいらせ町長選挙では、大津波警報を受け避難指示が出た太平洋岸に位置する一川目・二川目・川口の3地区の投票所について、閉鎖し一週間後に再投票とする措置がとられた。 4. 航空自衛隊松島基地に所属するすべての固定翼機は、石川県の小松基地(小松空港)へ警報解除までの間全機避難させた。

  9. 三陸沖北部地震 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/岩手県沖地震
    • 発生要因
    • 主な地震
    • その他の地震
    • 関連項目
    • 外部リンク

    日本海溝では北アメリカプレートに対して太平洋プレートが北西に沈み込んでいる。三陸沖北部地震は、このプレートの沈み込みによって引き起こされる海溝型地震の一つである。地震調査委員会は日本海溝海域を「三陸沖北部」「三陸沖中部」「宮城県沖」「三陸沖南部海溝寄り」「福島県沖」「茨城県沖」「房総沖」「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」と分類を行い、地震の予測に対する評価を行っている。

    1968年の地震は十勝沖地震と命名されたものの震源域は十勝沖とは異なり、青森県東方沖(三陸沖北部)を震源として発生している。また、1677年、1763年、1856年に発生した八戸の地震もこれに類似するものと推定されている。 以下の発震日時は日本標準時、括弧内はグレゴリオ暦に基づく。

    ここでは三陸沖北部を震源とするもののうち、繰り返し発生する地震や東北地方太平洋沖地震の余震に分類されないものを扱う。三陸沖北部の南半分の領域を含む北緯39度 - 40度、東経143度 - 144度の領域ではたびたび M6から M7程度を最大とする群発地震活動が発生し、津波を観測することがある。

    東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
  10. 日本の島の一覧 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/日本の島一覧

    日本の島一覧 海上保安庁は「周囲100メートル以上」の島の総数を6,852島としている。その県別内訳も公表されており、本節の表中の「海上保安庁による島数」がそれにあたる。ただしこれらを合計しても6,852にはならない。複数の県にまたがって算入されている島があ ...