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  1. 水庫名稱
    蓄水百分比(%)
    67.18 %
    99.29 %
    87.67 %
    97.94 %
    75.49 %
    96.99 %

    資料更新日期 2021-07-28

  2. 八八水害 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/八八水害
    • 概要
    • 被災状況
    • 記録
    • 行政の対応
    • 社会への影響
    • 復興
    • インフラの復興
    • 題材とした作品
    • 関連項目

    時系列

    日付はいずれも台湾標準時(UTC+8)。 1. 2009年8月 1.1. 3日:台湾南東方で台風が発生。 1.2. 5日:中央気象局、台風警報を発表。ランクを「中度台風」とした[注釈 1]。 1.3. 6日:中央気象局、超大豪雨特報[注釈 2]を発表。 1.4. 7日:台湾島内の全ての県市で業務、授業が停止。 1.5. 8日:屏東県で水害が発生。 1.6. 9日:高雄県甲仙郷小林村が土石流により埋没する。台東県卑南郷知本温泉ではホテルが倒壊する。 1.7. 10日:嘉義県阿里山郷で降り始めからの降雨量が3,000mmを突破する。 1.8. 11日:アメリカ合衆国国務省は、アメリカ軍が待機していると声明を発表。 1.9. 18日:馬英九総統が記者会見を実施。国家安全会議を開催。

    台風8号

    モーラコット台風および南シナ海から吹き込む南西の風などの気象条件が災害発生の主な要因となった。8月2日、日本の気象庁は2009年に入って11個目の熱帯低気圧が発生したと発表した。翌8月3日、フィリピン大気地球物理天文局は、この熱帯低気圧をKikoと命名した。また合同台風警報センターはシリアルナンバーとして09Wを選定した。熱帯低気圧はフィリピンの北方約1,000kmの海上で台風に変わり、4日から5日にかけて西に進路を転回した。7日には台湾東部の陸上を暴風域に入れながら速度を落とし、台湾時間の同日23時50分頃、中度台風の威力のまま花蓮市付近に上陸した。そのまま台湾を東から西へ横断し、8日11時頃には勢力を軽度台風に弱め、同日14時頃に桃園県付近から台湾海峡へ抜けた。台湾本島の全域が台風の暴風域を外れたのは、9日の18時半頃だった。9日16時20分には中国福建省霞浦県付近に上陸、勢力を次第に弱めて11日早朝になって熱帯低気圧に変わった。 2009年夏、台湾では長期にわたって渇水が続いており、各地のダムでも水位が下がっていた。このため、モーラコット台風が台湾に接近した当初は、水不足解...

    台湾南部を中心に大きな被害が発生した。中でも、高雄県の甲仙郷(小林村)、那瑪夏郷および六亀郷(新開村落)、屏東県の林辺郷および佳冬郷、台東県の卑南郷(知本温泉地区)および太麻里郷などの被害は特に甚大であった。 台風によって観測史上最高の降雨を記録した屏東県では、台湾南部を横断する台湾鉄路管理局南廻線が深刻な被害を受けた。多くの堤防が崩壊し、数メートルの深さで冠水し、復旧には多くの日数を要した。また、高雄県では、山間部の死傷者が多く、特に甲仙郷小林村では集落全体が土砂に埋まり、わずかな生存者を残し数百人が死亡する事態となった。このほか、台南県や南投県などにも大きな爪痕を残している。台南県では急激な増水によって各地に浸水が発生、南投県や台東県では、山崩れや土石流によって人家が流されたり交通が遮断されたりし、こうした映像がメディアを通じて伝えられ、多くの人の注目を集めた。

    降水量

    台風の影響を受け、8日から9日にかけて、台湾各地で記録的な降水があった。嘉義県、高雄県および屏東県の各県山間部にある自動雨量計測所(日本のアメダスに相当)では、8日の日降水量が1,000mmを超えた。気象台でも台南の台湾南区気象センターで8日の日降水量が523.5mm、玉山気象台で9日の日降水量が709.2mmを記録し、それぞれ過去最高を記録した[注釈 5]。また、阿里山気象台では8日の日降水量が1,161.5mm、9日は1,165.5mmと2日続けて1,000mmを超え、全気象台における日降水量記録を2日続けて更新した[注釈 6]。また屏東県三地門郷の尾寮山自動雨量計測所では、8日に1,403.0mmもの雨が降り、自動雨量計測所を含めた台湾での日降水量の過去最高記録を更新した[注釈 7]。 以下、台風の影響による降雨が始まった6日から10日までの5日間の累積降水量および各日の日降水量について、上位10地点を記載する。なお、地点名に特段の記載のない箇所は自動雨量計測所。

    被害額

    行政院モーラコット台風復興推進委員会の執行長を務めた陳振川によれば、被害を受けたのは11の県と市に及び、被害面積は台湾の半分に相当するという。また、被災者は916万人と総人口の40%を占め、公共機関が直接受けた被害額は1,526億元(TWD)、民間の被害額を合わせると2,000億元近くに達し、GDPの1.6%に相当するという。

    中央政府および各県市政府は、被害が発生した後、救援に入った。中華民国国軍は被害が発生し続けている間、各作戦区からのべ521人を動員した。また、各種のトラック、ハンヴィー、装甲車(V-150)およびゴムボートなどのべ105両を派遣し、食料4,000セットあまりを運び、その活動地域は花蓮県吉安郷および新城郷、台東県金峰郷ならびに屏東県車城郷、佳冬郷および林辺郷などの大きな被害が出た地域にわたった。台風が台湾を去った後も、数日の間、中華民国陸軍の装甲歩兵大隊、機械化歩兵旅団および工兵群や中華民国海軍の陸戦隊および艦隊指揮部といった部署が、のべ322人を投入し、各種のトラック、装甲車、ゴムボート、装甲兵員輸送車(AAV7A1)などのべ86両を送り込んだ。屏東県佳冬郷では陸軍の第586装甲旅団および海軍陸戦隊の第99陸戦旅団が被災地の復旧活動に協力した。 国軍のほか、内政部も警察および消防を被災地に投入した。被災地で活動した警察および消防によって応急措置が行われた市民は4万1,752人にのぼった。一方、救援活動にあたった警察官および消防職員の中で、数名の殉職者があった。また、11日には内政部空中勤務総隊のヘリコプターが屏東県の山間部に墜落するという事故が発生し3人が死亡した。

    気象予測と報道

    この水害と前後し、各種メディアが台風の動きや影響に注目し、また物議をかもした。一例として、CNNによる台風の被害予測は、1時間ごとに洪水等の可能性をヘッドライン形式で警告する方法を取っていたが、これは大いに参考にすべきだと論じられた。また、台湾南部への影響を中央気象局が過小評価したため、警戒が疎かになり、死傷者が発生した一因になったのではないかという声もあった。中でもいわゆる追風計画[注釈 8]が、「水太り」と形容した[注釈 9]と報じられたことから疑問を呈され、中央気象局や発言したとされる当事者が釈明することとなった[注釈 10]。一方で、中央気象局は気象観測と予報を行う組織であって、CNNのような伝達能力は持ち合わせていないものの、台風のコースや雨量に関する精度はかなり高いという指摘もあった。

    法的な権限に関する検討

    1999年の921大地震後に制定され、当時有効であった法律に、災害防救法がある。この法律では、各地方政府に対し、管轄区域内で発生した災害には第一線で対処する責任があるとしつつ、「直轄市または各県市の政府が災害に対応できない場合には、当該災害に対処する主務官庁が積極的に人員を派遣し、直轄市または各県市の政府からの要求があった場合には、人員を調整し支援要員を派遣する(災害防救法第34条)」「当該災害に対処する主務官庁が行う防災救助の権限および責任は、防災救助活動の支援および対応を含み、災害の範囲が海域に及ぶ場合、二つ以上の直轄市および県市の行政区域に跨がる場合ならびに災害が重大で、かつ直轄市または各県市の政府が直ちに調整および対処できない場合である(災害防救法第3条)」「当該災害に対処する主務官庁の長は、重大な災害が発生しまたは発生するおそれがある時、その災害の規模、性質、被害状況、各方面への影響および緊急対応措置などの状況をみて、中央災害対応センターの設置時期および等級を決定しなければならない。設置した後は、中央災害防救会報の召集人に速やかに報告し、召集人は指揮官を指定する(災害防...

    政治的な影響

    9月7日午後、発生から1ヶ月を迎えて行われた記者会見の中で、劉兆玄行政院長が9月10日をもって辞職することを明らかにし、内閣総辞職となった。30分後に総統府で行われた記者会見の席上、後任の行政院長に呉敦義が、副院長に朱立倫が就任することが発表された。 また、ノーベル平和賞受賞者であるダライ・ラマ14世が8月30日から9月4日にかけて、民主進歩党籍の首長がいる南部の7つの県市を訪問し、被災者を慰問した。

    水害発生後、災害救援が進められると同時に、政府と民間団体とが協力し、復興の取り組みについても動き始めた。8月15日には行政院にモーラコット台風復興推進委員会が設置され、8月27日には立法院でモーラコット台風復興特別条例が成立し、1,165億元の特別予算が付き、8月28日に公布された。この条例では、住居、施設、産業、生活および文化の再建などを含んだ復興計画が示されている。行政院モーラコット台風復興推進委員会は、行政機関、専門家や学者、民間団体、被災地の県市の首長、被災者代表、原住民代表など計37人の委員が任命された。2013年2月までに40ヶ所3,481戸の住宅が建てられた。インフラの再建では、台20線、台21線[注釈 3]および台24線などの一部の区間では周囲の環境が安定していないため修復が完了していないものの、それ以外の箇所では本格復旧がなされており、阿里山公路、新中横公路、新発大橋(台27線)、双園大橋(台17線)などが復旧している。しかし、復興の過程においては、自らの郷里を離れ、政府が定めた特定区域に建てられた住宅への移転を迫られるなど、問題も多く生まれている。

    台湾の中南部に過去例のない大きな爪痕を残すとともに、地球の気候の変化によって極端なものになる中、誰も自然災害の脅威から逃れることはできないことを、国民全体が深く理解することとなった。さらに、「環境の持続可能性」という新たな発想によって、国土にかかる負担を軽減させて力をつけさせ、かつ自然に順応した方法による復興、防災および減災を行って、自然と人間とが共存調和する必要があることを体得した。モーラコット台風は、4億立方メートル近い土砂と15万トンにおよぶ漂流木を川に流し込んだ。これによって、堤防や護岸は243kmにわたって毀損し、台9線、台17線、台18線、台20線、台21線、台24線の6つの公路、橋梁、一周鉄道のうち8ヶ所で大きな損傷を被り、台湾では過去50年で最も深刻な洪水被害となった。行政院の復興委員会、交通部、経済部、内政部、農業委員会および原住民族委員会、各被災地の地方政府ならびに所属団体が一致協力し、インフラの復旧復興にあたった。橋梁122橋および堤防243kmを再建し、土石流による土砂3.4億立方メートルを除去し、埋め戻した農地は492haだった。各種のインフラは、より災害に強いレベルで再建されたほか、その土地の原住民たちの特色あるシンボルを取り込むことにより、施設の美しさを大きく高めるとともに、施設とその土地を結び付けて「家」の一部分のように変えた。

    『あの日を乗り越えて』:2010年の台湾のテレビドラマ。
    『抜一条河(中国語版)』:2013年の台湾映画。楊力州監督によるドキュメンタリー映画。第50回金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞。
    『報告班長7(中国語版)』:2016年の台湾映画。軍事教育映画『報告班長シリーズ』の第7作
  3. 曽文ダム - Wikipedia

    ja.wikipedia.org/wiki/曽文水庫
    • 歴史
    • 設計
    • 諸元
    • 交通
    • 関連プロジェクト
    • 写真
    • 参考文献
    • 外部リンク

    初期構想

    曽文ダムは全長138.47キロメートル、流域面積1,176平方キロメートル、年平均流量16億立方メートルの台湾第四の大河、曽文渓に設けられたダムである。ダムサイトでの年間平均流量は10億6,400万立方メートルである。曽文渓へのダム建設計画は嘉南大圳を設計した八田與一によるもので、曽文渓の支流 官田渓に烏山頭ダム、大埔渓に曽文ダムを設け、曽文渓の流量の25%を嘉南地方の灌漑に用いるものであった。八田は1939年に現在のダムサイトにダムを建設することを提案したが、戦時下では建設されることなく終戦を迎えた。

    計画と建設

    戦後、灌漑用水が不足しつつあることに対応し、台湾省水利局が1959年に計画に着手し、柳藤潭に堤体を設けるアースダムとすることが決定された。1966年7月に曽文ダム建設委員会 (曾文水庫建設委員會) と建設事務所 (工程局) が設立され、1967年10月31日に着工した。 建設にあたってはアメリカ合衆国の技術指導の下、日本工営が顧問、鹿島建設が施工顧問を務め、6年間の工期を経て1973年10月31日に正式に完成した。翌1974年に曽文ダム管理局 (曾文水庫管理局) が設立されて運用が開始された。1998年には曽文ダム管理局と水利局水資源開発工程所 (水利局南部水資源開發工程處) および阿公店ダム管理委員会 (阿公店水庫管理委員會) が統合されて台湾南区水資源局に改組され、さらに1999年に経済部水利所南区水資源局となり、2002年に経済部水利署南区水資源局となった。

    資金調達

    1968年8月6日に21条からなる「台湾省糧食実物債券条例」(臺灣省糧食實物債券條例) が制定され、同年8月19日に公布された。その第1条には「行政院は、台湾省政府が曽文ダムの建設に充てるため、本条例の定めるところにより台湾省政府に台湾省糧食実物債券を発行する権利を与える」とされていた。同条例は1985年11月19日に廃止され、同年11月27日に廃止告示が公布された。

    曽文ダムは嘉義県大埔郷にある台湾第3位の提高133メートルのアースフィルダムである (提高1位・2位はそれぞれ徳基ダムおよび石門ダム)。 堤頂長は400メートル、提体積は900万立方メートル、淡水面積1,714ヘクタールで設計貯水容量は台湾最大の7億4,800万立方メートルを誇る。洪水吐は3箇設けられており、設定高さはそれぞれ異なる。右から順に洪水吐放水量は毎秒250立方メートル、300立方メートル、350立方メートルとなっているが、水門を全開にすると最大放水量は毎秒9,470立方メートルに達する。

    管理: 経済部水利署南区水資源局曽文ダム管理センター
    流域面積:481平方キロメートル
    常時満水位:227メートル
    常時最大水位:230メートル

    モーラコット被災後の改修

    近年、地球温暖化や気候変動の影響により台湾では集中豪雨が多発するようになり、ダムへの堆砂が深刻化している。特に2009年8月8日に台湾中部を襲った平成21年台風第8号 (アジア名: モーラコット) で大きな被害を受けた (八八水害) ことから、政府は堆砂対策の見直しと改修プロジェクトに着手した。

    曽文ダムへの流域外からの受水計画

    曽文ダムの貯水量は莫大であるが、満水になることはほとんどなかったため、政府は曽文ダムの貯水容量を活用する目的で1995年に流域外から送水することを計画した。 これは、高雄市桃源区を流れる高屏渓水系の上流にあたる荖濃渓に取水堰を設け、途中の旗山渓を跨河橋、草蘭渓を送水管路で越えつつ導水トンネルで曽文ダムに送水する計画で、総事業費は222億ニュー台湾ドル、送水量は日量60万トンを予定していた。 ほとんどの区間は地下トンネルとなり、毎年5月から10月までの雨季には高屏溪の総流量の3.6%にあたる水量を荖濃溪と旗山溪から曽文ダムに送る計画であった。 しかし、環境保護の問題の他、気候変動の影響もあり、この計画はさまざまな議論を巻き起こした。

    ビジターセンター曽文之眼
    展望台 中正楼
    曽庫自動車道から放水路を望む (2012年1月30日)
    曽文ダムの洪水吐ゲート
    ^ “世界のダム - Tsengwen[Zengwen、曽文水庫]”. ダム便覧. 日本ダム協会. 2019年5月12日閲覧。
    ^ 張炎銘、林廷芳、高穆賓主編 (2012). 閱讀水庫行腳台灣:探訪隱身山林的灰色建築. 台北市: 三聯科技教育基金會. ISBN 978-986-84878-5-7
    ^ 曾文水庫防洪防淤策略-南區水資源局
    ^ 曾文水庫防淤隧道 預計明年底完工
  1. 曾文水庫 相關
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