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  1. 林昀儒 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 林昀儒

    林昀儒 (リン・ユンル、りん いんじゅ、Lin Yun-ju、2001年 8月17日 - )は、台湾の卓球選手。 2021年8月時点のITTF世界ランキングは5位。 Tリーグ・岡山リベッツ所属。 内湖高工を卒業し、輔仁大学体育学部に在籍。 経歴 宜蘭県 員山郷出身。 9歳の時に父が勤務し ...

    • リン ユンル, りん いんじゅ
    • The Silent Assassin(サイレントアサシン)、台湾の神童、小林同学、国民金孫
  2. 林家 (儒学者) - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 林家_(儒学者)

    林家(りんけ)は、林羅山を祖とする日本の儒学者・朱子学者の家系である。 歴代 江戸幕府の儒家として代々任じられた林家と、第二林家の2家があり、いずれも林羅山を始祖としている。なお、林家において大学頭を称したのは3代鳳岡からであり、鳳岡までは僧形であった。

  3. 令和の虎 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 令和の虎

    令和の虎』(れいわのとら)は、2018年(平成30年)12月20日からYouTubeで配信されている リアリティ番組である。一般人起業家が事業計画をプレゼンテーションし、投資家たる審査員が出資の可否を決定するという内容。 キャッチコピーは「ALL or NOTHING 新しい ...

  4. 儒学者一覧 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 儒学者一覧
    • 中国
    • 日本
    • 朝鮮

    先秦

    1. 孔丘(孔子) 2. 顔回(顔淵) 3. 端木賜(子貢) 4. 仲由(子路) 5. 卜商(子夏) 6. 言偃(子游) 7. 閔損(閔子騫) 8. 冉耕(冉伯牛) 9. 冉雍(仲弓) 10. 宰予(宰我) 11. 冉求(冉有) 12. 顓孫師(子張) 13. 澹台滅明(子羽) 14. 宓不斉(子賤) 15. 公冶長(子長) 16. 原憲(子思) 17. 南宮括(子容) 18. 公皙哀(季次) 19. 曾蒧(曾皙) 20. 顔無繇(顔路) 21. 商瞿(子木) 22. 高柴(子羔) 23. 漆雕開(子開) 24. 公伯繚(子周) 25. 司馬耕(子牛) 26. 樊須(樊遅) 27. 有若 28. 公西赤(子華) 29. 巫馬施(子旗) 30. 曾参(曾子) 31. 孔伋(子思) 32. 孟軻(孟子) 33. 荀況(荀子)

    後漢

    1. 鄭興 2. 范升 3. 陳元 4. 賈逵 5. 桓栄 6. 丁鴻 7. 王充 8. 仲長統 9. 崔駰 10. 班固 11. 馬融 12. 鄭玄 13. 蔡邕 14. 趙曄 15. 衛宏 16. 周堪 17. 何休 18. 服虔 19. 許慎

    魏晋南北朝時代

    1. 何晏 2. 王弼 3. 王粛 4. 譙周 5. 虞翻 6. 文立 7. 徐苗 8. 杜夷 9. 杜預 10. 范宣 11. 范弘之 12. 鄭鮮之 13. 何承天 14. 劉瓛 15. 陸澄 16. 伏曼容 17. 何佟之 18. 司馬筠 19. 卞華 20. 皇侃 21. 沈文阿 22. 沈洙 23. 全緩 24. 張譏 25. 沈不害

    伝説

    1. 王仁(半伝説)

    古代

    1. 小野篁 2. 菅原道真 3. 源順 4. 三善清行 5. 中原有象 6. 清原広澄 7. 清原頼業

    中世

    1. 玄恵 2. 後醍醐天皇 3. 日野資朝 4. 北畠親房 5. 花園天皇 6. 中巌円月 7. 清原業忠 8. 清原宣賢

    新羅

    1. 薛聡 2. 崔致遠

    高麗

    1. 金富軾 2. 鄭知常 3. 崔承老 4. 白頤正 5. 崔沖 6. 安珦 7. 李斉賢 8. 朴忠佐 9. 鄭夢周 10. 李穡 11. 吉再

    朝鮮

    1. 李滉 2. 李珥 3. 宋時烈 4. 成渾 5. 徐敬徳 6. 宋翼弼 7. 金長生 8. 曺植 9. 金宏弼 10. 趙光祖

  5. 関西棋院台湾棋院交流戦 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 関西棋院台湾棋院交流戦

    関西棋院台湾棋院交流戦(かんさいきいん-たいわんきいんこうりゅうせん、台灣棋院關西棋院交流賽)は、日本の関西棋院と、台湾の台湾棋院の若手囲碁 棋士による対抗戦。2004年開始。 過去の結果 第1回(2004年)訪台団

  6. 台湾の人物一覧 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 台湾の人物一覧
    • あ行
    • か行
    • さ行
    • た行
    • な行
    • は行
    • ま行
    • や行
    • ら行
    • わ行
  7. 国際新鋭囲碁対抗戦 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 国際新鋭囲碁対抗戦

    国際新鋭囲碁対抗戦(こくさいしんえいいごたいこうせん、国际新锐围棋对抗赛)は、囲碁の中国、韓国、日本、台湾の若手棋士による交流戦。 当初は中国の呉玉林六段、韓国の許壮会八段の提案による交流試合として1994年に開始。 1997年に中国と韓国による中韓新鋭 ...

  8. 林鵞峰 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 林鵞峰
    • 人物・略歴
    • 家族
    • 関連項目

    京都出身。那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えた。父羅山の死去後の明暦3年(1657年)林家を継ぎ、幕政に参与した。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密にあずかった。 日本史に通じ、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えた。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となった。 多方面な関心をいだいて博学広才ぶりを発揮した父羅山にくらべ、鵞峯は、『本朝通鑑』や『日本王代一覧』などにおいて「日本」の国柄がどのようなものであったかを追究し、幕府政治の正統性や妥当性がどうあればいいかについて、その支配イデオロギー形成の端緒を開いたとも評される。 寛永20年(1643年)の著書『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)と記し、これが現在の「日本三景」の由来となった。2006年(平成16年)、林鵞峰の誕生日にちなみ、7月21日が「日本三景の日」と制定された。

    父林羅山は幕府草創期の儒者として著名である。長兄・次兄は夭逝し、三男春勝が鵞峰として羅山の後を継いだ。子の信篤は林家3代を継ぎ、林鳳岡と号した。 弟守勝は読耕斎(とくこうさい)と号し、やはり幕府に召し抱えられた。読耕斎の子孫の家を「第二林家」と呼ぶ(林家の項目参照)。

  9. 聘珍樓 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 聘珍樓
    • Ci
    • 創業年
    • 歴史
    • 食の安全に対する理念
    • 薬膳
    • 過去の総料理長
    • 沿革
    • 店舗
    • 外部リンク

    社名

    社名の聘珍樓の意味は、「聘」は迎える心、「珍」は尊ぶ心。また、別の意味で、「良き人、素晴らしき人が集まり来る館」。 「良き人、素晴らしき人が集まり来る館」という意味合いを持つ聘珍樓の屋号の由来は、中国古代の文献である「 礼記(らいき) (禮記) 」に収められた「儒行」の一節、「儒有席上之珍以待聘(儒者は宴席の佳肴の如きで、良き人品と道徳を備えて招聘登用されるのを待つものだ)」にあった。 孔子を始祖とする思考・信仰の体系である儒教の教えをまとめた経書の中で「四書」と「五経」の総称を「四書五経」と言う。四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をさす。その中の「礼記」は主に秦以前の礼儀作法について述べられ、あわせて孔子とその弟子との問答をまとめたもの。九万字に及ぶ著書は修身や礼儀作法について述べているが、内容は幅広く政治、法律、道徳、哲学、歴史、祭祀、文芸、日常生活、暦法など多方面に及ぶ。「礼記」に収められた一篇の「儒行」の中に孔子と弟子の問答があり、その一節に「儒有席上之珍以待聘」とある。この一節は孔子が弟子の質問に答えたもので、「儒者は...

    ロゴ

    聘珍樓のロゴは1988年にALAN CHANがデザイン。その意味は、バスケットには6種類の果物が入っており、桃子(もも):長寿、百合(ゆり)・蓮根(れんこん):永遠に続くお互いの愛、茘枝(らいち):豊な実り、佛手柑(ぶっしゅかん):富と健康、石榴(ざくろ):子宝の意味。

    2009年は横浜開港150周年であり、「開国博Y150」が開催され、それを機に横浜開港資料館が「横浜中華街150年」を編集・刊行された。その中で「聘珍樓」の特集記事が組まれ、当該資料には、聘珍樓が1884年(明治17年)の創業であること、中華街の中でも創業以来同じ屋号で現在の中華街大通りに面する同じ敷地で営業を続けているのは聘珍樓を含む2店舗しか存在しないことなどが記載されていることがわかり、2009年に創業を1887年から1884年へと修正した。

    創業及び設立(1884年 - 1974年)

    聘珍樓の創業は1884年。張姓の華僑が現本店所在地に中国料理店を開業。当時は1階にたばこ店などがあり、蒲鉾形の窓を配した2階店舗であった。その後、張茂元が引継ぐ。関東大震災(1923年)で瓦解したものの、後に鮑荘昭、鮑金鉅(ホウ・キンキョ)の父子が継ぎ、これを復興。当時、日本にあった中国料理店では山下町135番地にあった会芳楼(現在は山下町公園にあずまやの会芳亭が記念に立つ)や遠芳楼に次いで古い店。一時は三百坪の大型店で一度に200名〜300名収容できる大広間があった。しかし第二次大戦で再び荒れ果て、鮑金鉅はこれを再建する意欲を失う。その時友人であった龐柱琛は「聘珍樓の過去の栄華を考えると忍びない」として1960年頃に鮑金鉅から聘珍樓ののれんと土地建物を買い受けた。龐柱琛(パンチュウシン)1972年に帰化し日本人名・林達雄。1976年11月没、出身:中国廣東省高明県(現佛山市高明区)生まれ。19歳で横浜に来て30歳まで苦節を重ねる。異国地での希望を失い故国へ帰ったものの、再び夢を求めて日本へ。中国料理のコックとして修業を積み、一国一城の主を夢みていた。聘珍樓は明治・大正にかけては...

    林達雄と横浜中華街

    林達雄(帰化前の旧名は、龐柱琛:パンチュウシン)聘珍樓の再建者というだけではなく、現在の萬珍樓も創業。当時達雄が自ら音頭をとり、街の仲間達とともに中華街大通りに「中華街」と表示した高さ15メートルの朱塗りの牌楼(ぱいろう)を横浜市の助成などの援助を受けて建てた。横浜中華街の萬珍樓の成功後、買い受けた聘珍樓を再建し、街の発展にも貢献をした達雄は、第二の故国、日本へ帰化し、1976年11月、この地に骨を埋める。その功績により1969年2月に昭和天皇から勲五等瑞宝章を賜るという栄誉に輝く。

    牌楼建設

    1954年(昭和29年)9月10日、牌楼建設工事が着手された。 当時の平沼亮三横浜市長と半井清(なからいきよし)横浜商工会議所会頭は、アメリカを視察し、横浜の戦後復興の一策として、横浜中華街を戦前の様な特徴ある街に再建し観光の呼び水とすることが必要だと提唱した。 この呼びかけに地元華僑が共鳴し、神奈川県と横浜市、横浜商工会議所などが協力して、牌楼建設の計画が持ち上がった。こうした動きの中心となったのが、当時の横浜華僑総会の会長薛来宏、留日広東会館会長龐柱琛、陳洞庭ら横浜華僑と横浜の日中両国人の親睦団体である日中協会常務委員の金子光和である。金子光和は戦前よりへ京浜日華協会を発足させるなど、日中友好に尽力した人物で、日中両国人の信望も厚く牌楼門建設委員会の会長に推挙された。金子は建設のために、寄付金集め、設計案の調整、中華街側と役所側との橋渡しと東奔西走の活躍をした。その甲斐あって地元華僑や日本人の有志八十余名の寄付金と、神奈川県と横浜市からの助成金をあわせ、133万円あまりの資金が集まった。工事は寿建設が請け負い、1954年8月17日に地鎮祭が行われ、9月10日に工事が着手された...

    食に携わる者の第一の責務は美味しさ以上にそれを食する人の安全と健康である

    1. 1995年より、化学調味料(L・グルタミン酸ナトリウム)、保存料、人工着色料の完全無使用を一年の猶予期間を経て、実行。現在に至る。

    目の届く範囲(安全の確認ができたもの)の食材しか使用しない」

    1. 中国製冷凍ギョウザ事件以前から、国産材料にこだわり、その事を店頭に掲げていたので、事件当時の朝日新聞及び神奈川新聞に取り上げられた。現在は中国でしか作れない製法を用いる調味料や酒類(鎮江酢、豆豉、老抽、紹興酒、腐乳等)を除けばすべて国内産を使用。

    2010年より、広東料理に古くから伝わる薬食同源のセオリーに基づく「季節の薬膳セミナー」をスタート。国際中医師の大田ゆう子氏が講師として季節の養生を伝え、聘珍樓総料理長西崎英行氏が四季折々の料理を提供するという趣向のこのセミナーは、2016年には開始から6年目を迎える。会社発表によると、現在まで、その開催は80回を超え、のべ3,400人の参加者を誇るイベントとなっている。また、2013年から...
    2013年10月以降、雑誌家庭画報『家庭画報11月号』(2013年10月1日発売)など数々の媒体で「聘珍樓の薬膳」が取り上げられた。そして2016年6月には、セミナーの参加者から「家庭で毎日薬膳を続けるためのセオリーと簡単なレシピが知りたい」という声に応えて、『聘珍樓のいちばんやさしい薬膳』(PHP研究所)が出版された。

    1. 経歴は本人の項目を参照。

    謝華顕(1991年6月 - 2009年12月)

    1. 1948年中国廣東省生まれ。 2. 13歳から香港の海鮮酒家で修行をはじめ22歳にして翠園酒家本店で最年少チーフシェフとして注目される。 3. その後、数々の店で活躍し1980年初来日、日比谷聘珍樓へ。 4. 1988年には香港総監督職として就任。

    西崎英行(2010年1月 - )

    1. 1989年 聘珍樓入社 日比谷店勤務。 2. 1997年 1995年より2年間某ホテル勤務を経た後、日比谷店勤務。 3. 2000年 溜池山王聘珍樓オープンとともに溜池山王店副料理長に就任。 4. 2002年 溜池山王店料理長に就任。 5. 2009年 聘珍樓日本国内全11店舗の副総料理長に就任謝華顯総料理長の後継者となる。 6. 2010年 聘珍樓総料理長に就任。

    聘珍樓

    1. 神奈川県:聘珍樓横浜本店 2. 東京都 :吉祥寺聘珍樓、日比谷聘珍樓 3. 大阪府 :大阪聘珍樓 4. 福岡県 :小倉聘珍樓

    SARIO

    1. 神奈川県:SARIO聘珍茶寮中華街店、SARIO聘珍茶寮横浜ワールドポーターズ店

    The Cafe

    1. 神奈川県:The Café中華街店

  10. 儒家神道 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 神儒一致
    • 歴史
    • 思想
    • 参考文献

    神儒一致思想は江戸時代に儒学者の林羅山によって提唱されてから多数の儒学者によって説かれるようになったが、儒教の立場から神道を説く者は古くから存在していた。北畠親房の『神皇正統記』や度会家行の『類聚神祇本源』などにその思想が見られる他、清原宣賢の神道説には宋学の理論が取り入れられていた。 江戸時代に入ると、藤原惺窩が神道と儒教は本来同一のものであると説いている。林羅山の神儒一致思想はその師である惺窩の論を継承し発展させたものである。羅山が自ら理当心地神道と称した神儒一致思想の特徴としては、徹底した排仏思想が基本にあることが挙げられる。羅山が登場するより前の神儒一致思想には排仏思想は見られない。羅山の『本朝神社考』では神仏習合思想や吉田神道が批判されている。また、羅山は三種の神器が『中庸』の智・仁・勇の三徳を表すものであると考えた。『神道伝授』では、歴代の天皇はその心に清明なる神が宿り、神の徳と力によって国家が統治されてきた、その統治の理念が神道であり王道であるとし、神道と王道は同意であると主張した。 林羅山の神儒一致思想は多くの神道家や儒学者の説に影響を及ぼした。外宮神職であった度会延佳が創始したいわゆる後期伊勢神道も神儒一致思想の影響を受けている。しかし、政治理論であった羅山の神道説とは異なり、延佳の説は日本人の日常生活に視点を置いていた。延佳は神道を日常生活の中にある道義であると考えた。 朱子学者の山崎闇斎が提唱した垂加神道は、他の儒学者の神道説とは異なり易姓革命を否定していた。闇斎は天皇と臣下との関係は不変であるとし、臣下のあるべき姿を説いた。水戸学は栗山潜鋒を通じて垂加神道の影響を受けていた。 江戸時代前期に大きな勢力を有した神儒一致思想であったが、これを批判する流れから成立したのが復古神道である。

    神儒一致思想には儒教に重きを置くものと神道に重きをおくものがある。林羅山や貝原益軒、三輪執斎などの説は前者の傾向が強いが、雨森芳洲、山鹿素行、熊沢蕃山、二宮尊徳、帆足万里、徳川斉昭、藤田東湖などの説は後者の傾向が強い。 貝原益軒は儒教の経書は神道の経典になるべきと考えた。また、益軒は儒教の理を用いて神道を解釈すべきとし、神道を儒教の天と同一視していた。三輪執斎は『中庸』に神道の極意が存在すると考えた。 雨森芳洲は三種の神器が仁・明・武の三徳を表すものであるとし、儒教は神道への注釈であると考えた。一方、熊沢蕃山は三種の神器が知・仁・勇の三徳を表すものであるとした。山鹿素行は聖教(儒教)渡来以前から日本にも聖教(神道)が存在し、天皇が断絶せずに続いていることが、大陸より日本が徳化が行き渡っている証拠だとし、日本こそが「中朝」であるとする日本=中国説を唱えた。二宮尊徳は神道、儒教、仏教の中で神道を重視し、神道は開闢の大道であると主張している。徳川斉昭や藤田東湖は神道と儒教に優劣をつけることはしなかったが、東湖は神道には天照大神の神訓に由来する道義が存在すると主張した。斉昭が指導したいわゆる後期水戸学の特徴としては、易姓革命を否定し、尊王の立場をとったことが挙げられる。

    伊藤聡 『神道とは何か』 中央公論新社〈中公新書〉、2012年。ISBN 978-4-12-102158-8
    平重道「儒家神道」『国史大辞典』第7巻、吉川弘文館、1986年 ISBN 4-642-00507-2
    清原貞雄「儒家神道」『日本歴史大事典』第5巻、河出書房新社、1979年
    「儒家神道」『日本思想史辞典』、山川出版社、2009年 ISBN 978-4-634-62210-4
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