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梵網経、『盧舎那仏の説く菩薩の心地と戒との品』第十、巻の上. 後秦(こうしん、384-417)亀茲(きじ、西域古国名)国の三蔵、鳩摩羅什訳す. 梵網:梵は清浄と訳し、網を因陀羅(いんだら、帝釈天)の宮殿を荘厳せる網に譬える。. その網、一一の目に ...
2019年1月31日 · 梵網経は、ただ五戒を拡張したに過ぎずといえども、その中に説く所の十重戒及び四十八軽戒は、皆、菩薩の菩薩たる所以の空観と慈悲心に基づくものであり、その故に、その一一の条文を知り、それを理解することは、真に大乗の発展を促し、その衰退を ...
十金剛心を過ぎて不壊の位に入ると、菩薩は世世に生を得るごとに皆不退であるが、世世に相続する神我、霊魂の類は存在しないのであるから、それは取りも直さず地前の菩薩の漸進的努力が実を結び、その世界の一切の衆生が既に不退に入ったことを意味 ...
梵壇品當說. 『若仏子、常に、まさに一切の衆生を教化すべく、僧房を建立し、山林園田に仏塔を立作し、冬夏の安居、坐禅の処所(場所)、一切の道を行う処は、皆まさにこれを立つべし。. 而も菩薩は、まさに一切の衆生の為に、大乗の経律を講説すべく ...
舎利弗、北方の世界には焔肩仏、最勝音仏、難沮仏、日生仏、網明仏、是れ等の如き恒河沙数の諸仏有りて、各其の国に於いて広長の舌相を出し、三千大千世界を遍く覆いて誠実の言を説く、『汝等衆生、当に是の不可思議の功徳を称讃し、一切の諸仏の護念する所
無量の世界は、なお網孔の如く、一一の世界は各各不同にして、別異は無量なり。 仏教の門もまたまたかくの如し。 われ今この世界に来たること八千返、この娑婆世界の為に金剛花光王座に坐し、乃ち摩醯首羅天の王宮に至るまで、この中の一切の大衆の為に、略して『心地法門品』を開き竟 ...
序 分. 阿闍世太子、父の王を幽閉して. 母の韋提希は世尊に救いを求む. 世尊、諸仏の国土を現して韋提希に選ばしむ. 正 宗 分. 極楽に生れる三福業. 第一観、日想. 第二観、水想. 第三観、地想. 第四観、樹想. 第五観、八功徳水想. 第六観、総観想. 第七観、花座想. 第八観、想像. 第九観、一切色身想. 第十観、観世音菩薩真実色身想. 第十一観、大勢至菩薩真実色身想. 第十二観、普観想. 第十三観、雑想. 著者に無断で複製を禁ず。