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  1. 英國疫情 相關
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  1. ファイル:COVID-19 outbreak UK case counts.svg - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › ファイル:COVID-19_outbreak_UK

    解説. COVID-19 outbreak UK case counts.svg. English: Confirmed cases of COVID-19 in the UK by country and NHS region in England as of 13 April 2020 [1] [2] 日付. 2020年3月12日.

    • 2020年3月12日
    • 投稿者自身による作品; created using Python script
    • Ythlev
    • English: Confirmed cases of COVID-19 in the UK by country and NHS region in England as of 13 April 2020[1][2]
  2. COVID-19ワクチン - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › COVID-19ワクチン

    英国の104の病院に勤務する15,121人の医療従事者は、調査前に全員のCOVID-19抗体が陰性であったが、2020年12月7日から2021年2月5日まで、系統 B.1.1.7が優勢変異株として循環していた時期に、週2回の逆転写ポリメラーゼ連鎖反応(RT-PCR)検査で

  3. 新型コロナウイルス感染症 (2019年) - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › Covid-19

    2019年に発生した 新型コロナウイルス感染症 (しんがたコロナウイルスかんせんしょう、国際正式名称: COVID-19 )は、 SARSコロナウイルス2 (SARS-CoV-2) が ヒト に 感染 することによって発症する 気道感染症 ( ウイルス 性の広義の 感冒 の一種 )である ...

  4. ロンドンの大疫病 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › ロンドンの大疫病
    • 1665年当時のロンドン
    • 死者の記録
    • 予防措置
    • 流行
    • 流行後
    • 疫病の影響
    • 参考文献

    この時代の他の西欧の都市同様、17世紀のロンドンにおいてもペストは風土病として存在していた。この疫病は周期的に大規模な流行を起こした。1603年の流行では3万人、1625年には3万5千人、1636年には1万人の死者が発生し、規模は小さいが同様の流行がしばしば起きた。 1664年の暮れ、明るい彗星が空に現れ、 ロンドンの住民たちは恐れ、彗星の出現が暗示する凶事とは何か疑問に思った。 当時のロンドンは448エーカーの市域と侵入者を防ぐ城壁からなる都市であった。ラドゲート、ニューゲート、アルダーズゲート、クリプルゲート、ムーアゲート、ビショップスゲートに城門があり、ロンドン南部にあるテムズ川にはロンドン橋が掛かっていた。ロンドンでも貧しい住民が住む地域の過密な長屋の中では、衛生の維持は不可能であった。 下水設備はまったくなく、曲がりくねった街路の中央に設けられた開渠に流されていた。道路に敷かれた丸石は馬車から出る泥や糞で滑りやすく、夏には蝿がうなり、冬には排水溝を満たした。 ロンドン市は「掃除人」を雇い、特にひどくたまった汚物を城壁外へ運びだし、汚物はそこに溜り、腐敗していった。ひどい悪臭のため、街路を歩く人はハンカチや花を鼻孔に押し付けていた。 石炭等のロンドン市の必需品の一部ははしけで運ばれていたが、大半は陸路で輸送されていた。陸路は荷車や幌馬車、騎馬や歩行者で込み合っており、城門の受け入れ能力がロンドン市の成長のボトルネックとなっていた。19のアーチからなるロンドン橋はさらに混雑していた。暮らしに余裕がある人たちは、汚物で汚れないように、目的地まではハックニーキャリッジと呼ばれる辻馬車や、椅子かごを使った。徒歩の貧民は車が巻き上げる泥や、屋根から捨てられる泥や水で汚れる恐れがあった。石けん工場や醸造場、製鉄所、石炭を使う1万5千の家から生じる息を詰まらせる黒煙の危険もあった。 ロンドンの城壁の外では、すでに過密な市内で群れをなす職人や商人の居住区が広がっていた。木造の掘っ立て小屋が広がるスラム街で、そこには衛生はまったくなかった。政府はスラム街の拡大を規制しようとしたが失敗し、およそ25万人が住んでいた。 共和政期に逃亡した王党派の立派な住宅を引き取って使っている移民もいたが、それぞれの部屋は別の家族が住んでおり、長屋のようになってしまった。そのような居住区は...

    調査員も参照。流行の激しさを判定するため、大流行が起きた当時の人口を把握する必要がある。公的な人口調査記録は存在しないが、同時代の信頼できる文献として王立学会でも最初期の王立協会フェローで、人口統計学者の一人でもあるジョン・グラントの報告があり、統計の処理に科学的方法を取り入れている。 1662年、彼は毎週首都で発行される死亡表から、ロンドン市、自由区域、ウェストミンスター地区、外教区の人口は38万4千人と予想した。これらの様々な統治機構を持つ種々の区が公式に全体としてロンドン市を構成していた。1665年に彼は予想を「46万人を超えない」に修正した。ほかの同時代文献はもっと大きな数字を予想していた(たとえばフランスの外交官は60万とした)が、統計学的根拠があるわけではなかった。ロンドン市の次に大きな都市はノリッジで、人口は3万だった。 当局の人間に死亡を報告する義務は全くなかった。その代り、それぞれの教区では2人かそれ以上の死体を調査し、死因を決定する義務を負う調査員を任命していた。「調査員」は死亡を報告する毎に遺族より少額の手数料を徴収する資格が与えられていたので、教区では任命しなければ貧困のため救貧税による支援が必要となりそうな人間を割り当てていた。通常、このため「調査員」には非識字で騙されやすい高齢の女性が任命され、疾患の特定についての知識はほとんど期待できなかった。 「調査員」はその区域の埋葬を担当する教区管理人か、教会の鐘を鳴らす人から、死亡と取扱いについて学んでいた。 クエーカー、アナバプテスト、その他イギリス国教会に属さないキリスト教徒やユダヤ人のような、その地域の教会に死亡を報告しなかった人々は、公的記録から漏れることがしばしばあった。大疫病期の「調査員」は地域社会から離れて生命を維持することを求められ、他の人々との接触を避け、屋外にいるときは役職を示す白い棒をもち警告し、その職務外の時間は疫病を拡散させないよう、室内にとどまる必要があった。 「調査員」は教区庶務係に報告し、庶務係はブロード街にある教区庶務会”company of Parish Clerks”に毎週報告書を作成した。数字はロンドン市長に報告されていたが、疫病が国内で懸念されるほど広がった時は、大臣にも報告されていた。その報告をもとに、死亡表が作成され、それぞれの教区での死者の数...

    1660年代にヨーロッパでの疫病の報告がイングランドに届くようになると、市民議会が予防策を検討し始めた。以前の流行の時行われた船舶の検疫(隔離)がアムステルダムやハンブルクでの流行を受けて1663年11月に再度導入された。テムズ川に進入しようとする船を調べるため、海軍の軍艦2隻が割り当てられた。感染した港から来た船は、ホール・ヘブンかキャンベイ・アイランドに30日間の係留の後にテムズ川に進入することを許された。非感染港からの船や、隔離期間を終了した船には健康証明書が発行され航海を許可された。テムズ川の両岸のティルベリーとグレーブセンドにある要塞で第二の査察が行われ、証明書をもつ船だけがさらに進むことができた。大陸での疫病が猛威を増した1664年5月には、隔離期間は40日に延ばされ、検疫が必要な地域はオランダ共和国全域に拡大された。ハンブルクに対しての制限は11月に解除された。オランダから来た船に対する検疫は5月にグレートヤーマスから始まり、29の港へと拡大した。ネーデルラント連邦共和国の外交官が交易の制限について異議を申し立てたが、イングランド側は検疫導入が最も遅かった国の一つであると弁明した。制限は極めて厳格に適応され、検疫を経ずに上陸した旅行者がいる地域の住民や建物に対しても、同様に40日の隔離が行われた。

    ユスティニアヌスの疫病、黒死病、ペストの第三次流行期も参照。1348年に黒死病として劇的に登場して以来、疫病はイギリスにおいても生命の脅威となった。1603年に死亡表が定期的に発行されるようになり、その年にも33347人の疫病死が記録された。1603年から1665年までに、一度も報告例のない年は4年しかない。1563年にはロンドンにおいて週1000人の死者が発生したことが報告されている。1593年には15003人、1625年には41313人、1640年から1646年にかけて合計11000人の死者が発生し、1647年にさらに3597人が死亡した。1665年の大流行が規模において勝るまでは、1625年の流行はその当時「大疫病」として記録されていた。これらの公的な記録は実際の記録より過少に報告される傾向があった。

    ロンドン大火も参照。1665年の晩秋になると、ロンドン市とその郊外の死亡者数は減少し始め、1666年2月になると、比較的安全と考えられるようになり国王とその廷臣がロンドン市に帰還した。国王が帰還すると、他の市民も帰還し始めた。判事はウィンザーからウェストミンスター・ホールに戻った。議会は1665年4月に延期されていたが、再開されたのは1666年9月だった。交易は推奨され、店舗や工房は活動を始めた。ロンドンはひと財産作ろうともくろむ人たちの波の終着点であった。1666年3月の終わり、大法官であるクラレンドン伯爵は以下のように述べている。「通りは混雑し、証券取引所は込み合っている。いまだかつてないほど、どこも人であふれかえっている…」. 疫病は1666年半ばまで、ほどほどの発生率で散発的に発生した。9月になるとロンドン大火でロンドン市の大半は破壊され、火災が疫病を終わらせると信じる人々も一部にいた。現代では、大火が起こる以前から疫病はほぼ終息していたものと考えられている。流行後期の症例はほとんどが郊外での症例であり、ロンドン市は大火で破壊されたからである。 死亡表によれば、1665年のロンドンでの疫病死は68596人である。クラレンドン伯爵は真の死亡率は少なくとも2倍は多いと推測している。1666年にはほかの年でもより小規模であるが疫病死が発生した。公爵ともどもロンドン市内にとどまった、アルベマール公爵付きの牧師であるトーマス・ギャンブルは、1665年から1666年にかけての全死亡者は約20万人と見積もっている。 1665年~1666年のこの大疫病は、イギリス国内では最後の大流行であった。1679年の疫病死を最後に、1703年になると死亡表からこの分類は取り除かれた。イースト・アングリアやイングランドの南東部の他の町にも広がったが、平均死亡率より高い死亡率となった外教区は全体の10%以下だった。地方と比べ、都市はより影響を受けやすかった。ノーウィッチ、イプスウィッチ、コルチェスター、サウザンプトン、ウィンチェスターは特に影響を受けた一方、イングランド西部や中央部は全く影響を受けなかった。 イングランドの人口は1650年には約525万人だったが、1680年には490万人に減少し、1700年に500万人まで回復した。天然痘などの他の疾患は、疫病と関係なく人口に多くの死...

    ロンドンの大疫病で被害を蒙ったのは貧民が中心であった。富裕層は郊外の不動産や、親族を頼って避難することができたためである。翌年のロンドン大火では多くの商人やその保有不動産が失われた。 この結果として、1666年のロンドン再建法が可決され、ロンドンの大半は再構築された。ロンドンにおける街路の計画は比較的保守的だったが、いくらかの改良点が見られた。道幅は拡大され、舗装され、開渠は廃止され、木造の建築や張り出した破風は禁止され、建造物の設計と建築とが規制されるようになった。煉瓦造りまたは石造が義務付けられ、優雅な建造物が多数建造された。ロンドンは単に回復しただけでなく、より健康的な都市へと変化した。ロンドンの住民は1665年と1666年のこの災害以降、共同体意識をより強く持つようになった。 再建は10年以上にわたって続けられ、ロバート・フックにより監督された。 建築家のサー・クリストファー・レンがセント・ポール大聖堂や50以上のロンドンの教会の再建に関与した。 国王チャールズ2世は再建事業にかなりの支援を行った。チャールズ2世は芸術や科学の支援者であり、王立天文台の建造やロバート・フック、ロバート・ボイル、サー・アイザック・ニュートン等が含まれる科学者の集団である王立協会にも援助を行った。実際のところ、イングランドにおける芸術と科学の復興は、大火と疫病から生まれたのである。 集団墓地には、現代の地下工事中に考古学的に発掘されたものがある。2011年から2015年の間に、リバプール・ストリートのクロスレールの工事現場からニューチャーチヤードもしくはベトラム墓地と推定される地域で3500体の遺体が発掘された。発掘された遺体の歯からペスト菌のDNAが発見され、腺ペストの犠牲者であることが証明された。

    Notes Bibliography 1. Arnold, Catherine (2006). Necropolis: London and its dead. London: Simon and Schuster. ISBN 978-1-4165-0248-7. https://books.google.com/books?id=0eBdAAAAQBAJ 2. Bell, Walter George (1924). The Great Plague in London in 1665. Michigan: AMS Press. ISBN 978-1-85891-218-9 3. Bell, Walter George (1951). Belinda Hollyer. ed. The great Plague in London(Folio Society ed.). Folio Society by arrangement with Random House 4. Leasor, James (1962). The Plague and the Fire. London: George Allen and Unwin. ISBN 978-0-7551-0040-8. http://www.jamesleasor.com/the-plague-and-the-fire/ 5. Moote, A. Lloyd (2008). The Great Plague: The Story of London's Most Deadly Year. London: JHU Press. ISBN 978-0-8018-9230-1. https://books.google.com/books?id=XGd3dIEtx_cC 6. Porter, Stephen (2012). The Great Plague of London. Gloucestershire: Amberley Publishing. ISBN 978-1-4456-0773-3. https://books.google.com/books?id=x2EBkPNnUXEC

  5. 新型コロナウイルス - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 新型コロナウイルス
    • 語源
    • 詳説
    • 関連項目

    新型コロナウイルスの「新型」には、既知のウイルス科分類に属する新しい病原体という意味がある。すなわち、新型コロナウイルスは、コロナウイルス科(またはその下位分類)に属する新しい病原体という意味である。全く未知の新しい病原体という意図はない。「新型○○」という単語の使用は、2015年にWHOが決めた新しい感染症命名スキームに準拠している。 歴史的に病原体は場所・個人・特定の種にちなんで名付けられる慣行が多くあったが、その慣行は現在WHOによって支持されていない。 ウイルスと病気の恒久的な正式名称は、それぞれICTVとWHOの国際疾病分類 (ICD)によって決定される。

    2002年 SARSコロナウイルス (SARS-CoV) - 2002年11月頃から2003年7月にかけて流行した重症急性呼吸器症候群 (SARS)の原因となるウイルス。2003年当時は「新型コロナウイルス」とも呼ばれていた[注釈 2]。
    2005年 ヒトコロナウイルスHKU1(HCoV-HKU1)
    2012年 MERSコロナウイルス (MERS-CoV)- 2012年7月にエラスムス大学医療センターでコロナウイルスが分離されたため、当初はHCoV-EMC(Human coronavirus- Erasmus Medical Center, ヒトコロナウイルス-エラスムス大学医療センター)とも呼ばれていた。当初は「新型コロナウイルス」等と呼ばれていたが[注釈 3]が、2013年5月に国際...
    SARSコロナウイルス2 (SARS-CoV-2) - 2019年新型コロナウイルス。2019年11月に初感染者が出て、2020年1月に新型のコロナウイルスであることが確認された。
  6. SARSコロナウイルス2 - Wikipedia

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    このページのノートに、このページに関する注意があります。( 2020年7月 ) 注意の要約:「ウイルス (SARS-CoV-2) が流行」と書くより「ウイルスによる感染症 (COVID-19) が流行」と書くほうが適切です。したがって、他の記事で影響などについて記述するときは、 ...

  7. 疫学 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 疫学
    • 定義
    • 歴史
    • 手法の分類
    • 医学への応用
    • ビジネスの疫学
    • 脚注
    • 関連書籍
    • 関連項目
    • 外部リンク

    国際疫学学会の定義は「特定の集団における健康に関連する状況あるいは事象の、分布あるいは規定因子に関する研究。また、健康問題を制御するために疫学を応用すること」である。 他の定義の例として、「疫学とは生物集団における病気の流行状態を研究する学問」がある。すなわち、ある一時点/一期間での、ある一集団において、ある特定の病気が流行した場合、その流行の原因を調べ、その原因を除去することにより流行そのものを制御(終熄、予防)するための学問である。別名「流行病学」。 「疫学は人間集団における病気の発生に関する学問」だとする定義がある。 また人間以外にも拡張した説としては、「疫学とは病気の発生に関する学問」だとする定義がある。 疫学は疫の字に病垂(疒)が付くのため医学であると誤解されているが、英語ではEpidemiology(epi; upon広範な -demos; people人間の -logos; study学問)と書き、人間集団に対するあらゆる因果関係の確認に用いられる学問である。

    ジョン・スノウ

    疫学の始まりはジョン・スノウ (医師)のコレラ研究にあると言われる。コレラのイギリス侵入(1831年10月)当時、コレラは空気感染すると考えられており恐れられていた。しかしスノウは同じ流行地域でも患者が出る家は飛び飛びである等の知見を得て空気感染説に疑問を持ち、「汚染された水を飲むとコレラになる」という「経口感染仮説」を立て、疫学的調査と防疫活動を行った。 1854年8月、ブロード・ストリートでコレラの大発生が起きた。ロンドンの水道会社はテムズ川から取水していたが、当時のテムズ川は汚濁がひどく衛生的とは言えなかった。スノウはコレラ患者が多量発生したロンドンのブロード街にて患者発生状況の調査を行った。スノウは患者発生マップと各水道会社の給水地域との比較照合を行い、特定の水道会社の給水地域においてコレラ患者が多発していることを突き止めた。同社の取水口は糞尿投棄の影響を受ける位置にあったという。スノウは、ある井戸が汚染源と推測、あてはまらない事例について調査を行い、「汚染された井戸水を飲んでいる人は罹る」と結論した。行政がこれに従い問題の井戸を閉鎖したため、流行の蔓延を防ぐ事が出来た。...

    ロベルト・コッホ

    ロベルト・コッホは1876年、炭疽菌の純粋培養に成功し、炭疽の病原体であることを証明し、細菌が動物の病原体であることを証明した(コッホの原則)。1882年に結核菌を発見し、ヒトにおいても細菌が病原体であることを証明した。1883年、インドにおいてコレラ菌を発見した。1890年、コッホは結核菌の培養上清からツベルクリン(結核菌ワクチン)を創製した。1905年、コッホはノーベル生理学・医学賞を受賞した。コッホはルイ・パスツールとともに近代細菌学の開祖とされる。 コッホはベルリン大学で弟子を育て、腸チフス菌を発見したゲオルク・ガフキー、ジフテリア菌の分離に成功し、口蹄疫ウイルスを発見したフリードリヒ・レフラー、血清療法を研究したエミール・ベーリング、化学療法を研究したパウル・エールリヒ、破傷風菌を純粋培養し、ペスト菌を発見した北里柴三郎などを輩出した。

    日本の疫学

    日本の疫学の祖と言われている高木兼寛は、日本海軍に多発した脚気を白米を中心とする食事にありとする栄養学説を唱えて、それを実験疫学的に証明したことで有名である。航海実験の結果に基づき海軍食に麦飯を導入、結果、1885年には海軍の脚気は激減した。これらの功績により1905年(明治38年)に男爵の爵位を授けられ、後に「麦飯男爵」とも呼ばれたという。 これは1912年に鈴木梅太郎がオリザニン(ビタミンB1)を発見する実に27年も前のことである。 北里柴三郎は破傷風菌を純粋培養し、血清療法を確立しペスト菌を発見した。

    研究手法には以下のような分類がある。 1. 観察型研究として、記述疫学と分析疫学がある。例えば、症状のある人だけを調査対象とするのが記述疫学であり、症状の有無にかかわらず全員を調査して比較するのが分析疫学ということができる。 1. 実験型研究として、介入研究、フィールド試験、地域介入型研究がある。 これらの研究分野の関係としては以下のようになる。 1. 記述疫学;仮説を記述 1.1. ↓ 2. 分析疫学;仮説を分析、検証 2.1. ↓ 3. 介入研究;仮説を(介入実験して)確かめる

    医学に応用される場合、明確に規定された人間集団の中で出現する医学上の事象を、その頻度、影響、分布を明らかにして、医学上の事象の有効な対策を研究する学問である。疫学は、直接の病因を明らかにしない。 1. 頻度は、主に有病割合と発生率、死亡率を調査する。 2. 有病割合とは、ある一定時点で母集団の中で疾病している人の割合のこと。疾病の静的な頻度をあらわす。 3. 発生率は、新たに罹患する人の割合であり、単位は"person/year"。疾病の動的な頻度をあらわす。 4. 有病割合は発生率と平均有病期間の積で表される。[要出典] 5. 死亡率は死亡数を人口で除した粗死亡率ではなく、年齢調整死亡率を用いる。

    商品の販売事由を分析し、販売促進に役立てる学問。しかし、この分野において根本的な意味で疫学はほとんど用を成さない。なぜならば、疫学は自然科学であるため再現性のある現象を対象とするが、商品の販売という社会現象において再現性を見いだすことは極めて困難だからである。

    ^ 臨床研究の先人たち Vol.1「コレラ」国立循環器病研究センター最終更新日 2010年12月01日
    ^ 日本疫学会翻訳、『疫学辞典第3版 国際疫学学会後援図書』財団法人日本公衆衛生協会、2000年、ISBN 978-4-8192-0167-4.
    ^ Anders Ahlbom,Staffan Norell,Introduction to modern epidemiology 2nd ed,America:Epidemiology Resources ,1990/07/01,p.1,ISBN 0-917-22706-9
    ^ Kenneth J.Rothman,Sander Greenland,Modern epidemiology 2nd ed,America:Lippincott Williams & Wilkins,1998/01/15,ISBN 0-316-75780-2
    Anders Ahlbom,Staffan Norell,Introduction to modern epidemiology 2nd ed,America:Epidemiology Resources ,1990/07/01,p.1,ISBN 0-917-22706-9
    Kenneth J.Rothman,Sander Greenland,Modern epidemiology 2nd ed,America:Lippincott Williams & Wilkins,1998/01/15,ISBN 0-316-75780-2
    日本疫学会監修『はじめて学ぶやさしい疫学-疫学への招待』南江堂、2002-10-10、ISBN 4-524-22468-8
    等々力英美他『EBN入門-生活習慣病を理解するために』第一出版、2000/09、ISBN 4-804-10933-1
  8. 口蹄疫 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 口蹄疫
    • 概説
    • 病原体
    • 症状
    • 伝播
    • 診断
    • 治療・殺処分
    • 防疫・対策
    • 事例
    • 参考文献
    • 関連人物

    この病気は、高い伝播性、罹患した動物の生産性の低下、幼獣での高い致死率という特徴を持つ。感染が確認された場合、他の家畜への感染拡大を防ぐため、罹患した患畜は発見され次第殺処分される。また他地域の家畜への伝播を防ぐため、地域・国単位で家畜の移動制限がかけられることから、広い範囲で畜産物の輸出ができなくなる。これらによる経済的被害が甚大なものとなるため、畜産関係者から非常に恐れられている病気である。日本国内で感染の疑われる家畜が発見された場合は、各地の家畜保健衛生所が通報を受け、家畜の診断にあたる。 アジア、中東、アフリカ、南米地域を中心に毎年世界各地で発生している。日本では2000年3月12日、約92年ぶりに宮崎県宮崎市でO型の口蹄疫の発生が見られた。また2010年4月20日に、宮崎県児湯郡でO型の感染が確認された。 韓国においても2010年11月以降に大規模な流行が起きた。 世界各国での発生状況については、OIEのデータベースを参照のこと。 日本国内で口蹄疫が発生した場合、対応は、家畜伝染病予防法および農林水産省の定める「口蹄疫に関する特定家畜伝染病防疫指針」(防疫指針)に従って行われる。家畜伝染病予防法は第一号法定受託事務にあたり、国の適正な処理確保がされた状態で都道府県に委託されている(詳しくは地方分権一括法を参照)。また、同法では、農水大臣が県知事同様に殺処分等を命ずることができるなどの措置も担保している。

    ピコルナウイルス科(Picornaviridae)アフトウイルス属(Aphthovirus)の口蹄疫ウイルス(foot-and-mouth disease virus, FMDV)によって発生する。ただ単に「アフトウイルス」と言えば口蹄疫ウイルスを指す。アメリカ合衆国では Hoofs and mouth diseaseとも呼ばれることがある。 ラブドウイルス科(Rhabdovirideae)ベシクロウイルス属(Vesiculovirus)の水胞性口炎ウイルス(vesicular stomatitis virus, VSV)による水胞性口炎も口蹄疫に酷似した症状を示し、牛丘疹性口炎とともに類症鑑別が必要とされる。 1898年、ドイツの医学者フリードリヒ・レフラーとポール・フロッシュにより病原体が突き止められ、細菌より小さいことが確かめられた。これが、初めて確認された濾過性病原体=細胞内寄生体の一つである。 口蹄疫ウイルスは、大きく分けてO型、A型、C型、SAT-1型、SAT-2型、SAT-3型、Asia-1型の7タイプに分類される。そして各タイプはさらに複数のサブタイプに分けられる。

    一般的な症状

    病理的にはウイルス血症を起こし、外見的には発熱、元気消失、多量のよだれなどが見られ、舌や口中、蹄(ひづめ)の付け根などの皮膚の軟らかい部位に水疱が形成され、それが破裂して傷口になる。「口蹄疫」という病名はこれに由来する。但し、水疱が形成されないケースも報告されている。基本的には口蹄疫には他のウイルス感染症と同じように不顕性感染があり、症状がまったくなくても、感染区域にいた牛・豚は感染症の媒介者になり得る。 水疱が破裂した際の傷の痛み(細菌によるその後の二次感染も含む)で摂食や歩行が阻害され、体力を消耗する。幼畜の場合、致死率が50%に達する場合もあるが、成畜では数パーセントである。しかし上の症状に伴い乳収量や産肉量が減少するため、畜産業に対しては大きな打撃となる。

    農水省による公式症状

    突然40〜41℃の発熱、元気消失に陥ると同時に多量のよだれがみられ、口、蹄、乳頭等に水疱(水ぶくれ)を形成し、足を引きずる症状が見られる。

    症状写真と説明

    1. 口蹄疫による発熱(サーモグラフィでの撮影)。ひづめ周りが熱を持つという特徴がある。 2. 多量のよだれが出る。 3. 口内に水疱ができる。牛の唇。 4. ひづめ周りに水疱ができる。牛の足。 5. ひづめ周りの水疱。豚の足。 1. 農水省:口蹄疫罹患家畜の特徴的病変(2010年1月〜6月韓国事例):写真

    家畜の伝染病の中では最も伝染力の強い疾病でもあり、典型的な水疱形成前からウイルスが排出される。ウイルス血症を起こすことから感染動物の全て組織、分泌物、糞便が感染源となる。例えば、精液中にもウイルスが含まれる為、交配やウイルス汚染された精液を使用すると人工授精でも感染する。牛乳には水疱形成の4日程度前からウイルスが排出される。 潜伏期間は動物の種類によって異なりウシは約6日、ヒツジは約9日、ブタは約10日とされているが、実際には感染時ウイルス量と関係があり、多量であれば潜伏期間は短くなる。感染した1匹の豚は1日に4億個のウイルス粒子をまき散らし、10粒子で牛を感染させることができる。 野鳥、犬、猫、ネズミは口蹄疫に感受性はなく感染しないが、ウイルスを運ぶ可能性があり、移動制限を受ける。 病原体が付着した塵により空気感染もする。飼料も感染源となり、ワラに付着した口蹄疫ウイルスは夏では4週間、冬では9週間、フスマでは20週間生存すると言われており、稲藁や麦藁に付着して入ってくる可能性も危惧されている。水疱が破裂した際に出たウイルスや糞便中のウイルスが塵と共に風に乗るなどして陸上では65km、海上では250km以上移動することもある。幾つかの例があるが、実際に1967年から1968年のイギリスでの感染事例では、ドーバー海峡を越えフランスから伝播した。また、1981年にデンマークからスウェーデンへと伝播している。ヨーロッパ以外では、1985年ヨルダンからイスラエルへの伝播例も報告されている。 アウトブレイクの引き金となる最も重大な感染ルートは肉製品によるものである。

    日本では、防疫指針に基づき、遺伝子検査による診断を行う。具体的には、農家や獣医師などが水疱などの症状によって疑いを持つと、各地方にある家畜保健衛生所に通報する。家畜保健衛生所は2時間以内に立ち入り検査し、同時に複数の個体から「血液」「水疱上皮」(水疱上皮は2cm角または合計 1g以上)「水泡液」等の試料を採取する。幼獣等の死亡検体からは、心筋、リンパ節、内臓を試料として採集する事もある。口蹄疫の疑いがある場合には、水疱上皮などの試料は、pH 7.2〜7.6に厳密に調製された保存液に入れ、容器の破損、内容物の腐敗、病原体の拡散を防ぐため厳重に梱包し凍結させないように冷蔵保存して農研機構に運搬する。血液や体液も冷蔵保存で運搬する。検査は農研機構海外病研究施設(小平市)において24時間体制で行われ、約6時間で判定可能な、RT-PCR法で遺伝子診断を行う。遺伝子診断全過程には約半日(輸送や行政手続きも含む。ウイルス分離には2-7日)かかる。陽性となれば「疑い例 (suspected case)」となり、行政・マスコミでは「口蹄疫」として扱われるようになる。更に確定診断の為には、培養した病原体により正確な判定が可能なELISA法(血清検査。培養に数日かかる)により検査が行われ、陽性であれば「確認例、確定例 (confirmed case)」となる。この時、血清型(O型が多いが、7種類以上ある)さらにOIEの口蹄疫国際確定診断センター (WRLFMD) である英国の「パーブライト研究所 (Pirbright Laboratory)」にデータを送付する。

    致命的な病気ではないが、本疾病に対して治療が選択されることは基本的に無い。前記のとおり偶蹄類が感染する伝染病の中でも最も伝染力が強い部類に入り、蔓延すれば畜産業界に経済的な大打撃を与えかねない疾病でもあるため、患畜として確認され次第、家畜伝染病予防法に基づき、患畜のみならず同じ畜舎に飼われる家畜も全て速やかに殺処分される。 殺処分は狂犬病のような第17条第1項による都道府県知事の権限ではなく、第16条第1項に基づく家畜保健衛生所の家畜防疫員の指示により患畜と確認され次第、直ちに行われる。この指示書も第17条第1項に基づく『殺処分命令書』ではなく、第16条に基づく『と殺指示書』という形式で発せられる(命令の内容および効力に事実上差は無い)。 1. 2010年の例では、第10例目の川南町・畜産試験場の豚486頭から、遺伝子診断を待たず写真判定による即日処分を開始している。ただし殺処分が間に合わない、農家の同意が得られないなどの理由でPCR判定を待ってからの殺処分する場合が多かった。

    家畜伝染病予防法・防疫指針

    1. 日本では、「家畜伝染病予防法」と「防疫指針」に基づき各種の対策が行われている。 1.1. 家畜伝染病予防法 公布:昭和26年5月31日 法律第166号 1.2. 家畜伝染病予防法施行規則(昭和二十六年農林省令第三十五号).e-Gov法令検索. 総務省行政管理局 1.3. 口蹄疫に関する特定家畜伝染病防疫指針平成16年12月1日 農林水産大臣公表 1.4. 付属文書 「留意事項」口蹄疫に関する特定家畜伝染病防疫指針に基づく発生予防及びまん延防止措置の実施にあたっての留意事項平成16年12月1日 農林水産省消費・安全局長 都道府県知事あて通知 1. 1.1. (注)なお防疫指針の発表に伴い、「要領」(口蹄疫防疫要領 2002年(平成14年)6月24日付け農林水産省生産局畜産部長通知)は廃止された。「海外悪性伝染病防疫要領」(農林水産省畜産局長通達、50畜A第3843号、1975年(昭和50年)9月16日付、一部改正1976年(昭和51年)7月5日)は新要領とともに廃止済み。 対策の基本は「検疫」、「早期発見と殺処分」、「半径10kmの移動制限区域、半径20kmの搬出制限区域」で...

    2010年6月 口蹄疫対策特別措置法

    1. 口蹄疫対策特別措置法口蹄疫対策特別措置法 抄(平成二十二年法律第四十四号)(平成22年6月から平成24年3月31日までの時限立法)(家畜伝染病予防法より優先して適用される) 1.1. 口蹄疫対策特別措置法施行令(平成二十二年政令第百四十六号).e-Gov法令検索. 総務省行政管理局 1.2. 口蹄疫対策特別措置法施行規則(平成22年農林水産省令第41号).e-Gov法令検索. 総務省行政管理局 1.3. 口蹄疫防疫措置実施マニュアル(平成22年6月24日22消安第2898号 農林水産省消費・安全局長通知) 1.3.1. 農場から家畜保健衛生所に通報があれば、2時間以内に立ち入り検査 1.3.2. 動衛研の遺伝子検査を待たず、写真で感染疑いを早期に判定 1.3.3. 疑い確認から24時間以内の殺処分、埋却

    2010年9月 宮崎県えびの市の防疫

    迅速な判定、殺処分、広域の徹底した消毒と検問。

    2000年まで

    1. 1870年、アメリカ合衆国で9頭。 2. 1899年に茨城県で発生し、1902年まで東京府、京都府ほか5県で3,459頭の牛が感染した。その牛で作った種痘ワクチンにより米国で口蹄疫が広がったことがあるという。当時の呼び名は流行性鵞口瘡(ガコウソウ)、鵞口瘡脚熱、牛の舌病、伝染性鵞口瘡、口足病など。 3. 1908年に東京府、神奈川県、兵庫県、新潟県で522頭の感染が記録されている。1909年から1999年まで日本での感染の記録はない(感染牛の輸入例があるが)。 4. その頃ドイツでは5年間で370万頭感染した。 5. 1914年、アメリカ合衆国ミシガン州を中心に牛、羊、豚が17万頭。被害総額450万ドル。 6. 1924年、アメリカ合衆国カリフォルニア州で、10万9000頭の家畜と2万2000頭の鹿。 7. 1934年、日本領朝鮮(現大韓民国) 8. 1967年10月、イギリスシュロップシャーで報告。被害は44万2000頭、3億7000万ポンド。(→en:1967 United Kingdom foot-and-mouth epidemic) 9. 1997年3月19日、台...

    2001年

    2001年にイギリスで約2000件の感染が確認されることになり2001年総選挙の1ヶ月延期などの影響が出た。翌2002年に調査報告が出て政府の危機管理が問われた。その中では (1)移動禁止の3日の遅れと (2)ワクチン接種のおくれなどから、感染が広範囲に広がり、毎日50件の感染が報告されるまでに拡大した。感染家畜は殺傷されるだけでなく、感染を防ぐ為には焼却処理が施されなければならなく、これほど大規模な家畜の死体の焼却場への輸送などは役所の手に余った。最後には軍が出動して感染発生地点より半径3キロ以内の全家畜をその場で殺傷・焼却・土葬処分する処置がとられ週に80,000 - 93,000頭の家畜が処理されその焼き焦げた死体が積み上げられた姿がテレビに放映された。殺傷された家畜の総数は一千百万頭。被害総額は畜産業だけでなく検問などで交通が制限された為に観光業にもおよび8Billionポンド。当時の為替レート(1/175)で日本円に換算すると一兆四千億円ほどの経済被害を生じた。 1967年の教訓は生かされなかったが、2007年に生かされた。

    2002年 - 2009年

    1. 2002 FIFAワールドカップを控えた2002年5月2日から同年6月23日までの52日間で、韓国京畿道や忠清北道の都市で16件の発生が確認された。この時点で約16万頭の牛が殺処分された。 2. 2005年4月、中国山東省と江蘇省で報告され、河北省、新疆ウイグル族自治区などに広がった。感染は現在まで断続的に続いている。 3. 2007年8月3日にイングランドの農場で再び感染が確認されたと英国DEFRAが発表した。政府は家畜の移動を全面禁止し、EUはイギリスからの家畜の輸入を禁止した。(→en:2007 United Kingdom foot-and-mouth outbreak)

    清水悠紀臣ほか 『動物の感染症』 近代出版 2002年 ISBN 4874020747
    熊谷哲夫、「口蹄疫」 『ウイルス』 1979年 29巻 1号 p.9-18, doi:10.2222/jsv.29.9, 日本ウイルス学会
    総説 口蹄疫ウイルスと口蹄疫の病性について 動物衛生研究所[リンク切れ]
    江藤隆美 中川義雄2000年に発生した際に殺処分を命じ収束。
    赤松広隆 山田正彦 2010年に発生した時の農水大臣。
  9. 集団免疫 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › 集団免疫
    • 概説
    • 目的
    • 病種
    • ウイルスの進化への影響
    • 病気の根絶
    • 集団免疫へのただ乗り(フリーライダー)
    • 数理モデル
    • 予防接種・ワクチン
    • 受動免疫
    • 関連項目

    個人の免疫は、感染症からの回復や予防接種によって獲得される。一部の人々は医学的理由により免疫を獲得することができず、集団免疫はこれらの人々に対する重要な保護手段となる。免疫を持つ人々の割合が一定の値に達すると、集団免疫によって病気が徐々に集団から排除されるようになる。この排除が世界中で達成されれば感染の数は永続的にゼロまで減少する可能性があり、この状態が撲滅または根絶と呼ばれる。この手法によって天然痘は1977年に根絶され、他の感染症についても地域的な排除が行われている。集団免疫は全ての感染症に適用されるわけでなく、伝染、つまりある人から他の人へうつる疾患のみに適用される。例えば、破傷風は感染症であるが伝染しないため、集団免疫は適用されない。 集団全体の免疫を意味する用語として"herd immunity"という語は1923年に、さまざまな程度の免疫を持つマウス集団での疾患致死率を調査する研究において初めて使用された。 1930年代に多くの小児が麻疹に対して免疫を獲得すると、免疫を持たない小児の間でも新たな感染の数が一時的に低下することが観察され、自然発生する現象として認識された。A. W. Hedrichはボルティモアにおける麻疹の疫学についての研究を発表し、多くの小児が麻疹に対する免疫を獲得したのち、感受性の小児の間でも新たな感染の数が一時的に減少したことに注目した。この知見にもかかわらず、麻疹をコントロールし除去する取り組みは1960年代に麻疹ワクチンの集団予防接種が開始されるまで成功しなかった。 その後、予防接種による集団免疫の誘導は一般的なものとなり、多くの感染症において拡大防止に成功した。集団予防接種や、病気の根絶についての議論、予防接種の費用便益分析によって、"集団免疫"は広く用いられるようになった。1970年代には、集団免疫閾値の計算に用いられる定理が開発された。1960年代から1970年代の天然痘根絶運動では、アウトブレイクの拡大を防ぐために感染者の周囲の全ての人物に免疫付与を行う包囲接種(英語版)(ring vaccination)が行われた。 しかし、集団予防接種と包囲接種が一般に行われるようになると、集団免疫の複雑さと困難が現れるようになった。感染症の拡大のモデル化は当初、集団全体が感受性であり良く混ざり合うといった、現実には存在しない...

    免疫を持たない人々の保護

    一部の人は、予防接種後に免疫を獲得できていない場合があったり、医学的理由により予防接種を受けることができなかったりする。また新生児も、安全上の理由やワクチンの効果を失わせる受動免疫の存在のために多くのワクチンを受けることができない。HIV/AIDS、リンパ腫、白血病、骨髄のがん、脾臓の機能不全、化学療法や放射線療法などによって免疫不全状態となっている人は以前持っていた免疫を失っている可能性があり、また免疫不全のためにワクチンも役に立たない可能性がある。一般的にワクチンは完璧なものではなく、一部の人の免疫系ではワクチンに対する適切な免疫応答による長期免疫の獲得が起こらない可能性がある。そのため、予防接種を受けた人でも免疫を失っている可能性がある。また、ワクチンには禁忌が存在し、そのために特定の人々が免疫を獲得できない場合もある。これらの人々は免疫を持たないだけでなく、その健康状態のために感染による合併症を発症するリスクも高いが、集団内の十分な割合の人々が免疫を持っていれば保護を行うことができる可能性がある。 ある年齢集団で高い水準の免疫が獲得されれば、他の年齢集団に対しても集団免疫...

    小児への肺炎球菌の予防接種は、予防接種を受けていない年下の兄弟でも肺炎球菌感染症の発生数を減少させる。 肺炎球菌とロタウイルスに対する予防接種は、通常これらのワクチンを接種していない年上の小児や成人でも肺炎球菌やロタウイルスの感染を原因とする入院を減少させる効果が示されている。 インフルエンザは若い年齢集団よりも高齢集団でより重症となる傾向があるが、この集団では年齢に伴う免疫系の衰えによってインフルエンザワクチンの効果は失われてゆく。しかし、季節性インフルエンザの予防接種を学齢期の児童に対して優先的に行うことで、高齢者に対してもある程度の保護効果が得られることが示されている。 性感染症に関しては、一方の性に高水準の免疫があれば両方の性に集団免疫がもたらされる。一方の性を対象とした性感染症ワクチンは、対象となる性でのワクチン接種率が高ければ、両性で性感染症が大きく減少する。しかし、女性に対する予防接種による集団免疫の効果がホモセクシュアルの男性にまで及ぶことはない。対象となる性でのワクチン接種率が低い場合、十分な保護効果を得るためには他の性でも免疫付与を行う必要がある。性感染症の根絶を困難にしているのは、高リスクな性行動である。感染の大部分は中程度のリスクの人物で起こるものの、他人への伝染の大部分は高リスクな性行動を行う人物から生じている。これらの理由により、両性の高リスクな人物に対して免疫付与を行うことが集団免疫の確立には必要である。

    選択圧

    集団免疫はそれ自身が特定のウイルスに対する選択圧(英語版)として働き、ウイルスの進化に影響を与える。このケースでは、エスケープ変異株(escape mutant)と呼ばれる、集団免疫を回避してより容易に拡大できる新たな株の出現が促進される。分子レベルでは、ウイルスの表面抗原(一般的にはウイルスのカプシドタンパク質)をコードするウイルスゲノム領域に変異が蓄積してエピトープが変化する、抗原ドリフトと呼ばれる変化が生じる。その他にも、別々のウイルスゲノム断片の再集合による変化が生じて新たな血清型が生み出されることもあり、抗原シフトと呼ばれる。こちらは複数の株が出回っているときに起こりやすくなる。このような変化が生じるとメモリーT細胞はもはやウイルスを認識できず、そのため人々は優勢株に対して免疫がない状態となる。インフルエンザとノロウイルスのいずれの場合も、流行することで新たな優勢株が出現するまで一時的に集団免疫が誘導されるため、流行は連続的な波となる。このウイルスの進化は集団免疫に対する課題となっており、特定の血清型に対する効果にとどまらない、広域中和抗体(broadly neutra...

    血清型の置換

    ある血清型に対し高水準の免疫が存在するためにその血清型の有病率が減少し、そこへ置き換わる形で他の血清型が増加する、血清型置換(serotype replacement)または血清型シフト(serotype shifting)と呼ばれる現象が生じることがある。肺炎球菌Streptococcus pneumoniaeに対する初期のワクチンは、薬剤耐性型を含む、ワクチンに含まれる血清型の鼻咽頭保菌率を大きく減少させたが、その減少はワクチンに含まれない血清型の保菌率の増加によって完全に相殺された。しかし、ワクチンに含まれない血清型はワクチンに含まれる血清型よりも侵襲性が低かったため、疾患の発生数が比例して増加することはなかった。その後、新たに出現した血清型にも効果がある肺炎球菌ワクチンが導入され、その増加に対抗することができるようになった。将来的なさらなるシフトの可能性は残されているが、それに対処する戦略としては、ワクチンに含まれる血清型の拡張や、より多くの表面抗原を含む全細胞不活化ワクチン、または複数の血清型に存在するタンパク質を標的としたワクチンの開発などが挙げられる。

    COVID-19

    アストラゼネカとワクチンを共同開発責任者の1人、オックスフォード大学のアンドリュー・ポラードは変異ウィルスが蔓延している中、集団免疫の獲得は不可能だとの認識を示し、ワクチンで感染拡大の速度を抑制できても流行を完全に止めることは不可能だとした。集団免疫を目指すワクチン接種政策にすべきではないと発言した。2021年8月現在、新型コロナ政策の行動規制をほぼ撤廃したイギリスではウィズコロナ時代の生活が始まった。

    ある集団において十分な期間、集団免疫が確立され維持された場合、病気は排除を余儀なくされ、伝染は蔓延しなくなる。世界中で病気の排除が達成され、発生数が永続的にゼロまで低下した場合、病気の根絶が宣言される。病気の根絶は感染症の拡大をコントロールする公衆衛生の取り組みの最終的な影響または結果であると考えることができる。病気の根絶には、病気の罹患率と死亡率を皆無にすることができる、個人や医療提供者、政府にとって金銭的節約になる、病気のコントロールに使われていたリソースを他の物事に充てることができるようになる、といった利点が存在する。 これまでに、牛疫と天然痘の2つの病気が集団免疫と予防接種によって根絶されている。 現在ポリオに対しても集団免疫による根絶の取り組みが行われているが、市民の現代医療に対する不安や不信が根絶を困難なものにしている。十分なだけの人々が予防接種を受けようとしない場合、義務的予防接種も根絶の取り組みには有益である可能性がある。

    集団免疫はフリーライダー問題に対して脆弱である。免疫を持たない人、特に予防接種を受けないことを選択した人は、免疫を持つ人々によって作られた集団免疫にただ乗りすることになる。集団内のフリーライダーの数が増加すると、予防できる病気のアウトブレイクがより起こりやすくなり、集団免疫の消失のためにより深刻な事態となる。ただ乗りを選ぶ人の理由は、知覚的な有効性のなさ、感染のリスクよりもワクチンに関するリスクのほうが大きいという考え、ワクチンや公衆衛生当局に対する不信、バンドワゴン効果や集団思考、社会規範や同調圧力、宗教的信念などさまざまである。予防接種率が十分に高い場合、他の人がすでに十分に免疫を持っているので自分が免疫を持つ必要はないと確信し、ただ乗りを行う可能性が高くなる。

    病気に対して免疫をもつ人は病気の拡大の障壁として機能し、他人への伝染を低下させたり防いだりする。個人の免疫は自然感染や予防接種などの人為的手段によって獲得される。免疫をもつ人の割合が集団免疫閾値(herd immunity threshold、HIT)または集団免疫レベル(herd immunity level、HIL)と呼ばれる臨界比率に達すると、病気は集団内に維持されなくなり、病気の蔓延は終息する。この閾値は基本再生産数 R0 から計算することができる。R0は、均質で十分に混ざり合う集団、すなわち全ての人々が接触を行う、完全に感受性の集団において、個々の症例から新たに引き起こされる感染の平均数である。集団内で感染に対して感受性の人々の割合を Sとすると、 1. R 0 ⋅ S = 1 {\\displaystyle R_{0}\\cdot S=1} となる時点で伝染は定常状態となる。S は、免疫をもつ人の割合 p を用いて (1 − p) と書き換えることができる。すると、上の式は次のように変形される。 1. R 0 ⋅ ( 1 − p ) = 1 , {\\displaystyle R_{0}\\cdot (1-p)=1\\ ,} 2. 1 − p = 1 R 0 , {\\displaystyle 1-p={\\frac {1}{R_{0}}}\\ ,} 3. p c = 1 − 1 R 0 . {\\displaystyle p_{c}=1-{\\frac {1}{R_{0}}}\\ .} p が等式の左辺に来るように変形し、新たに pc と書かれた値が集団内での病気の伝染の拡大を止めるために必要な臨界比率、すなわち集団免疫閾値(HIT)である。R0は伝染性の指標として機能し、R0値が低い場合はHITは低くなり、一方R0値が高い場合はHITは高くなる。例えば、R0が 2 の場合、HITは理論上わずか50%であるが、R0が 10 の場合HITは90%となる。これらの計算は、集団が完全に感受性である、つまり病気に対する免疫をもっている人がいないことを仮定している。現実には、どの病気のどの時期の場合でも、免疫をもつ人は集団内にさまざまな割合で存在する。このことを考慮するために実効再生産数 Re(effective reproductive number、Rt と書かれることもあ...

    集団内の免疫水準を高める主要な方法は、予防接種である。予防接種の概念は牛痘にかかった酪農家が天然痘に対して免疫を有するという観察に基づいたもので、天然痘予防のための牛痘ウイルスの接種として開始された。十分な開発が行われたワクチンは、自然感染よりもはるかに安全な方法で保護効果をもたらす。一般的にワクチンによって保護を行おうとする病気が引き起こされることはなく、重大な副作用は自然感染による合併症よりきわめて低頻度である。免疫系は自然感染とワクチンの区別を行わず、どちらに対しても能動免疫を形成するため、予防接種によって誘導される免疫は、病気に罹患し回復する過程で誘導される免疫と同様のものである。予防接種による集団免疫を達成するため、ワクチン製造者は不全率(免疫が誘導されない、または減衰する率)の低いワクチンの生産を目指し、政策立案者はその利用の推奨を目指す。ワクチンの導入に成功し広く利用されるようになると、ワクチンによって保護される病気の発生数の急激な減少が観察され、必然的にその病気による入院者数や死者数も減少する。 ワクチンの効果が100%であると仮定すると、集団免疫閾値を計算する式は、病気を排除するのに必要な予防接種水準 Vc を計算するためにも利用することができる。しかし、ワクチンの効果は多くの場合完璧なものではないため、ワクチンの有効率 E(effectiveness)を考慮に入れる必要があり、Vcは次のようになる。 1. V c = 1 − 1 R 0 E . {\\displaystyle V_{c}={\\frac {1-{\\frac {1}{R_{0}}}}{E}}.} E が (1 − 1/R0) よりも小さい場合、集団が完全に予防接種を受けた場合でも病気の排除は不可能になる。同様に、無細胞百日咳ワクチンでみられるように、ワクチンによって誘導された免疫が減衰することがあるため、集団免疫を維持するためにはより高い水準の追加免疫が必要である。集団内での病気の蔓延が終息すると、自然感染による集団内の感受性割合の低下がなくなり、予防接種がこの減少に寄与する唯一の手段となる。有病率とワクチンの接種率、有効率との関係は、集団免疫閾値から有効率 E と集団内で予防接種を受けている割合 pv の積を引いたものとなる。 1. ( 1 − 1 R 0 ) − ( E ×...

    個人の免疫は、病原体に対する抗体を持つ人物から他の人物へ移行することで、受動的にも獲得される。自然現象としては移行抗体があり、主にIgG抗体が胎盤や初乳を通じて胎児や新生児に移行する。また人為的に行うことも可能であり、免疫を持つ人物の血清や血漿を感受性の人物への注入することにより受動免疫の獲得が行われる。受動免疫による保護効果は即座に発揮されるが、数週間から数か月で減衰するため、集団免疫への寄与は一時的なものである。インフルエンザや破傷風など、胎児や新生児が特に重症となる疾患に関しては、妊娠女性が子供への抗体移行を目的とした免疫獲得を行う場合がある。同様に、感染に見舞われる可能性が高い、または感染による合併症を発症しやすいといった高リスク集団に関しても、感染を防いだり症状を軽減するために抗体の準備を行う場合がある。

  10. イギリスの首相の一覧 - Wikipedia

    ja.wikipedia.org › wiki › イギリスの首相の一覧

    概要 イギリスにおいて首相職が最初に出現した具体的な日付は存在しない。というのも、イギリスの首相の役割は、(アメリカ合衆国大統領等と異なり)ある時点において創設されたものではなく、長い年月を経て進化してきたものだからである [2]。

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