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『看聞日記』(かんもんにっき)は、伏見宮貞成親王(後崇光院、1372年 - 1456年)の日記。日記41巻と御幸記1巻、別記1巻、目録1巻から構成され、全44巻から成る。一部は散逸しているが、応永23年(1416年)より文安5年(1448年)まで33年間に渡る部分が現存する。
概略 幼名を「内教坊の阿古久曽(あこくそ)」と称したという [注釈 1]。貫之の母が内教坊出身の女だったので、貫之もこのように称したのではないかといわれる。 延喜5年(905年)醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒と共に撰上。
『十六夜日記』(いざよいにっき)は、藤原為家の側室・阿仏尼によって記された紀行文 日記。中世三大紀行文(ほかに『海道記』、『東関紀行』)のうちの一つ。 内容に所領紛争の解決のための訴訟を扱い、また女性の京都から鎌倉への道中の紀行を書くなど他の女流日記とは大きく趣きを ...
『歴代残闕日記』(れきだいざんけつにっき)は、平安時代から江戸時代末期にかけての天皇・朝廷・公家・武家・僧侶・寺家・社家らの日記や別記、紀行をまとめ、年代順に並べた叢書である。 安政5年(1858年)に成立した。
義演准后日記(ぎえんじゅごうにっき)は、醍醐寺 座主の義演によって著された日記である。 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての社会情勢を伺い知ることのできる一次史料として、史料価値が高い。 また豊臣秀吉・豊臣秀頼父子の造立した方広寺大仏(京の大仏)についての記述が多く ...
鈴木藤助日記. 『 鈴木藤助日記 』(すずきとうすけにっき)は、 武蔵国 橘樹郡 稲毛領長尾村(現在の神奈川県川崎市宮前区神木本町と多摩区長尾)の百姓代を務めた鈴木藤助によって、 嘉永 6年( 1853年 )6月から 明治 22年( 1889年 )1月17日まで書かれた ...