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その後、普寛行者の弟子である儀覚行者(きかくぎょうじゃ、1769-1841年)が東海地方に宮丸講を初めて開き、覚明行者系の講社が愛知県を中心に西日本へと広まった [143]。
武 松 (ぶ しょう)は、 中国 の 小説 で 四大奇書 の一つである『水滸伝』 (金瓶梅)の登場人物。 梁山泊 108人 の豪傑の1人。 人喰い虎退治、 潘金蓮 と 西門慶 の 仇討ち などで知られる。 キャラクター概要. 明代に描かれた武松。 陳洪綬 画. 天傷星の生まれ変わりで、序列は 梁山泊 第十四位の好漢。 渾名は 行者 (ぎょうじゃ)で、修行者の姿をしていることに由来。 鋭い目と太い眉をもつ精悍な大男で、無類の酒好き。 拳法 の使い手であり、行者姿になってからは2本の戒刀も用いた。 実兄は 武大。 嫂(あによめ)は 潘金蓮。 宋江 、 張青 、 孫二娘 、 施恩 とは義兄弟。
粉河寺縁起絵巻 (こかわでら えんぎ えまき)は、和歌山県にある 粉河寺 の縁起を描いた 絵巻物 である。 紙本著色、1巻、縦30.8cm、横1984.2cm。 恐らく 天正 年間、 豊臣秀吉 の 根来寺 焼き討ちにより罹災し、巻首部分と、全巻にわたる上下に甚だしい焼損が見られる。 作者不詳で、成立は 12世紀 後半頃と推定されている。 絵巻物の代表的作品の一つに数えられ、 国宝 に指定されている。 現在の所有者は粉河寺であるが、 京都国立博物館 に寄託されている。 概要. 内容としては仮名交じり文の詞書四段と絵五段から成り、前半は粉河寺創建の経緯、後半は河内の長者一族が観音の霊験にあって出家する話となっている。
概要. 入唐8家 [注 1] で、讃岐5大師 [注 2] であり、延暦寺第5代座主を868年より24年間務め、天台寺門派の宗祖である 円珍 (智証大師)の生誕地として知られ、また、 乃木希典 が 明治 31年(1898年)から3年間当寺の客殿を仮住まいにしており、客殿には乃木ゆかりの品々が展示され、境内には銅像もある。 歴史. 宝亀 5年(774年) 景行天皇 の子孫の和気道善(円珍の祖父)が金輪如意(如意輪観音)を祀って一堂を建立し自在王堂と呼ばれていた。 仁寿 元年(851年)道善の子である和気宅成の上奏により、自在王堂を官寺とし道善寺と名付けた。
千日回峰行 (せんにちかいほうぎょう)とは、 滋賀県 と 京都府 にまたがる 比叡山 山内で行われる、 天台宗 の 回峰行 の一つである。. 満行者は「北嶺大先達 大行満 大阿闍梨」と称される。. 「千日」と言われるが実際に歩む日数は「975日」で ...
行者 (あんじゃ)とは、仏教 寺院 において僧侶のように出家をせず、俗人のまま、米搗きや薪拾いなど寺の雑務を行う労働者の事である。. 特に中国 禅宗 に多く見られ、禅宗六祖の 慧能 が、五祖の 弘忍 のいた 黄梅山 で「盧行者」として米搗き ...
吉祥草寺 (きっしょうそうじ)は、 奈良県 御所市 茅原にある 本山修験宗 の寺院。 山号は茅原山、院号は金剛寿院。 別称は 役行者 御誕生所。 世界で初めて 萌え キャラクター を信仰対象として祀る試みが行われている [1][2][3][4]。 歴史. 茅原は 修験道 の開祖である役行者神変大菩薩(役小角)の出生地とされ、当寺は役行者により開基、 舒明天皇 により創建されたと伝わる。 平安時代 に 理源大師 により再建された。 東西4キロ、南北5キロにおよぶ境内に49寺院を整え隆盛を極めたとされるが、 貞和 5年(1349年)の兵火で伽藍を焼失するなど、 南北朝時代 の兵火でことごとく焼失し衰退した。 現在の本堂は 応永 年間(1394年 - 1428年)頃の再建である。