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臨済宗 (臨濟宗、りんざいしゅう、Linji school)は、 中国 の 禅宗五家 (臨済・ 潙仰 ・ 曹洞 ・ 雲門 ・ 法眼 )の一つ。 中国、日本、台湾、韓国などに信徒を持つ。 日本仏教 においては 禅宗 ( 臨済宗 ・ 曹洞宗 ・ 日本達磨宗 ・ 黄檗宗 ・ 普化宗 )の一つ。 また 鎌倉仏教 の一つである。 曹洞宗が単一教団であるのに対して、十五派に分かれて活動している。 歴史. 臨済宗は、その名の通り、 会昌の廃仏 後、 唐 末の宗祖 臨済義玄 (生年不詳 - 867年)に始まる。
相国寺 (しょうこくじ)は、 京都市 上京区 相国寺門前町にある 臨済宗相国寺派 の 大本山 の 寺院 [1] 。 山号 は萬年山(まんねんざん)。 本尊 は 釈迦如来 。 足利将軍家 や 伏見宮家 および 桂宮家 ゆかりの禅寺であり、 京都五山 の第二位に列せられている。 相国寺は 五山文学 の中心地であり、 画僧 の 周文 や 雪舟 は相国寺の出身である。 また、京都の観光名所として著名な 鹿苑寺 (金閣寺)、 慈照寺 (銀閣寺)は、相国寺の山外 塔頭 (さんがいたっちゅう)である。 歴史. 永徳 2年( 1382年 )、 室町幕府 第3代 将軍 足利義満 は、 花の御所 の隣接地に一大禅宗 伽藍 を建立することを発願した。
- 萬年山
鹿苑寺(ろくおんじ)は、日本の京都市 北区金閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院である [1]。 大本山 相国寺 の境外 塔頭 で 山号 は北山(ほくざん)。
- 北山(ほくざん)
大光明寺 (だいこうみょうじ)は、 京都市 上京区 相国寺門前町にある 臨済宗相国寺派 の 寺院 。 大本山 相国寺 の 塔頭 。 山号 は梵王山(ぼんおうざん)。 本尊 は 普賢菩薩 。 伏見宮 家歴代の 菩提寺 である。 歴史. 暦応 2年( 1339年 )、 後伏見天皇 女御 で、 光厳上皇 ・ 光明上皇 の生母である広義門院( 西園寺寧子 )が、後伏見天皇の菩提を弔うため現在の 伏見区 桃山町泰長老にあった伏見離宮に隣接して創建された。 応永 8年( 1401年 )、伏見離宮ともども大光明寺も焼失するが、双方再建される。 後に、光厳上皇の子・ 崇光天皇 の子である初代 伏見宮 の 栄仁親王 が応永23年( 1416年 )に当寺に葬られると、それ以来伏見宮家歴代の菩提寺となった。
- 梵王山
鹿苑院 (ろくおんいん)は、かつて 臨済宗 相国寺派 大本山 相国寺 ( 京都府 京都市 上京区 )にあった 塔頭 。 また、 室町幕府 第3代 将軍 足利義満 の 院号 でもある。 歴史. 足利義満は、 永徳 2年( 1382年 )に自らが 開基 となって相国寺の建立を開始した。 鹿苑院はその翌年に義満自身の 禅 の 道場 として、そこにあった 安聖寺 を撤去して創建された。 応永 5年( 1398年 )、義満は相国寺の 住持 であった 絶海中津 を退任させて、代わりにその塔頭である鹿苑院の院主に任命した。 ついで、そのまま絶海中津を 僧録 に任じた。
起源. 五山の確定と幕府. 京都五山の寺格. 出典. 関連項目. 京都五山. 南禅寺 (三門) 天龍寺 (大方丈) 相国寺 (法堂) 京都五山 (きょうとござん)とは、 臨済宗 の寺院の 寺格 で、別格とされる 南禅寺 とともに定められた京都にある五つの 禅宗 の寺院。 鎌倉時代 末期に創設されたが、その内訳が確定したのは 室町時代 、 足利義満 の代になってからである。 歴史. 起源. 五山 の制度はもとは 南宋 の 寧宗 のころに インド の五精舎十塔所にならって創設されたものである [1] [2] 。
大応寺 (だいおうじ)は、 京都市 上京区 にある 臨済宗相国寺派 の寺院である。 以前は日蓮宗であった。 山号 を金剛山と号する。 現在の 本尊 は 釈迦如来 。 歴史. 天正14年(1586年)、 妙満寺 ・日重上人の弟子・虚応円耳(1559年-1619年)が 法華(日蓮)宗 の教えを広めるため、 嵯峨天皇 の后の 橘嘉智子 (檀林寺を創建したことから檀林皇后とも言われた)が九世紀初頭に建てた 悲田院 跡に建立した。 悲田院とは、 聖徳太子 が病人や貧窮者、孤児や身寄りのない老人を収容する施設を造ったのが起源であり、後の正保3年(1646年)、 永井直清 が 泉涌寺 の山内に移してその塔頭となっている。